この小説は純粋な創作です。

実在の人物・団体に関係はありません。




 

トレーを片付けながら

西原はテーブルと遠巻きの学生たちを見比べた。

 

屋台は一気に忙しくなっていた。

作業服の男たちがテーブルの一つを囲んでいる。

事務職のお仕着せの女たちがトレーを手にして

もう一つのテーブルに向かっていく。

大学だけでなく近隣の事業所に働きかけ、

チラシを置かせてもらった効果が出ているようだ。

 

 

学生たちは

早出のグループがテーブルを確保したが、

続く連中はトレーを手にベンチを確保するものもあれば、

木陰にどっかりと腰を下ろすものもある。

 

 

遠巻きのグループは一つではなく、

食べにくるでもなく

こちらを窺いながら屯するばかりだ。

その一つに薄っぺらなハンサムのヤマモト何某が見える。

 

 

 

腰が落ち着かぬ若いのは

何か見るものはないかとつるむ。

見るものはここにあり、

美女に振られたヤマモトが何か目論むなら、

見るものにはなるのだろう。

 

ヤマモトに何事か話しかけている者がいる。

つついて本当に動き出すならそれも面白い。

動かぬならショバを変えたいのだろう。

 

いつまでも動くものがなければ、

ここにいて楽しくはない。

 

 

 

美しい薔薇にはトゲがある。

これ以上絡んでくるなら、

西原は打つべき手を打つだけだ。

だが屋台の運営には響く。

そして薔薇は心をもっている。

それを守ることを瑞月は教えてくれた。

自分は気づかずに傷つけていたとしてもだ。

瑞月を連れていった高遠はなかなか帰らない。

 

 

トレーをきっちりと消毒用ティッシュで拭いては、

アキの脇に積み上げる綾子は、

一心にトレーばかりを見つめている。

 

 

西原は

ゴミの分別に身を屈めながらも、

そこにいることをさりげなく遠巻きの一群に見せつけることを意識した。

政五郎の言う『男』の匂いは防虫剤の役目も果たす。

綾子の傍らを離れるときは横に並び立ち、

華やかな美貌を優しく見下ろし言葉をかける。

 

 

 

 

アキとサヨが屋台を懸命に回す。

そこに手伝いの二人が骨身を惜しまず手助けする。

屋台の脇で床机に腰を下ろした政五郎は機嫌よく首にかけたスマホを覗いた。

目を細めて笑う。

 

 

 

西原が腰を伸ばし、

散歩道の先を眺める。

 

 

少年が二人、

林の陰から姿を現した。

西原はふっともう一人をその後ろに求める。

そして改めて二人を眺めた。

 

 

「おやおや

 トム、

 心変わりするなよ、

 ありゃ別物だぞ」

政五郎が床机から立ち上がった。

 

 

 

瑞月がまっすぐ下げ台に向かっているのが、

その動線から、視線から、ひどく真っすぐに伝わってくる。

落ち着いて歩く姿からそこが伝わるのは、

西原には初めてのことだった。

 

 

 

ここまで繊細な造りの容貌は、

精巧なガラス細工に通ずる風情をもつ。

一瞬で砕け散る儚さ、

それは一瞬たりとも目を離させぬ魔力をもつ。

 

これまで見つめて来た

あどけない表情も、

透き通るほどに清らかな表情も、

それは脆さを内包して西原の心をそそった。

 

 

だが、

今、

すぐ目の前に立った少年には、

触れなば落ちんどころか………………触れる指を許さぬ強さがあった。

眸にその美は宿り、

いつもなら自分を見上げる視線は、

小揺るぎもせず綾子に当てられている。

 

 

 

目を奪われていたのは、

やはり休暇の緩みかもしれなかった。

 

「やあ カワイ子ちゃん

 君がその巻き毛の彼氏の本命だったのかい?」

 

