ちょっと考えていました。

戦前から戦後にかけて教壇に立った方々の心を。

 

 




もう二十年以上前、

国歌を歌う

国旗を掲揚する

この二点が話題になりました。

起立しなかった先生が処分されたというお話だった。

そう記憶しています。

 



 

「君が代」「日の丸」

それが戦時を思い起こさせるということ、

そこに注目しますと

本当に難しい。

そう申しますのは、

沖縄出身の友人が強く忌避する思いを語るのを

聞いているからです。

 

この古書店でも第一期か第二期かで語りましたが、

アスリートのファンとしては

表彰台に立ち

日の丸を見つめ、

君が代を歌うアスリートに胸を熱くします。

それは自然に湧きあがるもので、

抑えがたい。

 

でも、

この国旗、国歌に対し、

拭い難い嫌悪を抱く方々が

確かにおいでです。

 

沖縄が今も背負う負の遺産を思いますと、

それはあって自然なこと。

そう思います。

 

 



 

敗戦の瞬間に断絶した何か

それを繋ごうとして

苦悩された方々がおいでだったのでしょう。

 

「天皇をお助けして國の仕事をした人々は、

 國民ぜんたいがえらんだものではなかったので、

 國民の考えととはなれて、

 とうとう戦争になったのです」(新しい憲法のはなし)より

 

という結合点が

人々の心をつなぎとめました。

 

 

ですが、

やはり思うのです。

朝の連続ドラマも戦意高揚を唯一の価値観とする時代に

差し掛かっています。

その時代に生きる人々が、

特に指導者の位置にあった人々が、

どう敗戦を乗り越えたのだろうと。

 

 



 

学術会議人事介入、

法に基づいてのものでございます。

一度、

そこに内閣総理大臣の承認というステップを成文化したなら、

法はもう成立していたのです。

 

口頭の約束は消えても

成文化された法は残ります。

 

 

 

学習指導要領に明記された「銃剣道」の履修、

これも今は成文化されただけです。

全国の中学校に銃剣、もしくはそのレプリカが置かれているとは思えません。

が、

それが配布されたなら成文化した指導要領は力をもつでしょう。



 

 

少しずつ

法が何かを乗り越えるたびに

自由は鎖をかけられ、

戦争の足音は近づきます。

 

 

 これを教えろ!

それが

大日本帝国であれ

GHOであれ

権力をもつものからの指令なら

それを教える。

それが国の組織というものでございましょう。

 

 

 

どうだったのだろう。

今の流れに痛感するところの

知らない内に決められていってしまうという感覚に、

戦前から戦後の教壇を思うのです。

 




 

母は立っていました。

が、

母に迷いや苦しみは感じたことがありません。

アメリカ兵が小学校にジープでやってきた日の話を聞きました。

幼い子どもたち同様、

まだ18歳の少女は怖かったことだけをよく覚えています。

そんな風に乗り切れたのは、

年齢も立場も『女の子』だったからでしょう。

そう思っておきたいです。

 

 

 

今、

繰り返し読む清家雪子さんの『月に吠えらんねえ』に引用された

戦意高揚の詩歌を綴った詩人たちの苦悩を

読ませていただくにつけ

思うのです。

 

 

人の人生は一つの継続した物語ですから、

自分の口が語ったこと、

自分の筆が書いたことと自分を切り離すことはできますまい。

もう

どんな言い訳も残されていません。

 

 国民ぜんたいで選んだ議員さんたちが

 政治を司っています

 

わたしたちが選んだ政治はわたしたちをどこに導くのでしょう。

わたしたちはどうなっていきますでしょう。

そして新しい法の下、

わたしたちは魂を守る自由をもっていますでしょうか。

そこが不安になるこの頃です。

 

 

わが詩をよみて人死に就けり  高村光太郎

 

爆弾は私の内の前後左右に落ちた。

電線に女の太腿がぶらさがつた。

死はいつでもそこにあつた。

死の恐怖から私自身を救ふために

「必殺の時」を必死になつて私は書いた。

その詩を戦地の同胞がよんだ。

人はそれをよんで死に立ち向かつた。

その詩を毎日よみかへすと家郷へ書き送つた。

潜航艇の艇長はやがて艇と共に沈んだ。

 

 

 


 画像はお借りしました。

ありがとうございます。

 




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