この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




「………………………………
 肝心なのは、
 総帥と瑞月さんと三枝綾子嬢の出演が
 表にでないことだ。
 駅前だ。
 十分注意を払え。

 なお、
 指揮は俺が執る。
 チーフも警護対象だ。
 出演者だからな。
 
 以上!
 解散!」

ザッ
起立する衣擦れが揃う。


カタリ………と西原は遅れて立ち上がった。
樫山がすっと添う。
チーフと副官がドアを抜けるのを、
班長一同引き締まった顔を崩さず直立不動で見送った。


ドアが閉まる。

あーっはっは
あはっ…あっ、あっははは
あーっはっはっは………………。


会議室に笑い声が弾けた。
防音というガードを超えて廊下に洩れる程度には、
爆笑だったといえるだろう。


笑ってよいか迷うときは、
笑わぬのが上策だ。
だが、
我慢は体にも士気にも障る。
西原は感心にも振り返らなかった。


「衣装決まりました。
 試着するようにと
 天宮補佐からの伝言です。」

ぴくっと西原の肩が震えた。
歩く速度は落ちない。
班長たちがドアを出てくるざわめきが
聞こえてきている。



「お前なっ!!」

抑えた声が震える。


「は?」

樫山は
怪訝な色を声にのせてみせる。
必要な事実を伝達する、
それだけのことだと声に言わせているのだ。



指揮官が誰であるかは最重要事項である。
その場にチーフがいるなら、
なおのことだ。
そして、
天宮咲の伝言は可及的速やかに伝えられねばならない。
鷲羽の屋敷においては、
それは絶対だ。
なぜ?
天宮咲の指示だからだ。


万が一、
それを忘れたなら

 え?
 ………そう
 お聞きになっていなかったのですね。

微笑みながら咲は言うだろう。
その先は分からない。
分かりたい者もいないだろう。


 カッ カッ カッ カッ………。


西原の速度が心持ち上がった。
樫山はそれに合わせる。
班長たちの足音が重なる。

 カッ カッ カッ カッ カッ………。
  カッ カッ カッ カッ カッ………。


出口は近い。



「………わかった。」

もともとそれしかない返事が
西原の歯から押し出される。



「できれば
 夕食前にとのことでした。」

「俺はモニ………。」

「伊東補佐が入られるそうです。
 チーフには、
 休暇を消化しろとのお話でした。」

樫山は畳み掛ける。
靴音に相応しい平静な声は、
何事にも動じぬ胆力で知られた男に、
まことによく似合う。


 クッ………。

西原は吠えなかった。
すっとその手が認証を求めて上がる。
後ろの足音も止まった。


シュン………ッ


音らしき音も立てぬドアだが、
その開くときが
これほど待ち遠しいことは
珍しかった。



「このまま行く。
 来るなよ。
 休め。

 伊東補佐に叱られるぞ。」


さらに前に設けられた関門を
顎で示すと
西原は壁に触れた。


継ぎ目も見えなかった壁が
すっと下がる。
西原は
ぽっかり空いた縦穴のポールに
さっさと飛び付いた。


地上は銀色の天蓋となり、
足下には空洞を丸い足とするヒトデが
待ち受ける。
警護棟の心臓部
地下通路のターミナルである。


各通路の出入り口は細く延びたその先だ。
警護棟占拠の緊急時には、
全てのゲートの施錠・解錠の権限は母屋に移る。
侵入者’はこの警護棟から一歩も出られない。



たんっ
と軽やかに着地し、
西原はさっさと歩き出す。


お歌の時間を守る班長の内、
このままシフトが入る二人が続くはずだった。


たんっ たんっ たんっ………………?


三人!?
思った瞬間には、
西原は向き直りながら飛びすさる。


「見事ですね。」

照準を合わせた銃口の先に
ニヤリと笑う樫山がいた。


寮から降りてきた交替チームが
整然とヒトデの足に吸い込まれていく中、
警護班副官樫山は、
オフですからと悠然と腕を組み、
若きチーフを面白そうに見返す。


このコンビの妙あって、
警護班は生きる。


西原の推進力は見事だが、
ブレーキも必要で、
アクセルよりブレーキの性能が重要なのは、
安全走行の基本だ。
そして、
樫山は遺憾なくその性能を発揮している。



「ついて来るなと
 言ったはずだっ!!」

ヒトデの足先まで
この声は
十二分に届いただろう。
お待ちかねの対戦は始まった。


樫山提供の
〝可愛い西原劇場〟は、
鷲羽警護の潤滑油だ。



「私も来るよう
 お招きを受けてるんですよ。
 オフですからね。

 でも、
 ほら、
 オフに警護対象を見守るのは、
 チーフの方針でしょ?」

見る見る西原の頬が染まる。

耳をダンボにする班員たちが
うんうんと頷いているのを承知で、
樫山は肩をすくめてみせた。

 

「来るなっ!
 オフならオフらしく
 さっさと休め!!」


樫山以外には顔色も変えない西原の
この弄られキャラっぷりは、
皆の知るところの天宮瑞月への熱烈な恋のプラトニックの証明でもある。

 純情だからなぁ
 チーフも

クスクス笑いと共に許されるのだ。




「休みたいんですがね、
 警護対象の服装を知っておくのも
 大事です。

 さあ
 お互い
 天宮補佐をお待たせしては
 まずいでしょ?
 
