この小品は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




仔猫は
そっと襖を開けると
こそこそっと後ろをきょろきょろして、
ぴったりと閉める。

小さな小さなおじいちゃんが
小さな小さな細工物みたいなお部屋に
寝てる。

だあれもいない。


〝御前は
 お休みになりました。
 私たちはお邪魔になります。〟


咲さんが
女衆を広敷に集めて
そう言った。
おじいちゃんが眠りはじめて
三日目のことだった。

たけちゃんがいなくなるたびに、
ちょっとずつ
ちょっとずつおじいちゃんの眠りは長くなっていた。
そして、
何回目の遠征になるのかしら、
最後の落ち葉が散る頃、
縁側で瑞月と並んでる可愛い後ろ姿は、
なくなった。
ちょっとお風邪を召したのよ。
優しい母はそう言い聞かせた。



おじいちゃんは
たけちゃんが戻ったとき、
ぱたぱたって
可愛らしい足音を立てて
たけちゃんが立った玄関に駆け出してくる。



それはもう分かってる。
だって
そうだったから。


〝たけちゃん
 おかえりっ〟

まるで何もなかったみたいに。
そして、


〝御前、
 転びでもしたら
 大変です。
 たけるさんが笑ってますよ。〟

たけちゃんは
ちゃんと笑ってた。

〝ただいま戻りました。
 応援ありがとうございました。
 瑞月、
 いい子にしてたか?〟

たけちゃんの笑顔に仔猫が飛び付いていく。
なにも知らない瑞月をはさんで、
海斗とたけちゃんが目を合わせた。



たけちゃんと瑞月はリンクに通う。
瑞月が滑る。
たけちゃんが滑る。
その時間が戻ってきた。



出発の時、
たけちゃんは
仔猫を抱っこして
優しく何か囁く。
仔猫がぎゅっとたけちゃんを抱き返して
目を閉じる。




一緒に行くはずだった旅は
たけちゃんだけの旅になった。
ここに残ること、
誰が言い聞かせたでもなく、
仔猫は納得していた。



そして、
また、
たけちゃんは出発し、

〝じゃあのう
 わしは一眠りするよ。〟

とことこお部屋に向かうおじいちゃんを、
私たちは見送った。
今度は、
最初から咲お母さんは宣言した。


〝さあ
 いつも通りですよ。
 広敷にお昼の用意ができてます。
 最初の皆さんはどうぞ。〟

咲さんがわかってる。
おじいちゃんはだいじょうぶ。
だからいいの。


ここには
だあれもいなくていいの。
いてはいけない。
おじゃまになるから………。


小さな小さなおじいちゃんの
小さな小さなお部屋は
だから
だあれもいなかった。



仔猫はほうっと息をつく。
誰も追っかけてこなかったわね。
そんなに用心しても、
西原チーフは
今頃
檻の中の熊さんみたいになってるわよ。


そして、
海斗は思いきり無表情になってる。
Web会議の画面が凍りついてるんじゃないかしら。



「黒ちゃん
 しーーーーっだよ。」

仔猫は人差し指を唇にあてた。
キラキラの目が利かん気に光ってる。
退かないときのこの子だわ。


ニャー………。


仔猫は
ぱたっと
おじいちゃんの横に
張り付いた。


「おじいちゃん
 たけちゃんが呼んでるの。
 みづきって聞こえたの。
 たけちゃんのとこ行かなきゃ。」

おじいちゃんは動かない。
えっ?
仔猫は小首を傾げる。

………甘やかし過ぎてるからこうなる。
死ぬときを待っているだけってのは問題だったけど、
お願いすれば何でも叶うってのもどうかと思う。


「黒ちゃん!
 お願い!!」

突然のアップ。
なんて可愛いの。
涙滲んでる………と思ったのが運の尽きだったかも。

お部屋がグラリと傾いた。
渦を巻くように消えていく。
代わりに
白い天井と壁が現れて
折り畳みのパイプ椅子に座ってる
たけちゃんが真下にいた。


足先をバケツに突っ込んでるのは、
怪我をしてるってことかしら。
殺風景なお部屋に
小さなクリスマスリースが愛らしい。



〝たけちゃん!〟
瑞月がふわりと舞い降りた。
そして、
たけちゃんの中に消えた。



そして、
私はおじいちゃんの布団の上で
ぴょんと跳ねていた。
続こうと思ったのも
たけちゃんに触れたのも覚えてる。


跳ね返されたみたい。
そして、
瑞月は
おじいちゃんの脇にコロンと丸くなっていた。
鼻を押し付けてみると、
呼吸はしてる。
おじいちゃんと一緒ね。


〝ご苦労さまじゃったのう。
 さすがは黒ちゃんじゃ。〟

おじいちゃんの声がした。
可愛い寝顔は変わらない。


〝………私は何もしてないわ。〟

私は背中の毛を舌で撫で付けた。
慌てて飛び降りたのが
気恥ずかしい。


〝それでもじゃよ。〟

おじいちゃんは
そういうのスルーしてくれるから好きよ。
でもね、
それで済むことじゃない。


〝いいの?〟
私は尋ねる。


〝どうにかできるかい?〟
おじいちゃんは返す。

〝………………そうね。〟

もうすぐ
たけちゃんが戻る。
全部やりとげて戻る。
そのとき考えましょう。

〝瑞月、
 迎えに行かなくてもだいじょうぶかしら。〟

〝平気 平気。
 二日もしたら一緒に帰ってくるじゃろ。〟

〝ちょっと!
 それじゃ海斗が収まらないでしょ。
 今ごろは
 この部屋のモニター映像開いてるわよ。
 我慢できるわけないんだから。〟

気にするまでもなかった。


「たけちゃんっ!」

瑞月が
ぴょんと跳ね起きた。
きょろきょろする。

ニャー………。

私が鳴く。


カラリ
襖が開いて
海斗が現れた。


「海斗
 たけちゃん
 だいじょうぶかな………。」


内緒でやって来たことは
もう忘れてる。
仔猫は海斗に向かって両手を差し出した。


抱っこしてほしい。
もちろん抱っこは与えられる。



「あのね、
 もうだいじょうぶって言うの。
 帰れって。
 ほんとにだいじょうぶかな………。」


甘い声が不安げに震える。
海斗が私を無表情に見下ろす。



私は思いきり伸びをして、
殺気立った狼さんの足の横をすり抜けた。
ちょうどいい時間だわ。
そろそろお昼をいただこうと思ってたの。


いいこと?
これは
あなたの仔猫ちゃんがしたことなの。
カリカリしないでほしいわね。


遠く、
喝采の声が谺する。
まだどこか繋がってるのね。

ひどく明るい広い空間を
人間が階段状にぎっしり取り囲んでる。
日の丸がずらりと並んでるのが壮観だわ。
みんな手を振ったり叫んだり、
拍手だけじゃ足りないみたい。


たけちゃん、
よかったわね。
あなたは最高よ。
その喝采を受けるに足る男だわ。


ちゃんと返してくれてありがとう。
仔猫には本気しかない。
本気しかないから気づかないのよ。
狼さんにはこれが浮気だってね。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。




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