瑞月に、

横から声がかかった。

二人が戻るのを待っていたのは、

この似非色男のヤマモトも同じだったのだろう。

うすら笑いで綾子を横目で窺い、

瑞月を頭から足の先まで嘗め回すように見ている。

 

 

 

ヤマモトの連れは野次馬といったところだ。

薄ら笑いは一緒だが、

距離を取っている。

 

そして、

瑞月の守備網は動き出していた。

さりげなく屋台に近づくセールスマン風、作業員風の男たちがいた。

実力行使せねばならぬ事態は避けるが

それにも備えなければならぬ。

警護班は頼りになる。

 

 

つくづくと懲りない男なのだろう。

瑞月が年少であるからか、

綾子に対したときより無遠慮な視線に、

西原はたった今殴り倒したい気持ちを表情に出さぬことに苦労した。

政五郎に一喝してもらえば、

この手の連中は苦も無く追い払えそうだが、

用心は床机に腰かけたまま見物を決め込んでいる。

 

 

 

「綺麗な子だねぇ。

 これは綾子さんが叶わないはずだ。

 俺もグラッと来るよ。

 君なら抱ける…………。」

 

「それは

 僕に言っているんですか?」

 

 

浮ついた悪意に満ちたヤマモトの声が

零下数十度の冷たさを孕んだアルトに断ち切られた。

 

 

 

「あ、ああ

 そうとも

 他に誰かいる?」

 

怯んだヤマモトは

かえって声を強くする。

華奢な肢体を見くびっているのだろう。

そこそこスポーツやってきたといった様子は、

高校まではレギュラーでしたといった程度ではないかと思われる。

 

 

 

「そうですか。

 では、

 あなたにお返しします。

 

 あなたが僕にぐらっと来るかどうか、

 僕は興味ありません。

 それが嬉しいとでも思ったんですか?」

 

切り捨てる冷たさは

感情を込めぬまま白い炎となって燃え上がった。

視線はヤマモトに当てられ、

口許は冷たく口角を上げている。

 

 

「このっ……!」

 

「僕も綾子さんも

 売り物じゃない。

 勘違いしてますよ。

 

 それとも

 僕たちが声を掛けられただけで

 あなたにぐらっと来るはずだとでも思ってた?」

 

ヤマモトが己を取り戻す前に、

恐ろしいほどの美貌に容赦ない蔑みを浮かべ、

瑞月は返した。

 

 

ヤマモトが地を蹴って

瑞月にとびかかる。

 

 

キャーーーーーっ

と上がった悲鳴はアキのものだった。

テーブルに座っていた女性客たちがばらばらと逃げ出す。

 

 

そして、

屋台から飛び出す西原に白い手がその甲をまっすぐに立て

“待て!”を示す。

ぎりぎり踏みとどまった西原の目の前で

やけにゆっくりとヤマモトの腕が伸びていき、

宙を掻いた。

 

 

ふんわりと飛ぶ瑞月を

高遠が見つめていた。

『ありゃ別物だ』

政五郎の言葉が西原の脳裏を掠めていく。

 

 

「お人形だと思った?

 捕まえられるもんなら

 やってみたら?」

 

すんなりと草地に立つ瑞月の姿が西原を圧倒した。

牙をもった巫は、

この昼間にあって冷たい月光そのままに、

冷たく冴えた光芒を放っている。

 

ただ自分を押しとどめた白い手は、

この少年のものだ。

守ると誓った少年に間違いはない。

 

 

ヤマモトは吠えながらとびかかり

また躱される。

仔猫はしなやかな肉食獣となり、

とんでもない反射神経を遺憾なく発揮している。

 

 

だが……捕まったらお終いだ。

 

 

サヨが鍋の前で口を両手で覆っている。

アキは何を握っているかと思ったらラップの芯だ。

そして、

高遠がいつの間にか綾子の前に立っていた。

 

 

西原は腹の中に冷たい塊を抱いた気がした。

身体能力が高いことは承知していたが、

体力は変わらないはずだ。

さらにコントロールする能力は怪しい。

 

