この小説は純粋な創作です。

実在の人物・団体に関係はありません。

 

 



白砂に覆われた公民館用地との境は低い生垣だ。

捧げもった桜色の風呂敷包みが不似合いな黒スーツ姿が、

子どもの背丈ほどの生垣と建物の間にはまり込んでいる。

 

 

無言で軽く頭を下げ、

うねるように盛り上がる楠の根をまたぐと、

そこからは、

路地に面した板塀と建物の間にささやかな前栽と玄関に続く置き石が

待っていた。

 

 

来た道を塀を隔てて戻る。

狭さがちょうどいい。

路地の行き交う中で数日を過ごすと、

そんな感覚になる。

 

 

抱っこした瑞月を壁にぶつけないよう気を配っていると、

最前の意気込みが薄れるらしい。

今日も昨日に続く、

なんでもない一日なのだ。

保護者として瑞月を守り、

嫉妬に耐える鷲羽海斗をいなし、

やきもきする伊東をリラックスさせるために揺らがない。

 

 

どの一日も同じ。

ただ自分をしっかりともっていれば

することは同じなのだ。

 

 

そう思い定めたところで、

冬青が高遠に並ぶ高さに鮮やかな緑を茂らせていた。

玄関の脇に来て涼し気な打ち水とすっきりとした立木に、

一気に空気が凪いだ。

 

 

からからと明るい音を立てて、

政五郎が玄関を開ける。

 

 

 

「失礼します」

 

伊東には目礼ですませ、

ここまで儀式を意識してきたが、

つい挨拶の言葉が出た。

 

 

明るい。

日本家屋の玄関というものは、

それほど陽射しの入るものではないという印象があったのだが、

ここはずいぶんと明るかった。

 

南面にあたる玄関は、

まだ低い陽射しが奥までをいっぱいに照らし、

置かれている衝立の古びた木製の縁も、

こざっぱりと掃き清められた土間も、

このノスタルジックな路地に残る温もりを感じさせる。

 

 

 

「下りるね」

身をくねらせる瑞月に、

「まだだ!」

と政五郎がストップをかけ、

手早く瑞月の足先をくるんでいた布を巻きとり足袋を脱がせた。

 

 

 

これも巫のお出迎えの作法かと、

高遠は、

恭しく素足になった瑞月を下ろしてやる。

 

 

御使者はお仕えするのが役目と、

既に上がり框に座って地下足袋を脱いでいる政五郎に続き、

高遠も座った。

鷲羽海斗も横に陣取る。

履きなれないと、

こはぜを外すのも手探りだ。

 

 

 

 

「海斗!」

甘い声が降ってくる。

これは後ろから抱きつこうとしてるなと思うや、

ぱっと政五郎が式台に飛び乗った。

 

 

「瑞月ちゃん、

 御使いはタケルだ。

 玉に御挨拶するまでは、

 抱きつくのはタケルにしとくんだ。

 いいな」

 

「お祭の決まり?」

 

「そうだ。

 仕来たりは大事だからな」

 

 

級長さんは噛んで含めるように言い聞かせている。

瑞月は小首を傾げているだろう。

一生懸命考えながら聞いていると自然に傾ぐ。

鷲羽海斗が脱いだ地下足袋を端に寄せ、

上がり框を踏んで上がっていく。

 

 

伊東が、

風呂敷包みを捧げて一歩前に出た。

 

「総帥、

 勾玉をお運びしました」

 

やや顔が赤らんでいるのは、

総帥の心中を思うからだろう。

 

「マサさん、

 祭の間、

 お預けします。

 よろしくお願いいたします」

 

低い声が続いた。

 

「鷲羽の勾玉を祭で拝めるなど、

 あることではないと思っていました。

 有り難いことです。

 預からせていただきます。

 

 ついては、

 伊東さん、

 ここは潔斎の場で、

 入れるのはごく内々の者だけ。

 

 身内の者もほぼ皆、

 外を固めることになっていまして、

 鷲羽の長、巫、勾玉と

 大事な宝をお預かりしながらお願いするのは気が引けますが、

 警護班の皆さんにも、

 外からの警護をお願いします。

 

 トムを外に残してきました。

 あいつは祭の支度にお借りしています。

 声をかけてやってください」

 

 

政五郎が慇懃に頭を下げ、

伊東も頭を下げる。

包みは政五郎の手に移り、

警護は伊東に任された。

 

 

伊東を見送って、

高遠は立ち上がり振り向いた。

 

「マサさん、

 では、

 引き続き、

 御使者を務めます。

 また抱っこですか?」

 

