フィギュアスケートは、

スポーツにして舞台芸術。

観客は技に驚嘆もし、

構築された世界に酔いもします。




スポーツと理解しているからこそ、

競技そのもの、

演技とジャンプに分けてはどうかと思う女子フリーでございました。


☆トゥルソワ選手冒頭4回転フリップ


ただ正確に図形を描くというコンパルソリーは、
地味であるがゆえに消えていったとも聞きます。

では、
ジャンプはどうでしょう。
純粋に技として音楽を抜きにして、
水泳の高飛び込みのように競うなら、
見応えあるものにできるのではないでしょうか。



アレクサンドラ・トゥルソワ選手、16歳。
女子フィギュアスケート変革の先駆けとして精進するアスリート魂に、
敬意を感じます。
同時に、
その目指す道に向かうなら、
演技として評価するのではなく、
技を評価する競技において評価する道があってほしい。
そう願います。
音楽を表現するという側面のためにも。





2012年羽生選手が演じた演奏に始まり、
クッションの踊りで終わる「ロミオとジュリエット」でございました。
助走と跳躍。
跳躍のたびに告げられるジャンプの種類。
その繰り返しを見る時間が、
驚嘆の時間であったことは間違いありません。
これまで女子に可能な技とも思えなかった凄まじさです。
ただ……そこにロミオもジュリエットも感じませんでした。
わずかにクッションの踊りのスケッチがあったかと受け取りました。




フィギュアスケートに舞台を観ることを楽しむ店主は、
トゥクタミシェワ選手に、
カレン・チェン選手に、
日本人選手三人に、
それを拝見して心満たされます。

☆トゥクタミシェワ選手 ねじまき鳥クロニクル

たとえば、
差し伸ばす手の先。
その人差し指。
技として得点となるかどうかではなく、
演技世界の構築に向けて緻密に計算され、
やがて計算を超えてそこに異世界を打ち立てていく所作。


そのたなびく裳裾も、
背にある「愛」も、
ただただ酔わせていただく世界の一部でございました。

その演技に感謝したく思いました。



あるときは旋律を感じて
またあるときは物語を感じて
ときに主人公に思いを重ねて
観客は酔いしれます。


たとえば宮原選手のトスカ。


観客は、
そこに鳴る鐘に、
愛する男の死を知る。
トスカをそこに重ねて観る。


音楽に物語が重なる時ばかりではありませんが、
かつてメドベージェワ選手が演じた
恋人を送り出し、
その死を伝える電話を受けて立ち尽くす演技など、
印象深く思い出します。


☆坂本花織選手 マトリックス

切り裂いていく。
そのスピード感。

☆紀平梨花選手 Baby, God bless you

生命の誕生を祝福する清家さんのピアノ、
その音楽が紀平選手を優しく支えるように思われました。


☆カレン・チェン選手 バタフライ・ラヴァー・コンチェルト


舞い踊る蝶。
「美しいですねぇ」
その最後のスピンに、
解説の荒川静香さんが染み入るようにおっしゃいました。
そう
美しかった。
復活した美しい蝶に
心が震えました。



スポーツです。
同時に音楽を表現する演技は
舞台芸術でもございます。



フィギュアスケートという競技、
勝敗以外の部分が
観客としての自分には大きいのですが、
テレビで拝見できます演技は成績上位の選手のものばかり。
いつか
4回転を跳ぶ選手しかテレビで放映されなくなるようですと、
少々さびしいものがございます。


トゥクタミシェワ選手の演技に
救われる思いがいたしました。
店主は、
こういう演技を拝見することが望みでございます。

画像はお借りしました。
ありがとうございます。