明日から7月です。

いま東京はまさしく梅雨真っ只中、うっとうしい小雨と曇り空ですね。

 

所変わり、来月はアメリカ合衆国とフランス共和国で、花火を盛大に打ち上げるお祝いが開催されます。

 

アメリカは7月4日が独立記念日”Independence Day”です。私の経験では現地の方々が”July 4th”と呼ぶことに多く接しました。

 

そしてもう一つ、7月14日を革命記念日として祝うのがフランスです。

フランス大使館のサイトをご覧ください。

https://jp.ambafrance.org/article7136

 

Fête nationale – 14 juillet

<1789年7月14日のバスティーユ奪取を記念する7月14日の国祭日(ナショナル・デー)は、毎年シャンゼリゼ大通りで、フランス共和国大統領臨席の下、すべての部隊が参加する大規模な軍の分列行進が行われるほか、全国各地で打ち上げ花火やダンスパーティーが催されます。

~中略~

1880年以来、7月14日はフランスの正式な国祭日で、フランス国民にとって絶対王政の終わりと共和政の始まりを象徴します。>

 

 

王様が誰からも遮られること無く国家を統治した時代に、民衆が立ち上がって対峙して闘争、そしてとうとう権力を取り上げ、追放したということです。

 

 

このフランス革命の時に生まれた歌<La Marseillaiseラ・マルセイエーズ>が、現在のフランスの国歌として認められております。

 

映画「フランス革命」ラ・マルセイエーズ 日本語訳付き

 

 

このメロディーを最後部分に取り込み、冒頭の悲壮感漂う楽曲進行を一変させる歌曲が生まれました。

ハイネHeinrich Heine (独1797- 1856)作の詩に、シューマンRobert Alexander Schumann (独1810 - 1856)が作曲、1840年に完成、<二人の擲弾兵(てきだんへい) 作品49-1 Die beiden Grenadiere>です。

 

<Robert Alexander Schumann>

 

擲弾兵とは手で投げる爆弾を使う兵隊とのこと、接近戦に物怖じしない勇敢、かつ強靱な体力と身体能力に優れた兵士でした。

 

<Grenadier 1715>

 

彼らは君主を警衛する君主直属の軍人または軍団にも選抜され、英国ではグレナディアガーズ(Grenadier Guards)と呼ばれる近衛歩兵連隊は「擲弾兵近衛連隊」とも訳されます。

 

さて歌曲の<二人の擲弾兵>は、フランス革命後に軍人として頭角を現し、とうとう自ら皇帝となったナポレオン Napoléon Bonaparte(1769年- 1821年)に従った忠実な兵士たちを歌っております。

<Napoleon Grenadier and Voltigeur of 1808 by Bellange>

 

<1810年ヨーロッパ勢力図:色のついた国はナポレオン及び彼の親族の支配下、衛星国>

彼らは1812年、ナポレオンのモスクワ遠征に従軍して敗退、ロシアで捕虜になり、釈放されて母国フランスに戻る途中でした。

彼らはフランスを目指してドイツを通過中、自分たちが忠誠を誓った皇帝が捕らえられたとの報を聞き、大いに嘆きます。そして憤ります。

次の動画をご覧ください。

<Robert Schumann - Die beiden Grenadiere; Samuel Hasselhorn and Renate Rohlfing>

 

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(第2節)00:26

Da hörten sie beide die traurige Mär:

Daß Frankreich verloren gegangen,

Besiegt und geschlagen das tapfere Heer -

Und der Kaiser, der Kaiser gefangen.

それから彼らは両方とも悲しい話を聞いた:

そのフランスは失われました

勇敢な軍隊を打ち負かしました-

そして皇帝、捕らえられた皇帝。

 

(第6節)01:51

Gewähr mir, Bruder, eine Bitt':

Wenn ich jetzt sterben werde,

So nimm meine Leiche nach Frankreich mit,

Begrab mich in Frankreichs Erde.

私に、兄弟、要求を与えてください:

私が今死んだら

だから私の死体をフランスに持って行って

フランスの土に私を埋めてください。

 

第8節02:20

So will ich liegen und horchen still,

Wie eine Schildwach', im Grabe,

Bis einst ich höre Kanonengebrüll

Und wiehernder Rosse Getrabe.

だから嘘をついて静かに聞きたい

墓の警備員のように

大砲の轟音が聞こえるまで

そして、隣の馬が速歩します。

 

Dann reitet mein Kaiser wohl über mein Grab,

Viel Schwerter klirren und blitzen;

Dann steig ich gewaffnet hervor aus dem Grab -

Den Kaiser, den Kaiser zu schützen!«

 

それから私の皇帝は私の墓を乗り越えます、

多くの剣が鳴り響きます。

それから私は武装した墓から出てきます-

皇帝を守るために、皇帝閣下!

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ここまでお読みになった方は「あれ?」と思われるでしょう。

蜂起する民衆が正当性と目的達成の覚悟を込めて歌う<La Marseillaiseラ・マルセイエーズ>とは、内容がかなりかけ離れています。

オリジナルの<La Marseillaiseラ・マルセイエーズ>歌詞には”tyrans”(意味:暴君。 圧制者。 専制君主。 2 古代ギリシャの僣主 (せんしゅ)があるため、ナポレオンが戴冠式を行って皇帝となった際には、国歌ではなくなったとのことです。

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Tremblez, tyrans et vous perfides

L'opprobre de tous les partis,

戦慄せよ 暴君ども そして国賊どもよ

あらゆる徒党の名折れよ

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うーん、不思議ですね。

 

革命後、フランスの政権は振り子のように「共和制」と「帝制」に振れため、前者に戻ると<La Marseillaiseラ・マルセイエーズ>は国歌として復活、今日に至っています。

 

チャイコフスキーPeter Ilyich Tchaikovsky(1840年 - 1893年)がナポレオン軍に打ち勝ったロシアを祝して1880年に作曲<序曲1812年>を聞いてみましょう。

冒頭はロシア正教の平和の響きに満たされた大地を表し、徐々に暗雲が広がって人々の不安をかき立てます。

そして突如表れる「フランス軍の侵略」(05:45頃)モチーフとして、<La Marseillaiseラ・マルセイエーズ>のメロティが使われております。

<Tchaikovsky: Ouverture 1812 | Prinsengrachtconcert 2013>

 

 

きっとシューマンは詩の内容は全く別として、単に聞く人が「フランス」を思い起こすメロディとして<La Marseillaiseラ・マルセイエーズ>を使ったのでしょうね。

 

最後に当時の極東、日本の状況はいかがでしたでしょうか?

 

鎖国を続ける徳川幕府支配でしたが、外国船が多く日本近海を寄るようになり、国境を巡る防備の見地から、間宮林蔵(1775~1844)に北方探索を命じます。林蔵は役人となって蝦夷(北海道)に渡り、測量術を伊能忠敬(1745年 - 1818年)から学び、1809年2度目の探索でサハリン(樺太)が独立した島と確認しました。

<伊能忠敬 間宮林蔵>

アジア大陸との境界となる海峡を発見した報告は、1832年、長崎オランダ商館のドイツ人医師シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold 1796-1866年)の著作『日本』によって世界に知られるようになり、「間宮海峡」と呼ばれるようになりました。

 

この頃から日本も近代化の波が押し寄せ、もうロシアやヨーロッパ、またアメリカとの関わりを避けて通ることの出来ない時代が到来します。

 

また音楽と合わせて、皆様にご紹介できたらと思います。