この小品は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





瑞月が小首を傾げる。
食事のとき、
練習から戻るとき、
それは起こる。


小首を傾げて見つめる先にいるのは、
鷲羽財団総帥、鷲羽海斗その人だ。
目を伏せて盃を口許に運んでいるときもあれば、
伊東補佐か天宮補佐に向かっているときもある。


鷲羽海斗は
天宮瑞月を見ていない。
そして、
瑞月は小首を傾げるのだ。


高遠豪は動じない。

「これ、
 うまいよ。」
小鉢のものに興じてみせる。

「さあ、
 俺は母屋だ。
 宿題やれよ。」
頭を撫でる。


ああ………まただ。
西原は見る。



こまねずみのように立ち働く女衆は、
鷲羽総本山の夕食時のピークを切り盛りして忙しげだ。
モニター画面を通しても伝わる賑わいの中、
西原は瑞月を見ていた。


ことんと止まる瑞月に、
もう皆が慣れていた。
月の化身たる巫は
そういう留守をするものだ。


ほんの少しの留守を経て、
瑞月は戻る。
取り立てて騒ぎ立てぬことは
もう周知徹底されていた。
同時に、
警戒しようという意識も抜け落ちていく。


新原は見つめる。


高遠豪の手が
瑞月の頬を挟むのを。
そっと自分の方を向かせ
優しく見下ろす眸を。
そして、
高遠の唇が開こうとした。


西原の手が操作パネルを走る。

〝お櫃、
 あと三つ大急ぎで〟
〝お漬け物、
 もうなくなりますね。
 暑うございましたから。〟

女衆の囁きが
画面の躍動をより身近にした。
他の班員が聞いたなら、
運ばれていく汁から立ち上る匂いまで
感じられただろう。


西原の顔は動かない。
若きチーフは
集中する。



「海斗さん、
 瑞月を見ていたよ。」

優しい声が
ゆっくりと注ぎ込まれる。
すうっと水を吸い上げ、
その花びらが開かれていく。

 美しい………。

面には出せぬ
唸るように胸中に洩らされる呟きを
西原は噛み締めた。


「ほんと?」

「ああ ほんとさ。
 この頃、
 海斗さん、
 気を遣ってるね。

 瑞月だけを見ていては
 皆に悪いって
 思うのかな。

 瑞月が気づくと
 目を逸らすんだ。」


ひそかに身構えた西原から
すうっと力が抜けていく。
何だ、
という想いだった。

そろそろ必要な教えだった。
総帥は、
事実、
このところ目を逸らすことが続いていた。




「ほんと?」

「ほんと。」

他愛なく交わす言葉は
もう明るい。
じっと西原は聴き続ける。


小首が
また傾げられた。
愛らしく、
心を預けた少年に向けて、
小さな頭が無邪気な言問いに傾ぐのを、
西原は見つめた。

「あのね、
 海斗、
 ほんとに忙しいんだなって
 思うんだ。

 ぼく、
 一々気にしたら、
 困らせちゃうよね。」


 気にしてもいいかな。
 いいよね。


庇護欲とは、
飼い慣らすことのできない獣だ。
頼りなく、
ただ預けられる無垢の信頼が
どれほど男をそそるものか。


 罪な話だ………。
 だから、
 俺は、
 こうして聴いている。


「海斗さんは嬉しいと思うよ。
 いつも見てる。
 瑞月が気づくまで、
 いつも見てるんだから。」

高遠は応えた。
望み通りの応えだったろう。
うふっ
その腕にしがみついた瑞月の髪が
さらさらと高遠の首筋を撫で、
逞しさを増した肩を伝う。


高遠が
そっと瑞月の耳に唇を寄せた。
えっ
見上げる瑞月の頬が染まる。


ごそごそと座り直す瑞月を
今度は
高遠が抱き寄せた。

「きっと
 海斗さん、
 そう思ってるさ。」

高遠に曇りはない。
くしゃっと頭を撫でる手も
いつもに変わらない。


「………ほんと?」

少しばかりの警戒心に
亀の子みたいに首を縮める瑞月が
見える。


「ほんとさ。」

返す声は明るく、
瑞月がほうっと息をつき、
それでも
もうしがみつくことは控え、
食事の続きにかかった。


高遠の手は
その瑞月の髪に
まだ残る。


その指先が
つつーっと髪を梳く。
はらりと髪が落ち、
高遠は微かに微笑んだ。



瑞月には見えぬ微笑みは、
総帥には見えただろう。
インカムを外し、
西原は総帥を見つめた。


総帥は
動かなかった。
見えていた。
いや
見たにちがいない。

だが、
動かなかった。



〝チーフ、
 言ってみたいですか?〟
突然、
耳元に囁かれた。

〝何をだ?〟
西原は囁き返す。


〝総帥も
 ご覧になってましたね。〟
樫山は無用な問いには応えない。

そして、
西原は沈黙する。


マイクにも拾えぬ小さな囁きは、
瑞月の耳には届いた。
そして、
その唇を西原は見た。


樫山も見たことはわかった。
総帥も見たことはわかっていた。


 カ・ワ・イ・イ・ヨ

 カワイイヨ

 かわいいよ

 可愛いよ


唇は動いた。
睦言だった。
西原はそう感じた。


イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。
ありがとうございます。




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