 

身を躱す瑞月の動きは速かった。

今はまだ十分に速い。

そして、

ヤマモトの足下は躱されるごとに怪しくなっていた。

 

 

 

「トムさん!」

高遠が叫んだ。

 

西原は片手をさっと上げた。

トレーを持ったセールスマンがよろけるヤマモトの前にふらりと出る。

そしてよろけたヤマモトは悲鳴を上げるセールスマンの足に蹴躓き、

テーブルに顎をぶつけ、

座っていた女学生たちのカレーをぶちまけ、

それを頭からかぶりながらテーブルと一緒に地面に転がった。

 

 

瑞月はふっと膝の力が抜けたようだ。

その細い身体が揺らぐと同時に

高遠が抱きとめた。

 

綾子が

屋台を飛び出して瑞月のところに飛んでいく。

 

 

 

 

「う……訴えてやる!

 覚えてろ!

 訴えてやるからな!!」

 

そんな寝言は構わず、

西原は連れだっていた仲間に向かって微笑み、

ヤマモトを煽っていた男の前に進んだ。

 

 

 

「こちらのお友達ですね。

 ずいぶん長くこちらを眺めていたから

 気づいていました。

 警察と大学にはこちらからお話しておきます。

 

 お友達は一人で暴れていました。

 そして勝手に蹴躓いて、

 うちのお客様のカレーと一緒に転んだ。

 営業妨害という説明でよろしいですか?」

 

こういう話は、

一人に絞るのがコツだ。

 

「ああ……いや

 俺たちはカレーを食べにきただけで……。」

 

へらっと笑ったところに、

西原はスマホを出した。

 

「そうですか。

 で?

 よろしいですね?」

 

 

 

そして、

浮かれた学生はようやく顔を引き締め真顔になった。

 

「あっ

 えっと

 こいつは連れて帰りますんで、

 警察は勘弁してやってください」

 

「わかりました。

 でも話だけは通しておきます。

 後から訴えられても証人を探すのが大変ですから。

 

 こちらは被害届まで出すつもりはありません。

 じゃ、

 お引き取りください」

 

 

  

さすがに遠巻きになっていた客たちは、

カレーまみれのヤマモトとお友達の退場を潮に、

そろそろと帰り出そうかという流れになり出していた。

 

遅れて公園に入ってきた大学生の中には、

退散していく連中につられて戻っていく姿も見えた。

 

 

 

「綾子さん

 ごめんなさい」

 

そのざわつきの中、

その声は響いた。

動きかけた客たちが

秋空を思わず見上げる。

 

 

鰯雲が流れる空はどこまでも青かった。

そして、

その三人の群像は秋の陽射しに映える緑の上で静かに見つめ合っていた。

 

 

 

この騒動の元だった二人は、

騒がれるだけある美貌を、

お日様の下で、

ごく自然に、

あるがままにさらす。

それが清々しく、

公園に集う人々はそれぞれの心からも吹き払われていく何かを感じた。

 

 

 

「綾子さん

 ごめんなさい。

 

 僕は

 あいつと同じことをしました。

 

 あなたの気持ちを考えず、

 たけちゃんの気持ちを決めつけて、

 それを大きな声で言いました。

 

 ほんとうに

 ごめんなさい」

 

 

瑞月は

支えていた高遠の腕を離れていた。

 

それでも高遠の目は瑞月にあり、

振り向かず

しっかりと詫びを入れる少年を

この背の高い少年が大切に思っていることは

見る者の心に染み入る。

 

その大切さの種類を云々する言葉は秋空に吸われて消えていた。

大切なんだ。

それだけのことだ。

 

 

「ありがとう。

 ほんとに ありがとう。

 守ってもらって縮こまっていた心に翼が生えたみたいに

 軽くなりました。

 

 そしてね、

 瑞月さんの言葉を聞いていて

 私もあの男性と同じことをしていたって気が付いたんです。

 心から恥ずかしいと思いました」

 

