島根県奥出雲町の山中にある渓谷、

名は「鬼の舌震い」。





川上に住まう女神、玉姫はたいそう美しい御柱でした。

その姫を海に暮らすワニ(サメ)がどう知ったのか、

ただひたすらに姫を恋うたのだそうです。

ワニ(サメ)は夜な夜な川を必死に遡りました。

 

ところがそれを知った姫は、

次々と大きな石を川に投げ込みました。

ワニは泣きました。

姫を恋慕って泣きました。

「鬼の舌震い」は「ワニがしたぶる(恋慕う)」が転じたものなのだそうです。

 

 

美の壺「こころ震わす巨石」の二つ目の壺で紹介されたお話に、

思わず心が揺さぶられました。


 


 

ワニが怒るでなく、

憎むでなく、

ただ恋しさに泣いたということに、

はっといたします。

 

 

清らかに衣通りて光り輝く女神を慕うそのワニの純情が、

いじらしくも、尊くも、切なくもある。




 

 

神話は世界のどこであっても、

人類最初の物語。

人間とはただ生きるだけでは満たされぬものを、

魂の奥殿に埋め込まれて創られた生きものなのかもしれません。

ワニは人の姿を映したものでございましょう。





 

 

手の届かぬものを求めてやまぬ心もて、

イカロスは空を駆ける。

それを追って人類は空を渡る翼を手にいたしました。

どこまでも夢を生きようとする魂が、

同時に自然を破壊する歴史を重ねてきましたことは、

もの悲しい一つの神話になりますでしょうか。

 

 

 

人が切なく求める“何か”

その“何”かは人それぞれに違うものですが、

「己の手ではどうしようもない」ものであることがほとんどではないのか。

そんなことを思います。




 

 

だって、

人がもっとも求めるのは人ですから。

恋も家庭も出世も、

平凡な市井の人々の人生を彩るすべては人あって成立します。

 

一人暮らしを満喫する店主もですよ。

電気、水道、今日の衣服、今日の食べ物……。

一日を生きる間にも、

手に取るものすべてが人の手のかかったものばかりです。

人間が生存していくためには、

他の人間の存在が欠かせません。

 

 

 

だからでしょうか。

いつも何かを求めて落ち着かず、

揺り動かされてばかりの私達人間でございます。

人の心程己の手でどうしようもないものはございませんから。

 

 


 

うーん

オチがつきません。

いじらしいワニ。

それを語る言葉に落とし込みましょう。



 



 

人が人を求めるとき、

ことばは生まれます。

結びつけるときもあれば、

傷つけるときもあり、

寄り添いたくて発した言葉が人を切り裂くときもあれば、

突き放したはずの言葉が人を己に縛り付けるときもあり、

ことばもまた思いのままにはなりませんが、

言葉は切なくも美しい心を揺らすツールでございます。



 

ふたたび書き出しましたとき、

読んでくださる皆様が、

そこにおいでくださいますことが支えでございました。

ときにどなたかを傷つける言葉を発することもあるかと思いますが、

それでもそこにいてくださる皆様に、

心から感謝申し上げます。

 

 

 

さて、

今は矢代俊一シリーズ第七巻を読んでおります。

第八巻まで読み終えてしまいましたら、

一つの節目かもしれません。

 

ほぼ病的って感じの、

フルタイムの勤労者が読む量?って感じの、

薬物依存症の薬物が物語になったみたいな三カ月でございました。

いいじゃん一日一冊って。

健康的になったぞ、

思うblog再開の数日です。

 

 

第八巻読み終えたら、

つんのめってしまうかも。

ちょうど今は長距離を走ってきてクールダウンに

ゆるやかな走りをしている段階です。

ぼーーーーーっとする余裕を自分に与えておこうかなと思います。

一日一記事継続で。

 

 

画像はお借りしました。

ありがとうございます。

 



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