この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。






一台の車が
その図体に似合わぬ優雅な捌きで
急カーブの続く山道を抜けていく。
古くからの温泉街は
この峠を越えた山腹に抱かれて
静かに客の訪れを待っている。


下界はまだまだ暑さ厳しい初秋、
涼やかな風渡るここは
秋の気配が風にも空にも感じられた。




鷲羽全力の影の支えを存分に受け、
大人クラスのフェスタが陽気な打ち上げに終わった夜、
仕事がたまったという海斗は
瑞月が眠るのを待って
寝室を出た。

額にキスをもらって
瑞月は眠った。
眠るまではと添い寝ももらい、
その顔は安らかだった。


朝、
目覚めると、
海斗はもうスーツをきっちりと身に付けていた。

瑞月は言われた。
「出掛ける。」




その前日に時は戻る。
温泉街に連なる広大な敷地を有する屋敷に
古びた黒電話があった。


それが
まだ生きて声を伝えるとは
些か驚く。
だが、
それを鳴らすことができる者はおり、
屋敷の主は、
指定された時間、
静かにその前に膝を折り、
その鳴るを待ったのだ。



呼び出され、
女は襖の前に控えた。

「入っておくれ。
 込み入った話だ。」

渋い声が響く。


すっと襖を引き、
女は
主の居室に入る。


欄間の透かし彫りは、
羽衣を棚引かせ、
飴色の頬を笑みに緩ませ、
群れ遊ぶ天女だ。


床の間の掛け軸は
燃えるような彼岸花である。
柱には鬼面が掛けられていた。
宿の主は鬼。
その意を込めて百年を越えてそこにある。


虚空を睨むかの虚ろを虹彩に
鬼面はかっとその口を開けている。
脇息に身を預けた初老の男が
ここの主なのであろう。


黒電話は、
この和室の一隅に、
黒い台に乗せられていた。


女は
揃えた指先を畳についた。
鬼面に向かいて礼をするかに見えるのは、
でっぷりと肥えた主が
その真下に座しているからだ。


「さっそくだが、
 奥の庵を調えておくれ。」

「畏まりました。
 お越しはいつ?」

淀みなく女は応ずる。
その庵の客は特別だ。



「明日だ。
 昼過ぎにはお着きになる。」

主は
どこか楽しげに見えた。


「畏まりました。」

「雪うさぎ、
 ほんとうに可愛らしいお連れだった。
 覚えているね。」

女は
虚を突かれ、
笑み崩れる主を見つめた。


「先程な、
 御自ら御予約いただいた。

 おもしろいと思うているのだよ。
 ………………お前に見極めてもらう。」

「何をでございますか?」

「わからん。
 わからんから
 お前に頼むのさ、
 セツ。」

「畏まりました。
 努めます。」

セツは、
鬼の間を辞した。
支度にかからねばならない。


何事につけ
この男は人の情というものを
興深く見つめる。
それゆえ多くの秘密を知ってもおり、
その管理も見事にしてのけている。


セツが
この鬼半分人半分の抜け目ない男に信を置くのは、
その興味が純然たる興味であるゆえだ。
セツも主に通ずるものをもつからだ。


人はおもしろい。


そして、
新たな興味が生まれた。

 なぜ
 何を求めて
 ここに来られるのだろう

そこに応えるのが勤めでもあった。


画像はお借りしました。
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