そう言うと、

綾子は屋台の前に進み、

アキとサヨに向かって深く一礼した。

 

「アキさんのお気持ち、

 サヨさん始め皆さんの仲間を大切にするお気持ちを伺ったのは、

 ここに来てからです。

 

 自分の都合ばかり考えて、

 じゃあちょうどいいと、

 お手伝いなんだから喜ばれるだろうと押し掛けてくるのは、

 皆さんのお気持ちに対して恥ずかしいことでした。

 

 

 アキさん

 本当に失礼しました。

 そして、

 許してもらえるなら、

 明日も一緒にやらせてください」

 

 

綾子は大真面目だ。

ひたとアキを見つめる。

 

 

いきなり振られたアキが、

えっと

あたふたし、

そしてエプロンの裾を引っ張って、

もそもそと口を開いた。

 

「も、もちろん!

 明日も来てくれるなんて

 ほんとに嬉しいわよ。

 ……よろしくね」

 

「ほんとに助かります!

 嬉しいですよ!」

 

照れが過ぎて拗ねたような口ぶりになったアキをメっと睨み、

サヨが言葉を添える。

綾子が晴れ晴れと笑った。

大輪の花がポンと花弁を開いたようだ。

 

 

 

さあて、

と政五郎が立ち上がる。

公園は大人クラスの学活の〆を迎えたようだ。

 

 

「ようし

 瑞月!

 男になったなー

 よく頑張った。

 

 お嬢さん!

 あんたはアーちゃんに格上げだ。

 アヤちゃんは別にいてな、

 こんがらかっちゃーまずいから

 アーちゃんだぞ」

 

 

瑞月は

きゃっとはしゃいで

綾子に飛びついていく。

“男になったなー”は早くも仔猫モードに上書きされたらしい。

アーちゃん アーちゃんという無邪気な声が

大団円には相応しいものの、

西原は複雑だ。

 

 

“ようしお前はトムだ”

自分が安全野郎から“トム”に格上げされた学活が

思い出される。

 

出会ったとき、

あの豹めいた顔をしていたら、

自分は瑞月の傷に気が付けただろうか。

また

ガラスケースに入ったビスクドールのようだったという顔をしていたら、

自分は瑞月に近づこうとしただろうか。

 

無邪気な、

ただ信頼を寄せてくれる、

赤子のような瑞月、

育ち直しを始めたばかりの頃に出会えて今があるのではないか。

 

 

そんなことを思うと、

出会ったそのときに感謝する。

そして……鷲羽、いや佐賀海斗と高遠豪の存在が

やけに遠くも感じた。

 

 

だが、

感傷に耽る暇はなかった。

 

「皆様、

 美味しいカレー、

 準備できております。

 一皿600円!

 ちょっと知られた名店のレシピでじっくり煮込んだ一皿、

 ぜひぜひご賞味ください!」

 

政五郎の渋いいい声が秋空に響き渡り、

綺麗どころの瑞月とアーちゃんは

生き生きと遠巻きだった客たちに向かって駆けてゆく。

 

 

二人に引き連れられて

大学生も

労働者も

ぞろぞろと向かってくる。

 

 

 

ともあれと、

西原努は首をぶるぶるっと振った。

まずは本日の売り上げアップを図らねばならない。

高遠が配膳の手伝いに回るのを横目に

新しいゴミ袋をしっかりとセットする。

 

そして、

頭は警護対象の変化に対応すべく

既に警護計画の補正に向けて動き出していた。

いつ何時であっても、

西原は警護班チーフなのだ。

 

 

いきなり自助に走らせない。

本当に肝が冷えたのだ。

まずは言い聞かせればよいのだが、

豹は野生動物だ。

変身したときは言うことを聞くだろうか。

 

 

西原の悩みは尽きなかった。

 

 

画像はお借りしました。

ありがとうございます。




人気ブログランキング