わがこころ 環の如く めぐりては
君をおもひし 初めにかへる

        川田 順

初めは
ある意味〝演技〟ではなかった。
それは
一心に滑る思いが突き進んでいくかに見えた一瞬に
その〝人〟に引き寄せられたのだった。





自身の書いた〝もともとは〟に誘われて
あらためて
君をおもひし初めにかえっています。


写真どころか、
ネット検索もしなかった。
ただ一本の動画だけを毎朝見ていた。




そこに諦めない魂があったから。



ふふっ
店主、
出不精から引っ張り出されるのにも
とても とても 長い時間がかかったのです。
えーい行っちゃえーー
は、
町田樹選手ファンの若手が
浮いちゃった高橋大輔選手ファンのチケット抱えて
話しかけてきたことが始まりでした。
「すずきさん
 好きなことのためなら
 いくら出せますか?」




うん
えっとお写真ではなかったですね。
それは確かです。



今日、
高橋大輔選手のアイス・ショーを
テレビで拝見いたしました。
高橋選手シングルスケーターとしての最後のプログラム〝フェニックス〟、
群舞を交えた構成で拝見しました。





見事でした。


で、
また
自身の観るポイントを思いました。


スケートの技量は
振付をなさったミーシャ・ジーさんが
一段高い。
プログラムの練習を追った番組を見ましたとき、
それを強く感じました。
そこはショーでも変わりませんでした。





体の芯がぶれない。
スケートの上にしなやかに足は続き、
その全身は疾走するスピードに見事に乗っている。
ミーシャ・ジーさんの現役生活は、
四回転ジャンプ全盛の中、
ついこの間まで続いていました。
技量はスピードにもっとも現れます。
すごいと思いました。



が、
それを一々感じとるくせに、
目は高橋選手に引かれます。
既に放映済みの全日本エキシビションでも、
繰り返しフェニックスは拝見しました。



スケートの技量とは別に、
目を引き付けるものがある。
それは確かなことと思います。
だって
見てしまうのですもの。
そして、
〝さすがは高橋大輔〟と思いました。
店主が彼の演技に引き付けられますのは、
何よりその魅せるセンスなのだと思います。





さて、
思い切り時間を遡り、
羽生結弦選手の19歳まで戻ります。
圧倒的なスケーティング技術と共に語るスケートを武器とした
パトリック・チャン選手に挑んだソチ五輪までの羽生選手は、
ジャンプを跳ぶことに勝負をかけていました。


店主が
その頃のお姿を毎朝見つめましたのは、
演技の巧拙や演技から訴えるものを求めてではございませんでした。

また、
その元となった2013世界選手権フリーも、
舞台芸術一般に対する感覚では、
その演技をあそこまで見つめなかったでしょう。

涙で見えなくなりかけながら、
もういい もう跳ばなくてもいい
と叫びたいような思いに
いつしか祈りが加わっていました。
跳ばせてあげてください。
この子に跳ばせてあげてくださいと。





何に引かれますかは
さまざまでございますね。
そに意味では、
そもそもの〝好き〟は正直なものなのだと思います。


オペラ座の怪人からこっち、
その演技に目の前で異界を構築してみせる羽生選手に、
その演技を観ますときは、
そこに見えたものをことばにしてみること、
わくわくいたしました。



本当に次のステージへと
フィギュアスケートという競技を押し上げてみせた選手と思います。
人気のことではございません。
演技です。
そこには見える。
音楽が見え、
風がわたり、
波が起こります。
しかもとんでもない技術をちりばめて。


で、
今、
シーズン最後の二試合を前に、
その完璧な演技を観たいと思っているか、
そこが微妙な店主でございます。



観たい。
それは観たい。
そして観るのではないか。
そう思っています。

あのボストンのときのように
涙で見えなくなりかけたその涙が
げげっと引っ込み、
そこに初めて展開するORIGINの世界に呑み込まれている自分。

そうあったら
それは
どんなにか幸せだろう。




それでも、
その呑み込まれた中でも、
筆はそれを追わないかもしれません。
追うかな
追わないかな
どうでございましょう。


舞台といいますものは、
素が出ますと崩れるものでございます。
羽生選手が出さずとも
観る心に思いが溢れだしているかもしれません。


初めのおもひにかえるなら、
店主は
ただ願います。
どうか思いのままに
この子に滑らせてやってくださいと。






初めのおもひに
書かせていただきました。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。






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