重々しく頷く政五郎に、

うっかり緩みそうになる口許を引き締め、

素直に身を寄せる瑞月を抱き上げた。

もう

この役得もあと僅かだ。

もう一つの玉というものを見られる。

ヒントになるだろうか。

高遠の心は落ち着いていた。

 

歩き出そうとして、

置かれていた衝立に描かれている絵に高遠は初めて気づいた。

政五郎がその脇をすいと抜ける。

滝か。

ただそう思っただけだった。

 

それがキューだたらしい。

後から高遠は振り返る。

 

ほんの一瞬、

その滝は高遠の前に姿を見せた。

流れる墨は衝立いっぱいに聳え立つ岸壁から水面まで弧を描く。

高遠はその滝の落ち口に吹く風を感じた。

 

 

 

「たけちゃん、

 何見てるの?」

 

陽光注がれる広縁に踏み出す高遠を、

くるっと見上げると瑞月は尋ねた。

 

「お前を見ている」

 

高遠は自分の声が応えるのを聞いた。

 

 

足裏に感じる熱、

腕にかかる重み、

五感のすべては正常に機能していた。

だが、

立ち止まろうとしたはずなのに歩き続ける脚と、

今口にしたばかりの言葉を取り繕おうとしても閉ざされたままの唇、

体が高遠の命令に従わない。

 

 

政五郎が足を止め、

障子の引手に両手を添えた。

あらたまった姿をよそに

高遠の唇は開いた。

 

 

「美しいな、お前は」

 

高遠を乗っ取った何物かは高遠そのままの声で瑞月に語り掛ける。

押し隠してきたものが溢れてしまったのかと思うほどに、

それは高遠自身のものだった。

 

高遠は戦慄した。

高遠の一瞬の欲情に反応し、

恐怖に見開かれた眸が脳裏に蘇る。

暴れる肢体を怪我をさせぬようにと抱きすくめながら、

その力が尽きるのをひたすらに待った地獄のような時間は、

まだ記憶に生々しかった。

 

 

今は、

ただ窓を覗くに等しい視界は、

瑞月だけを映している。

ほんの一瞬、

背けられていた瑞月の頬がひくりと動く間、

詰まるべき息も、

高鳴る動悸ももたぬまま高遠の意識は張り詰めていた。

 

 

瑞月は叫び出さなかった。

戸惑うように小さな顔が仰向く。

その白磁の肌に紅が灯った。

 

「ありがと……たけちゃん」

 

小さな小さな声がその朱唇から零れた。

そのまま首を縮めて

居心地悪そうに小さくなっている。

ずきんと痛みが走った。

 

 

ほっとする代わりに怒りが沸き上がる。

羞じらうような顔を見せる瑞月に、

背に立つ男に。

 

 

政五郎は

両手を添えたまま

振り返らなかった。

 

「瑞月ちゃんは綺麗だ。

 こんなに綺麗な巫はいないさ。

 

 勾玉も、

 うちの玉も、

 瑞月ちゃんを守るものだ。

 それだけは間違いない。

 なあ海斗さん」

 

そう言い終えると

政五郎は

するすると障子を開けた。

 

 

神棚が長押の上に設置され、

その下に白布を駆けられた台が置かれていた。

 

すうっと高遠の腕は下がり、

瑞月は畳に解き放たれた。

 

 

自分の脚で歩く自由にほっとしたように

瑞月はとことこっと進み、

北面の神棚の前に立ち止まると、

じいっと台の上のものを見つめているようだ。

 

 

「玉って………ここに埋められてる石?

 すごく綺麗。」

 

何か見たなら高遠の認証を求めるように振り返る。

それに微笑んでやるのが高遠だ。

唇は動かない。

驚いたように動悸が一つ強く鳴る。

あれっ?

と小首を傾げる瑞月の眸に男の顔が映る。

ただ愛しいと見つめる顔がある。

 

 

 

信じきった、

あどけない小さな白い顔が

自らの肉体という檻に囚われた高遠を責め立てた。

高遠にして高遠でない男は、

無遠慮なまでに瑞月を見つめている。

 

 

「そうだな。

 きれいだ。

 

 御挨拶するぞ」

 

包み込むように深い声だった。

 

 

 

とことこっと奥に進む瑞月に届かぬ声で、

鷲羽海斗が

分かった上で瑞月を託しているなら、

どういうつもりなのか。

 

 

 

「それでは

 拝礼を」

 

すっと政五郎が腰を屈め、

もってきた包みを台に置くのが視界の端に見える。

高遠の目はようやく台をとらえた。

 

一振りの小柄がそこにあった。

勾玉と並べたら

さぞ見事だろう。

その柄に埋め込まれた親指ほどの石は障子越しに注がれる陽光を吸い込むように、

赤かった。

  

 

画像はお借りしました。

ありがとうございます。



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