このごろ、自分でもクサイというか、酔ってるというか、だいぶ恥ずかしい状態なので、ブログも限定公開の記事が続いております。
本来ならば、この酔った状態もアズラエル使用の影響下なので、普通にボトルノートとして公開するところなのですが、ごめんなさい。
ほかの人がどうなのかはわかりませんが、私はこれを使うとこういう状態になるらしいです(笑)
それだけきれいごとにできないというか、かっこのつけようがない部分を引き出してくるのかもしれません。
そんな認めがたい部分を肯定してくれるのもこのボトルだと思います。
コーラルはターコイズの補色でもあります。
たしかに、ここでも集団の中での個性についての感覚があります。
個性と自立のテーマがここでも繰り返されている。
ターコイズ・コーラルは個性と自立のテーマで結ばれた補色関係だと思います。
ショックやトラウマ、報われない愛というテーマを持つコーラルがヒューの姿で登場した時に、そこにイリデセントという真珠の要素が加わっているのは、本当にそれが必要だからなんだな、と思います。
このイリデセントが救いのきっかけになっているというか。
コーラルのもう一つのペールコーラルでは光が入ることで救いになっています。
ただのヒューのコーラルというボトルはオーラソーマでは存在しません。
それくらいコーラルという色と向き合うのは、難しいということなのかもしれないと思います。
個性の影の部分というか、自分の力ではどうしようもない部分。
たとえば、悲惨な育成歴であるとか、生まれ持った障害であるとか、先天的で不治の病であるとか、認めがたい認められがたい部分の個性を受け入れていくのを助けてくれるように思います。
そういった部分を受け入れて新たに踏み出すためのエネルギー。
だからこそ、新しい時代のキリストの光線、と呼ばれるのかも知れません。
サミエルの後にこのボトルで本当に良かったと思っています。
サミエルが見せてくれたものは、確かに現実で、ありのままでした。そこに希望はあったけれども、じゃあどうすればよいのか私にはわからなかったからです。
アズラエルは元の場所に返して、もともとあったものの価値を見つけてくれるとも思います。そこから始めればいいよと言ってくれているかのようです。
それは優しくて照れくさくて、とてもとても温かい。まるでカルマを洗い流してくれるかのような。コーラルが関連する第二チャクラや生殖器官は、子宮やその付属器でもありますが、ほんとうに子宮の中のような、母親のような、そんな温かさです。
女性性との和解、女神との出会い、というのはそういう感覚をさしているのかもしれないと思います。