 行きますよ。」

樫山が
ポンと肩を叩いて母屋へと続く通路へと
先に立って歩き出した。

「おいっ
 樫山!!」

怒鳴っても止まらない。
そして、
西原も、
もう行かなければならない。


このターミナルの上では、
そろそろ日もだいぶ傾いているのだ。
夕食前という指定に間に合わなくなる。


西原は樫山の後を追った。



「まあ、
 西原チーフ、
 来てくださって
 ほっとしました。

 急な話でしたから
 どうかしらと案じておりました。」

少しも案じていたとは見えぬが、
咲は上機嫌に迎えた。


「トムさん
 ほんとにほっとしました。

 俺一人じゃ恥ずかしくって。」

高遠が笑う。
こちらはほんとにホッとしたようだ。
真実味がある。


それはそうだ。

「補佐、
 夕食の準備があるのでは?」

西原は呆然と尋ねた。


洋館の玄関ホールは
客席よろしくズラリと並んだ椅子に占められ、
その椅子には大群の女衆が
浮き浮きと待ち構えていたのだ。


「二手に分かれてもらいました。
 準備とお片付け。
 総帥の衣装合わせはお夕食後です。
 瑞月のは当日まで’内緒。
 
 ね、
 公平でございましょう?」

咲が、
女衆に向かい微笑みかける。


女衆がうんうんと頷くのを
西原は言葉もなく見つめた。
屋敷にあって咲は法そのものであり、
台所を預かる女衆は
その咲の下、
屋敷に君臨する。


それは、
公平と言っていいのか分からないが、
見物は樫山だけではないということだけはわかった。
樫山だけの方がマシだった。

力なくそう思う今、
先程の怒りはもうない。



「はい
 こちらです。

 お二人とも着替えてください。」

咲がにこやかに先に立つ。
まあまあと宥めるように笑いかける高遠の顔が、
西原には
やけに遠く感じられた。


 よく平気でいられる………。


それは、
西原が、
瑞月を巡っては繰り返し思ってきもし、
その心中を思って
あれこれと思い悩んでもきたことだった。

だが、
この場面で笑う高遠を見ると、
西原は
高遠の感性が信じられぬ気がしてきていた。


控えの間となっているのは、
高遠の居室だった部屋だ。
もうすっかり片付いた部屋の寝台に
乱れ箱があった。


一つには衣装らしきもの、
もう一つには装身具が入っている。


「あの………
 これ、
 どっちの衣装ですか?」

高遠が
衣装を指して
尋ねた。


「豪さんのです。
 そっちが西原さんね。」

事も無げに咲は答えた。



え?
ええっ?
西原は、
己の衣装と言われた乱れ箱を
つくづくと見た。
幅広の革に鋲が打たれたものは、
ベルトだろうか。
それにしてはひどく長く感じる。

何より布地がない。


「これ………
 どこに衣装が入ってるんですか?」

「あら?
 入れたと思ったんですが………。」

落ち着き払って
咲が覗き込む。


「いやですわ。
 ちゃんと入っておりますのに。」

しなやかな指先が引っ張り出したのは、
確かに布だった。
文字通りの布。

咲が
おもむろに広げると
フェイスタオルほどの幅の布は
バスタオルほどの長さがあった。
やけに細長い茶色のグラデーションが広がる。


「腰布ですのよ。
 お服はこれ一枚。
 西原さんと総帥は
 ヴァイキングの戦士に扮していただきますの。

 私どもも楽しみです。
 お客様も喜ばれるでしょう。」


細い細い腰布だった。


「総帥は………ご承知なのですか?」

西原が声を絞り出す。

「いいえ。」

咲は艶然と微笑んだ。

「でも、
 お断りにはなりますまい。

 ここに高遠さんがいます。
 女衆も手が足りませんから、
 今、
 瑞月を横に置いてお食事をなさっておられます。

 瑞月にはよく言っておきました。
 〝総帥とお食事したら、
  総帥のお衣装合わせよ。
  一緒にご覧なさい〟と。」


そうか。
なるほど。
断りはすまい。


目に浮かぶ。


 母屋の食事では取り上げられる瑞月を横に、
 総帥が微笑んでいる。

 〝これ 美味しいよ〟と瑞月が見上げる。
 その口許を拭ってやりながら
 総帥が言うのだ。
 〝ああ 旨いな。〟

 すると、
 瑞月が満面の笑顔で言うのだ。
 〝あのね、
  海斗の衣装、
  すごく素敵なんだって。
  ぼく楽しみだな。〟


甘い夕食は
狼を捕らえる罠か。
鷲羽海斗の腰布姿、
そんなものを見る日が来るとは、
平和とは恐ろしいものだ。


咲の微笑みに
西原は
心臓が冷たくなっていくのを感じた。



「総帥と………私ですか。」

次は
鷲羽海斗と並ぶ己が浮かぶ。
西原は、
己の声がひどく力なくなるのがわかった。


「チーフは
 いい体をしていますよ。
 まあ
 そこのとこは保証します。

 顔は隠しますしね。」

やけに
のんびりと樫山の声が響いた。


「そろそろ
 着替えないとまずいですね。

 後がつかえてますし。」

高遠が
時計を見上げる。


「そうですわね。

 樫山さん、
 これが出来上がり図です。

 あとはよろしくお願い致します。」

咲は我が意を得たりと頷き、
ドアを出た。
高遠はTシャツだ。
さっさと脱ぎ捨ててごそごそと何やら魔法使いめいた衣装に
頭を通している。。



西原は寝台に細長く流れる心細い布を見つめ、
動き出せずにいた。


つくづくと残されたデザイン画を眺めていた樫山が
くるりと振り向くや
無情に言い放つ。


「チーフ、
 私が脱がせて差し上げましょうか?」


西原は
ボタンを探る指ももどかしく
一気にシャツを脱ぎ捨てた。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。


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