「10回選んで、

 10回△△さん(プリンセス)選ぶ。」




 

 「えっ?

  マジですか?」

 こりゃプリンセスにも、

    思わず

 もう一人の選択肢として上げた男性にも

 かなり失礼な会話でございました。

    まあ、

    プリンセスを庇ったら、

    もっとろくでなしな話になってしまったという日常の小景から思います。




 

誰を選ぶか。

まあ、 

選べるとしたらなんですが、

仕事に関して言えば、

基本、基準は仕事なわけです。


仕事となれば最低限ラインとして、

責任をもって何事かを要求されたレベルまでこなすことが求められる。

職場は職場の名をもって顧客対応するわけですから、

内部での仕事配分やら空気やら揉め事やらはジャンルがちがいます。

 

 

 

〇ここが何をすべき場か

〇ここで今自分が何をしたらよいか

この2点を常識レベルで了解しあっていれば、

仕事は回ります。

 

 

最低限の常識レベルを同じくするプリンセスに、

顧客は怒り同僚は途方に暮れるという心配はありません。

相手からの好き嫌いや攻撃の有無は共に働く仲間を選ぶ基準としては二次的なものでございましょう。

大人なんですから。


 



 

とはいえ、

人というのは己の心の囚人でございます。

思いはその活動の全てに反映するわけですから、

自分には変え難い様々から心を解き放つやら、



伏し目がちな自分を叱咤して顔を上げるやら、



反射的に本心から笑えるよう努めるやら、




どったんばったん

もがき苦しまねばなりません。


 

 

 

たがいに力を引き出し合い、

よりよいものを目指すベクトルが生まれますと、

その難行苦行も一気にたやすくなるわけですから、

よくスポーツでムードメーカーと呼ばれるアスリートの皆様などは、

本当に有り難い存在なんだろうなと思います。

その役どころはできぬ店主としては、

ともかくどっしりと安定した存在であらねばと努めるわけですが、

これってあり?と驚く後始末をするときなどは、

日々の神経戦が面倒くさくなると共にエネルギーの枯渇を感じます。

 

 

また、

これを思うとますます気が重くなるのですが、

じゃあ

できない者は去れというのか

と問われますと顔を上げて答えることができません。

 

弟子くんとの会話に出した男性というのは、

二年前、

前のボスに春まで持ちこたえてくれと言われて、

ボランティアに励んだ折りのチーフです。

三年ごとに異動を繰り返してきたそうで、

その三年というパターンに、

ため息が出ます。

異動には最低限三年の勤務という決まりがございます。

 

 

すごく難しい。

 

 

「そうしてほしかったら、

 さっさとそうできるようにしてくださいよ」

 

ヤバイっと入った店主に、

彼はおっしゃいました。

顔を真っ赤にして青筋立っていたことから察するに、

彼が仕事できるように顧客をなだめてこいって意味???

それとも他の仕事が負担だから減らせって意味????

 

顧客の目がありますから、

大声ではなかったことを幸いに、

はいはいとさりげなく笑顔で場を移して

どうしたのか優しく聞いてあげましたが

顧客の悪口以外出てくるものがなく要領を得ない。

“そうできるようにしてください”

そりゃまあトラブルシューティング及び予防の元締めを拝命してはいますが、

そもそも常識レベルの業務をこなした上で発生するそれに対するものです。

彼の言葉に驚きました。

 

 

昨年のチーフでしたら𠮟れます。

三十代であることもですが、

基本的に自覚と責任感がありますし、

それだからこそ仕事も任されている方ですから。

しかし、

彼は𠮟れません。、

こちらは四十代な上に、

仕事を自分の責任と感じる感性が欠落しているため、

基本、

説教で事態は好転しません。


 

 

スキルの低さは責任と自覚あれば問題と思いません。

必ず伸びます。

彼が二十年の長きにわたり向上しなかったについては

仕事の自覚の薄さとセルフイメージの現実との乖離があるのでしょう。

 

 

 

彼に思う自分に、

ひどく苦いものを噛みしめています。


三年目の今年も、

淡々と春までもたせる。

それしかないと理性でわかっています。

そのこと自体に迷いはありません。

ですが、

それとは別に、

この人は雇っていていいのか

という思いがわいてきます。

傲慢なことです。

 

 

プリンセスにつき、

やばくないですか?と聞かれれば、

いやいや◇◇さんよりはと口にしてしまいましたのは、

そんな黒い思いがわだかまっているからと自省しています。

 

用心用心だなと思います。

思いますが

黒いものは残ります。

 

 

 

多様性の時代、

家から出られない若者がますます増えていると聞きます。

また、

社会に出たものの、

対人関係でつまづいてしまう方々も増えていると聞きます。



そう考えると、

職場の彼は社会に出ようとし、

自活しておられるのだから、

対人関係を構築しようという意欲はあるのでしょう。

そのスキルを受け入れることが難しいだけで。


 

 

自分で稼いで食べていく。

店主の世代には当たり前に思われた要求は、

今はまことに難しいものとなりました。

それぞれの事情があるのだろうと推察することはできます。

寄り添うことをしてきたからこそ

本当にできないと苦しむ心情はあるものだと知っています。

 

 

ただ怖いなとも思います。

 

 


対人関係を築いていく力が社会全体から喪われていく中、

さあ自立しよう!と呼びかける力もまた喪われていく。

そんなことをする位なら、

いいんだよと微笑んでいる方が波立ちません。

かといって、

自立しない限り衣食住は誰かの、

おそらくは御両親の肩にかかります。

いいんだよには、

そうしていても生きていけるよの保障が必要です。

そんなものはありません。



職場では

微笑みながら黒いものを抱え、

寄り添った人には

無理なんだろうなと心を痛める。

 

どうなのだろうか。

社会に出て自立することは、

みなに求めてよいことなのだろうか。

一括りにはできぬ問題に

自分の矛盾を思います。

 

 

今日は整理整頓記事でございました。

栗本薫さんの「黄昏のローレライ」届きました。



ですが、40代の物語を語る天狼プロダクション発行の天狼叢書も

既に三巻目。

 

 

今岡清さんの献辞によれば、

天狼叢書のシリーズは進むにつれて読者の数が減少し、

しまいにはごく限られた読者だけになっていたそうです。

趣味的な要素が強くなりすぎていたという今岡さんの言葉がどんなことを指していたのか、

三巻ではまだ分かりません。

少なくとも三巻現在、読むことに弾みがあります。

天狼叢書から読んでしまおうと思います。

 

 



愚痴だな、愚痴。

こんなもの読んでいただいていいのかな

申訳ないなと思いつつ

こうして書かせていただくことで助けられています。

読んでいただきありがとうございます。


甘えさせていただきますこと、今少しの間、ご容赦ください。

 

 

画像はお借りしました。

ありがとうございます。

 




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