皆様、3月5日に「啓蟄」を迎えます。

これは「土に隠れていた虫が外に出てくるほど暖かくなる時期」、つまり春の到来が本物と感じられる二十四節気です。

 

食物連鎖から、この虫たちを好む鳥、小動物の活動も盛んになります。4月になると冬眠していた熊なども目覚め、小動物をエサとする大型の野生動物の行動が目立つ頃になるでしょう。また草食獣の鹿なども春先に「鹿の子模様」に換毛して、よく見かけられるようになります。

いにしえより、このような動物たちの狩猟を生業とするのが狩人ですね。

 

さて、本日のお題です。

今から200年前の1821年のベルリンの王立劇場にて、音楽家カール・マリア・フリードリヒ・エルンスト・フォン・ヴェーバー Carl Maria Friedrich Ernst von Weber(1786年 - 1826年)はドイツ語による歌劇(ジングシュピールSingspiel)の『魔弾の射手』(Der Freischütz)を書き上げ公演、音楽史上に残る大傑作となりました。

『魔弾の射手』(Der Freischütz)とは、「好きなところへ自由に弾丸を飛ばすことが出来る鉄砲打ち」を意味しております。

 

登場人物と簡単なストーリーをご紹介します。

 

主人公若い猟師マックスMaxは射撃大会でお百姓さんに負ける不本意な結果となり、しょげておりました。大会優勝と恋人アガーテAgatheとの結婚実現を願っていたのですが、これを逃して気落ちのマックスに「狙った標的に必ず当たる弾を作れる」と同僚のカスパールCasparが教え、作らないかと誘います。この誘惑に勝てなかったマックスは深夜、指定された「狼谷」を訪れます。先に訪れていたガスパールが悪魔のザミエルSamielに導かれて必ず当たる弾、すなわち魔弾を作っていました。マックスもこの作業に加わり、とうとう魔弾7発を手に入れます。

 

次の射撃大会では、魔弾を使ったマックスは絶好調でした。

その中で主人公の猟師マックスと同僚が歌う「狩人の合唱」を映画からお聴き下さい。

 

あれれ、この映画のシーンは本来の『魔弾の射手』登場人物ではないナポレオン・ボナパルトNapoléon Bonaparte(1769年 - 1821年)が姿を見せますね。1797年ラシュタット会議でしょうか。

 

“Was gleicht wohl auf Erden dem Jägervergnügen?”

 

「この世に狩人の楽しみに匹敵するものは何だろう?」と元気よく歌い出します。この歌詞の興味深い数々の翻訳は次のサイトをご参照ください。

<歌劇≪魔弾の射手≫第3幕 より『狩人の合唱』歌詞と解説(作曲:カール・マリア・フォン・ウェーバー)>

https://www.celebbeanz.com/entry/2019/04/14/130739/

 

舞台ではこの合唱の後、再び射撃大会の様子となり、マックスが7発の魔弾の最後を撃ちます。なんと撃った直後に大会を見に来ていた恋人アガーテが倒れ、当たったかと思われました。ところが彼女は森の隠者から秘策を得て無事、最後の弾はマックスを「ダークサイト」への誘惑に荷担したガスパールに当たります。

マックスは悟り、射撃大会に来ていたボヘミアの領主オットカール侯爵Ottokarに魔弾の使用経過を告白します。事情を知ったオットカール侯爵はマックスに国外追放を命じますが、隠者からの忠言を聞き入れてマックスに猶予を与えます。

めでたし、めでたし!

 

「狩人の合唱」はスズキ・メソードではヴァイオリンとチェロの指導曲として学びます。さらにフルートとピアノが加わった合奏曲として、演奏する機会も多いです。

躍動感のあるリズムの演奏は子供たちも愉快になるみたいです。

 

歌詞の「ヨーホー! トラララララ! .........Jo ho! Tralalalala!......」部分にあたる合奏がTV報道されているのは次の動画、23秒頃。ご覧下さい。

 

作曲者のカール・マリア・フリードリヒ・エルンスト・フォン・ヴェーバーの父親は地方を巡る劇団経営者としてかなりのやり手であったらしく、息子の名前の最後にvon を加えたようです。

vonとはドイツ圏の王侯貴族に許される称号なのですね。

 

この父親の兄の娘がヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの妻コンスタンツェ・モーツァルトConstanze Mozart(1762年 - 1842年)であり、つまりヴェーバーの23歳年上の従姉でした。彼女の両親の記録にはvonの記載はありません。

かつてCDに収録できる音楽の長さを、「ベートーヴェン作曲第9交響曲」の演奏時間からソニーの大賀社長と相談して提言したとも言われた名指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンHerbert von Karajan(1908年 - 1989年)は、歴とした騎士 (Ritter)の出身者でした。

 

彼が亡くなった年に松本市にて第9回スズキ・メソード世界大会を開催、海外から多くのスズキ指導者が日本を訪れました。彼らとの会話ではしばしば大指揮者の逝去に及び、日本人の間では「カラヤン、大指揮者だったね」でしたが、英語圏の方々の間では必ずvonを入れて、”von Karajan, Oh, he was a Great Conductor...”でした。

 

そういえば、モーツアルト晩年の歌劇(ジングシュピールSingspiel)「魔笛Die Zauberflöte」にもダークサイトを象徴する「夜の女王」が登場しました。

最後は、最愛の娘が自分から離れて行くことに悲嘆している母親である「夜の女王」の表情は怖いけれど、やはりモーツアルトらしいチャーミングなアリアをお楽しみください。

The Magic Flute – Queen of the Night aria (Mozart; Diana Damrau, The Royal Opera)