15歳の少女だ……。
そう思うと、
胸中にくすぶるものがあります。




ロシアのドーピング疑惑と強く結び付いた今回の五輪、
 そこで「絶望」と異名をとる卓越した演技をする少女が、
 それは見事な演技をしたが、
 メダルはなかった。
という記録と記憶が残る始まりの夜。
それを思うと切ないものがございます。




ドーピング疑惑。
責任があるのは大人たちです。
が、
記録と記憶に残るのは、
それを指示した大人ではなく、
それを看過した大人たちではなく、
少女の出場に益を得る大人たちの誰でもなく、
少女の名前でしょう。

ロシアでのことはわかりません。
が、
少女が日本でアイスショーに出場することはあるだろうかと考えると、
難しい気がします。

既に
大きく傷は残された。
そう考えています。



子どもだと思って!!
その怒りは、
この災厄の元凶となる、
何年にも渡るドーピングに関わった大人たちに、
向かいます。


1992年6月、
ブラジル、リオデジャネイロで、
環境と開発に関する国連会議が行われました。
そこで、
当時12歳だったカナダの少女、
セヴァン・スズキさんが行った有名なスピーチがあります。

 子どもが
 大人に向かって
 その責を問う

鮮烈なメッセージでした。
当時、
もっとも心に刺さった部分を抜粋し、
お借りします。





学校で、いや、幼稚園でさえ、
あなたたち大人は私たち子どもに、
世の中でどうふるまうかを教えてくれます。
・争いをしないこと
・話し合いで解決すること
・他人を尊重すること
・ちらかしたら自分で片付けること
・ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
・わかちあうこと
・よくばらないこと

ならばなぜ、
あなたたちは、
私たちにするなということをしているんですか?
   略

親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」と言って子供たちを慰めるものです。
あるいは、
「できるだけのことはしてるから」とか
「この世の終わりじゃあるまいし」とか。

しかし、大人たちはもうこんな慰めのことばさえ使うことができなくなっているようです。
お聞きしますが、
私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか?


このスピーチ原稿を読んで、
その勇気に衝撃を受けました。
大人というには青臭く、
子どもに逃げ込むには遠く、
三十代の頃でした。


還暦を過ぎ、
間違いなくこの世に責のある年齢になり、
このスピーチは、
ますます深く心に刺さります。


子どもの後ろに隠れるのは止めてくれ。
それはメドベージェワ選手が
ドーピング疑惑をめぐってIOCでスピーチをさせられたときも思いました。

せめて
この騒ぎがあっても
それぞれがベストを尽くせることを願います。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。