この小説は純粋な創作です。

実在の人物・団体に関係はありません。

 

 

 

 

「闇の匂いがするよ、

 こいつ」

 

白く透ける肌に血の色をのぼらせ、瑞月はか細い肩を張る。

昂然と言い放たれた言葉に男は唇の端を引きつらせている。

図星なのだろう。

闇金に追われているのだから。

 

 

だが瑞月は闇金なんてものは知らない。

もちろん闇は単純に闇なのだ。

西原は改めて男を注視した。

 

 

 

「言い掛かりつけてんじゃねえぞ

 ガキっ!

 すっこんでろっ!!」

 

昼下がりの公園で、

背を屈めるようにして過ごしていた男が、

闇(闇金)に過剰に反応している。

 

虚勢をはる声音も表情も、

この男のもので、

闇に操られる傀儡の纏っていた仮面めいた風情は感じない。

 

 

 

「下っ端のくせにっ

 お前なんか怖がるとでもっ?」

 

「こっちのセリフだっ!

 どけよ

 クソガキ

 用があるのはその女だっ!!」

 

 

赤黒くなった顔が歪み、

その腕が瑞月に向かって掴みかかる。

膳の下げ台を軽々と飛び越しながら

西原は高遠がそれを払いのけるのを目の端に捉えていた。

 

 

そのまま男を押さえ、

ここは善良な庶民として警察に始末を任せる。

アキの事情もそこで片が付く。

政五郎もこのありふれた金と色恋のトラブルを眺めているということだ。

そう西原は腹を決めたのだ、地を蹴ったときに。

 

 

アキが思い切ったように飛び出すのが見えた。

サヨは悲鳴を押さえるように両手を口にあてていた。

綾子が自分の後に続いて屋台から飛び出そうとしていた。

政五郎の半眼に閉じた横顔は動かない。

 

 

 

そして、

屋台を巡る空間はゆらりと輪郭をゆらめかせた。

着地までの時間が飴のように伸びる。

脚を下ろす地面が布でもはためかせるように揺らぐ。

 

 

 

西原は目を閉じて集中した。

ざっ、という音は公園から場は動いていないことを示した。

静かに目を開けるとやはりそこは園内だった。

少しも変わらない。

ただ木々のさやぎが消えていた。

 

 

しんと静まり返るそこに

瑞月がそっと闇が臭うという男の怒りに歪んだまま凍り付いた顔に

指を触れようとしていた。

その手を静かに高遠の手が止める。

西原はゆっくりと立ち上がった。

 

綾子が駆け出した勢いを持て余して佇立し

この静止した世界を呆然と見回していた。

西原と目が会うとほっとしたように合流する。

 

 

ボランティアの四人組、

鷲羽の訳あり軍団は身を寄せ合って辺りを見回した。

 

 

屋台には政五郎が静かな横顔を見せていた。

アキが両の拳を握って足を踏ん張り振り乱した髪もそのままに凍り付いていた。

ベンチに座った老人たち、

散策の途中の犬とその飼い主、

さながら塑像のごとく動かない。

 

 

そして、

しわがれた声が殷殷と響く。

 

「久しいのう。

 鷲羽の長よ

 そろそろ己の器に気づいたかな?」

 

長という言葉に瑞月の顔は明るみ、

きょろきょろと辺りを見回す。

それがしょんぼりとするのに、

さして時間はかからなかった。

 

 

そう来たか…………。

 

 

墨が滲むように黒い影が

闇が臭うという男の肩に小さな渦を巻く。

一瞬の後には

そこに小さな老人がちょこんと蹲っていた。

 

 

「長よ

 年長者の問いには応えるのが礼儀であろうよ。

 鷲羽では違うのかな?」

 

 

西原は無表情を保ちつつ心を静める。

長は鷲羽海斗だ。

それを疑う心は微塵もない。

が、

『長』と呼ばれておかしくない男はもう一人いる。

 

 

 巫の心を得て、

 鷲羽の里にあって人心を掌握する男

 

 

 

「海斗はいないよ。

 それに、

 いたって応えたりしないよ」

 

瑞月が凛と声を張る。

もちろん瑞月にとって長は鷲羽海斗ただ一人なのだ。

その無垢は諸刃の剣だ。

西原はざわつく胸を必死に静めた。

 

