この小説は純粋な創作です。

実在の人物・団体に関係はありません。

 

 

 

 

無邪気に手を振って、

ぴょんと一歩出た瑞月を鷲羽海斗は振り返らなかった。

だから止まったのだろうか。

掃き跡もけざやかな白砂の上にぽつんと瑞月は残った。

 

ひどく眩しい。

砂を敷き詰めた空地は光の器ででもあるかのようだ。

そこに立つ艶やかな墨色の背が、

ふっと波打つ光の籠の中に引き込まれていくように感じた。

 

“報告!”そうインカムに囁こうとして西原は唇を引き結んだ。

さっと目を走らせたどこにも影がない。

伊東に従う影のように自身の部下も消えていた。

鷲羽の者はいない。

 

 

 

俺が預かる。

政五郎がそう言うなら盤石だ。

何を馬鹿なことに気を取られているのだろう。

何の心配もいらないと思っていたんだった。

 

 

「そうだ

 お前んとこの若いの、

 祭に借りたぞ」

 

あっけらかんと級長の声が響いた。

振り返ると馴染んだ笑い皺が見えた。

 

 

西原はインカムをオンにした。

 

「それは俺の部下じゃないですね。

 俺の指示なしに勝手に持ち場を離れる部下は

 もった覚えがない」  

 

“ちょうどよかった。

 休暇中なのか着任中なのかはっきりしなくて

 困ってたんです。

 チーフ、

 じゃあ休暇は終わりってことでいいですか?”

 

聞こえていないだろうに、

政五郎の笑い皺が深くなった。

 

「お前か」

 

“ええ

 チーフが何か言ったら

 聞いてあげるんだぞと指示しておきました。

 感謝してくださいね”

 

最後の“ね”の消えない内に

西原はスイッチを切った。

 

「トム、

 いい勘してるな」

 

「何がですか?」 

 

「ここは俺の陣地だってことさ。

用心 用心だぜ。」

 

 

用心しろというのか、

と頭が動き出すと同時に、

高遠が歩き出していた。

もう西原との話はついたとばかりに、

老人は高遠に目を移した。

 

白砂を踏んでいく高遠の背が眩しい光の繭に入っていく。

瑞月が振り向く。

何か、

せき込んで話し出した。

西原はもやもやとした用心を胸に仕舞いこみ、

インカムをオンにした。

 

 

今度の羽化は、

愛らしいがちょこまかと動き回る幼獣の顔も、

もっている。

まずは目に見える危険に対する用心が大切だった。

 

 

「樫山、

 配置を教えろ」

 

“休暇終了ですか?”

 

「教えろ」

 

“じゃ、

 私は休暇に入ろうかな。

 なかなか味わい深い縁日ですよ”

 

「お前、

 どこにいる?」

 

“チーフから西300メートルほど”

 

「わかった。

 もういい。

 励めよ」

 

今度は、

せいぜい憎々し気に言い切る。

そうしながらも、

安堵が広がった。

樫山が来ているのだ。

仕舞いこんだ用心を引っ張り出し、

西原は食えない老人に向き直った。

 

 

 

政五郎は、

人のよさそうな笑いを浮かべていた。

 

「俺たちも行こうか。

 瑞月ちゃんが待ってる」

 

「やっぱり“ちゃん”なんですね。」

 

西原はにこりともせずに、

言ってみた。

 

政五郎は

ニヤリとした。

 

「文句はないだろ?」

 

 

文句はなかった。

何やら一生懸命話している瑞月は、

すっかり子どもの顔になっている。

羽化するごとに、

千変万化に姿を変える愛しい少年は、

限りなく清らかな姿で息を呑ませるかと思えば、

繭から出てきたばかりのあどけなさで

西原を振り回す。

 

 

 

「なんでっ!?」

子どもの“なぜ”が炸裂した。

瑞月の頬がくしゃっとゆがみ、

西原の胸は甘く痛む。


 

 

可愛かった。

どうしようもなく。

 

 

「トムさんっ!!」

 

いきなり瑞月の顔がアップになった。

飛び込んできた肢体は羽のように軽いのに、

衝撃はなかなかだった。

ほんとに足が速い天使だな。

 

そして、

悪い子だ。

 

俺がさっきの高遠だな。

急いで追ってくる高遠の頬が紅潮している。

今度はお前が譲る番だぞ。

西原は楽しんでいる自分を楽しむことにした。

 

 

「あのねっ、

 僕、

 買いたいものがあるの。

 たけちゃんがダメって言うの」

 

「ダメとは言ってないよ。

 ただ、

 ここでは売ってないんじゃないかって思うんだ」

 

「ダメだってことでしょ?

 ぼく 欲しいんだ!

 今しかないんだもん!!」

 

今しかない?

西原と政五郎は顔を見合わせた。

ハッとしたように瑞月が身を縮める。

西原は膝をついた。

 

「何が欲しいんだ、

瑞月?」

 

見上げると、

瑞月はくっと瑞月が唇を噛む。

高遠が膝をつく前に西原は口を開いた。

 

 

 

「ちゃんと自分の口で言うんだ、

 瑞月」

 

「……だって、

 ここにはないんでしょ?」

 

「でも、

 お前は欲しいんだろう?」

 

 

そっと高遠が瑞月の肩を抱いた。

あ、そっちがよかったかなと思ったが、

小さな手を自分の手に収め、

西原はじっと答えを待った。

 

 

「…………うん」

 

よし!

西原は頷く。

 

「欲しいものを欲しいと言えなかったら、

 何も手に入らない。

 だから、

 まず自分で欲しいと言うんだ」

 

瑞月が欲しいものくらい、

想像はつく。

だが、

言わせたかった。

 

 

鷲羽海斗は、

そして、

おそらくは高遠豪も、

この少年の心を知る手段をもっている。

西原にそれはない。

 

 

 

「……ぼく、

 誰かに何かあげたいんだ。

 プ、プレゼントっていうの、

 したい」

 

 

西原の胸に灯が点った。

 

「そうか。

 自分のお金、

 ちゃんと稼いだもんな。

 でも、

 どうして今しかないんだ?」

 

尋ねながら、

西原の胸は痛んだ。

 

「最初は……海斗にあげたいから。

 海斗がいたら買えないから…………」

 


西原はにっこりと笑った。

 

「わかった。

 お前が欲しいものを、

 俺も探す。

 高遠も探す。

 マサさんも探す。

 今日は見つからなくとも……」

 

「見つかるさ」

 

 

そして、

西原の夢の時間は終わった。

 

 

「ほんと?」

え?

西原が耳を疑う間に、

ほっそりとした白い手は、

早くも西原の武骨な手から滑り抜けていく。

 

ぴょん!と

瑞月は政五郎の前に立っていた。

 

 

画像はお借りしました。

ありがとうございます。



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