日本は、

偏見と差別に対して無頓着な顔をもっています。

それは国に起こった出来事を学んだり、

そこにあるべき道は何だったかを深く考えたりする、

つまり個々が政治に向き合う姿勢を育てられずにきたことに起因すると、

私的には考えています。

 

 

 

 ユダヤ人虐殺の悲劇までも笑いの種とする観客がいて、

 それは笑いのネタになる。

 障害者の方々をシンショウと呼ぶことに疑問をもたない大衆がいて、

 いじめを語る言葉は無神経になる。

 男女差別が差別ではなく必要なことだと考える風潮があって、

 女性は話が長いと笑いをねらう語りができる。




 

 

第二次大戦につき、

誰も悪くなかったんだよと慰めるように、

新しい憲法のお話が子どもたちにされました。

 

 こんどの戦争で、天皇陛下は、たいへんごくろうなさいました。

 なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして國の仕事をした人々は、

 國民ぜんたいがえらんだものではなかったので、

 國民の考えとはなれて、

 とうとう戦争になったからです。

 

 


誰も悪くなかった。

さあ今度はこれがルールだよ。

根幹からひっくり返った価値観を疑問なく受け入れることが、

ただ求められました。



新しい価値観が間違っていたというのではありません。

受け入れ方が間違っていたと、

今、痛切に思います。



誰も悪くない。

考えなくていい。

それが間違っていたと思います。





 

歴史をしっかりと見直すこと、

何があったかを考え抜くこと、

そうした個々の機会を国民に与えることは、

日本になかった文化でございます。

考えさせないこと、

その一点において戦前と戦後は繋がっている。

そのように思います。

 

 

 さあ いい子だね

 大人しく しっかり働いていけばいいんだよ

 

そう言われるままに頑張ってきた国なんだろうか。

そんな言葉に一括りにできない、

尊敬する先輩たちがたくさんおられた。

それでも、

先輩たちと店主の世代とは無罪にはならない。

この国で生きて来た大人たちの世代が、

どうすべきだったのかを思います。





 

 

国民の善良性や高い公共心、忍耐力もまた顔です。

それは誇れることです。

ただ、

考えることを明け渡す習慣が、

誰に明け渡すかはその時々で違いましても、

国の有り様を判断することを自分のすべきことと思わぬ習慣が、

日本にはございます。


偏見も差別も、

突き詰められることなく、

論議に上がることなく、

ここまで参りました。

そこに大人を終えて日本という国を後進に委ねる世代の責任はある。




 

 

あるんだ。

そう思うこと自体が自己満足でございます。

こんな役にも立たぬ自己満足で自分を慰める老境をもたぬためにも、

お若い方々が、

この国がどういう方向に向かうべきかを

自らお考えになってくださったらなと思います。

 

 

それぞれの考えをもち、

互いに語り合って

協調していくラインを定めるという習慣を、

どうか大切にと願います。



 



 

最初の職場、

最年長の先輩は戦争を知る方々でした。

中国から日本に戻ったとき、

畳で眠った安堵からおねしょしてしまったと語る少年兵だった方、

東京大空襲の炎の中を駆けた女学生だった方。

 

何も語らずとも背中が語る。

演歌や仁義のファンタジーではなく、

それが現実にできる方々を知っていました。


 

してはならぬこと、

己の負うべきこと、

それを自分の姿勢で示せるほどの強さは店主にありません。

どうして、

そうしていられたのか、

戦火を越えて生き抜いた先輩たちに、

価値観の崩壊を越えて生きる柱を立てた先輩たちに、

伺っておけばよかったと思います。

いや、

語られていたのかもしれません。

受け取るには未熟でございました。

 

 

 

 画像はお借りしました。

ありがとうございます。