本編書き出して

一場書きましたら、

これだるくないか?と思い、

一気に削っちゃおうかなと思い…………、

とりあえず明日に回すことといたしました。


記事から参ります。

書いて余力ありましたらまた何か書いてみます。

 

 


⭐スノウドロップ  希望


 

 

また

お若い方の自死が報じられ、

また命の電話の御案内がニュース画面いっぱいに提示されました。

 


ふっとかき消すように失われてしまう命が、

もどかしいまでに遠く感じられます。

 

 

何のために生きるのか。

そう問われ、

言葉を紡ぎますと、

紡いだ分だけ答えから遠ざかるようで、

それは虚しく感じます。


意味は見つけるもので、

与えられるものではございません。



 

⭐シオン  君を忘れない

 

 もう二十年も前、

 還暦を前に職を去ろうとする方を

 引きとめたことがございます。

 

 その方がやりたいと言っていたアイディアは

 とても興味深いものでした。

 実際、

 それをなさった時を語るお顔が懐かしそうで楽しそうで

 ああ実現したいと思ったのです。

 

 でも、

 とどまってはいただけませんでした。

 他に夢あってのことでしたら

 あるいはご家庭の事情があってのことでしたら

 引きとめることは断念すべきもの。

    でも、

 そうではなく、

 続けていくことに意味を感じられなくなったとおっしゃった。

 かつて嬉しそうに語られたアイディアも、

 もうその方を止められませんでした。

 



 

ふっと思い出します。

自分の住む世界を変えて生きて見る。

そうした選択も早期退職を機会としてできる時代でした。

 

命を絶つ。

そのことと並べて語りますのは、

重さが軽すぎますが、

打ち込んでいたはずのものが急速に色を失うとき、

それを他からはどうしようもなかった記憶として忘れがたいものです。

 

 

 

明日を生きる意味。

真正面から向き合いますと、

それは言葉に紡ぎましても形をもちません。

 

あるときにはあり、

消えてしまうときには言葉では戻らない。

 

 

 

意味はいい。

忘れる。

囚われたら「意味がわからなくなったとき」が

たいそう恐ろしく思えます。

 

 

「命」と「人生を生きること」

ここは分けて凌げないか。


 

生きる意味があるから生きる。

生きる意味がないから生きるのをやめる。

そんな二択しかないロシアンルーレットは危険極まります。





 

 

 

合唱曲を一つ、

思い出しました。

 

命はいきるための電池みたいな物だけど

失くしたら二度と戻れない

 

僕は生きてゆく 命ある限り

意味のない人生なんて どこにもあるはずがない

「命あるかぎり」宮越由貴奈 原作 若松歓 作詞・作曲

 

 

ほんとに意味が見つかるかは保証の限りではありませんが、

命を電池にたとえますのは真摯な喩えでございます。

宮越さんは五歳で発病し、

病院の院内学級で学びながらこの歌の原作にあたる詩を書かれたそうです。

11歳4ケ月で亡くなられたそうです。

 

命は生きるための電池。

生きる意味は生きていく間に見つかるなら見つかる。

失くしたら戻らない。

それを失くしたらすべてが失われる。

 

 

生きる意味があると感じる人は感じますし、

感じない人は感じないことに苦しまれるもの。

でも、

その苦しみを感じるという確かな「生」がそこにございます。

 

 

感じますこと、

五感に感じますこと

そのことそのものが「生」でございます。

 

 

お若い方々が

それを惜しんでくださいますように。

感じることは生きることですもの。

 

 

画像はお借りしました。

ありがとうございます。

 

 

 

 



人気ブログランキング