 

 

「おうおう

 巫よ、

 また羽化を遂げたようじゃなぁ。

 美しい!」

 

化鳥はくっくっと喉を鳴らす。

キッと瑞月の眸に怒りが点る。

 

「さて、

 巫からも言うてくれぬか。

 長は先ほどからだんまりじゃ。

 ほれ

 その高遠豪じゃよ」

 

えっとたじろぐ瑞月が傍らを振り仰いだ。

いつも変わらずそこにいる男は眉をひそめて化け物を睨む。

高遠は落ち着いていた。

 

「そんな言い掛かりで揺らぐほど

 鷲羽の結束は甘くない。

 与太話はそれだけか。

 

 さっさと帰るんだな。

 実体を作れるまで回復したら

 また相手をしてやる」

 

 

化鳥は皺深い顔をカクンと傾ける。

たださえ異様な縮んだ姿に頭部だけが尋常なサイズであるところが、

禍々しい。

 

 

「そう急かしなさるな。

 巫にも承知しておいてもらわぬと、

 若き長殿も不便じゃろうと

 兄長殿のおらぬ今、

 こうして老体に鞭打って参ったのじゃ。

 

 のう姫御前。

 若き長殿にご執心なのじゃろう?

 そなたとて知りたかろうに」

 

 

目を丸くはしていたが、

怖れをなしてはいないらしい綾子は、

突然振られた姫御前という呼び名が己のことと呑み込むのに

いささか時間がかかった。

 

 

音がしない空間の数秒は

なかなかの長さだ。

 

 

「………あら、わたしのこと?

 それじゃあ若長が高遠様?」

 

素っ頓狂な声は、

まるでババ抜き中にぼーっとしていて

自分の番に気づかなかったとでもいった調子だった。

空気を読まない才能はさすがにお嬢様である。

 

が、

そんな事態ではないのも事実だ。

そのままごめんなさいとでも言い出しかねない口調が、

高遠の眉を震わせ、

瑞月の睚を吊り上げさせる。

 

「あーちゃんっ

 長は海斗!

 こいつ悪い奴なんだから返事しなくていいのっ!!」

 

 

びしっと叩きつける口調が少々荒いのは、

たけちゃんを取られそうな気がするからだろう。

微妙なところで混じる嫉妬が緊張感にあいた穴をさらに広げる。

今夜はまた恋愛講座の開設をすることになりそうだ。

西原は思わずため息をつきかけ、

いやそれどころではないと踏みとどまった。

 

 

 

が、

天然同士の掛け合いは

ますます横道に逸れていく。

 

 

「瑞月さんと海斗さんのことは、

 ちゃーんと知ってます。

 その小さな老人が

 そうおっしゃったのかしらって確かめただけでしょ」

 

「じゃあ

 あーちゃんまで

 若長って言わないでよっ」

 

「長じゃないでしょ。

 若長でしょ。

 ご立派な男性って意味なら海斗様も豪様も同じじゃないっ」

 

 

すうっと翳が波打つ。

空気が冷たく肌を撫でた。

闇の本気は分かりやすい。

西原は慣れが過ぎる己に嫌気がさしながら気を引き締めた。

 

澄み切った青空だけは残っていたものが、

蓋をされたように視界から消え

巨大な顔が取って代わる。

 

 

皺だらけの顔が

にいいいっと嘲笑う。

 

「そうとも姫御前。

 誰が見ても遜色のない殿御を

 勾玉は二人揃えた。

 

 長の器。

 器は巫の声で満たされる。

 

 のう巫、

 若長は

 そなたが呼べば聴こえる器をもっておったろう?

 繭に籠るたびに呼んでおったではないか。

 

 そなたが呼ぶ男は二人。

 そなたの声を聴く男は二人。

 そなたのために勾玉は二人の男を選んだ。

 

 さあ

 麗しき巫よ

 今宵は若長の愛を受けるのかな?」

 

 

瑞月の華奢な肢体を呑み込もうと

巨大な顔に刻み込まれたような亀裂から

黒い真っ黒な洞穴がぐうっと開いた。

 

 

画像はお借りしました。

ありがとうございます。

 



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