この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




滑り込んでくる大型のセダンが、
ゆったりと車寄せを回ってくる。


運転席から降り立った四十がらみと見える男は、
急ぎ足で回り込んだ。
ルーフ越しに長身の男が身を屈める。
角張ったいかつい顔を引き締めて、
男は後部座席のドアを開けた。


革靴が玉砂利に下ろされる。
うつ向いた横顔は
変わらず端正だ。


恰幅の良い体躯を絽の羽織に包み、
宿の主は
身を屈める。


砂利を踏む音だけが聞こえる。
足音は一つ、
一つだった。


ゆるゆると顔を上げ、
客人を迎えると
運転手を務めた男は控えたまま主人を見送っている。

そして、
鷲羽海斗は、
雪うさぎをその腕に軽々と抱いていた。
今日も白。
白だ。
その白を主は味わう。


肌が透ける。
その透けた肌も白い。
腰で結ばれて垂れた白は揺れて男の黒を透かせる。


黒だ。
主の目は鋭くなる。
見定めるべきは客だ。
鬼の栖を訪う客は男と決まっていた。


連れは
その情を受ける器、
美しくいとしむべき器だ。



この客は黒を纏う。
変わらない。
陽光を受けて光沢を放つスーツは、
生地も仕立てもこの宿の客に相応しい。
主は改めて己が見込んだ男に見惚れた。


地位も力も
己に相応しいものを得た男は
警護を務めていた’頃から
王者の風格で他を圧していた。


それを思うと、
自らの人を見る目にも満足する主であった。



「鷲羽様、
 ようこそおいでくださいました。
 お待ちしておりました。」

主は腰を低くして
客を迎えた。



「ご造作をおかけする。
 我が儘を言って申し訳ない。」

頭上に
低く響く声も変わりない。
良い声だ。

顔を上げて近々と見れば、
連れの少年の微かな寝息が生々しい。
逞しい胸に
小さな頭が
ことん
預けられていた。




「身一つでお越しとのこと、
 準備万端整えてございます。

 お世話は、
 前回と同じ者が承ります。
 何なりとお申し付けください。」


男たちをその秘密ごと迎えとる。
それがこの〝鬼の栖〟を名乗る宿の役目だ。



「ありがとうございます。」

声に揺らぎはない。
が、
身一つでとは面白い。
鷲羽の屋敷が承知の泊まりではあるまい。

主は
直立不動のままこちらを見ている男に
目をやった。

「お供の方にも
 お宿を用意いたしました。
 お呼びしても?」

「いや
 こちらに警護は無用。
 かえって失礼と思います。」

「では、
 どうぞこちらへ。」

主は
もう問うことを止め、
庭へと進んだ。
男は帰る。
客の領分に立ち入ることは慎むのが情報だ。



特別な宿は、
主の屋敷とされた敷地に
ひっそりと構えられている。


滝と四阿。
それを巡る緑陰。


緑陰に
水音が響き
梢の先に雲は細く流れる。
庭を吹き過ぎる風は清けく、
まさに今が初秋の候であることに
気づかされる。




地位も力もある鬼たちは、
それぞれが俗世に疲れている。
鬼の栖は、
その垢を削ぎ落とす風情が必要だ。
妄も懊悩も大体がそこにある。
主は自身もそれを楽しみながら庭をそぞろ歩いている。



だが、
今日、
迎えた鬼は、
ちがう。
ちがうのだ。

黒電話が鳴ったときから、
主はわくわくしていた。
ちがうという確信が主を楽しませる。






この男に限り、
世俗の欲に’まつわる妄は抱くまい。
長としての力量は計り知れず。
事実その未来は洋々と開けている。

初夏、
鷲羽が復興を柱に打ち出したネットワークは、
順調に滑り出し、さらに大きく成長している。

この男を頭としてより、
鷲羽は目覚めた龍の如く
動き出した。
それが政財界の評価であることを
主はよく承知していた。




くふーーん’

愛らしい吐息が背に聞こえた。

いい子だ 
いい子だ

あやすように甘く低く鬼は囁く。



秘め事を覗き見たび等しい
ざわめきが
主の胸を騒がせた。


すー………すー………
その声に安らぐ寝息に、
恐らくは
その小さな顔を覗き混んでいるだろう男の切なげな横顔が浮かぶ。




妄があるとするなら、
この雪うさぎ。
それに違いない。


四阿に滝の配された池から引いた遣り水に添うて
主は竹林に入る。



「こちらでございます。
 静かでございますよ。
 冬のお部屋は
 鐘の音がよく聴こえましたでしょう。

 こちらは
 不思議に音が届きません。
 竹に吸い取られてしまうのでしょうか。
 ただただ静かでございます。

 こちらの音もね
 外に洩れない。
 洩れないのでございます。」

茅葺きの小さな門を主は潜った。
己が予想した妄が当たっているかは
これからのことだ。

だが、
一つははっきりしていた。。
床入りは済んでいる。
それは妄を呼び起こすものだ。




イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。
ありがとうございます。






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