この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。


☆クーパー画 真夏の夜の夢



荒ぶる太陽が
ようやく矛を収め、
たっぷりと熱を溜めたアスファルトが
冷房から吹き出す熱風と共に
薄闇の街をじっとりと包む。



「暑いな………。
 客集まるのかな。」

司令塔は、
今日も車内に設置された。
クーラーは効いている。


「そういうシーズンなんだとさ。
 どこでもやってるんだ。
 うちのガキも今日どこか行くってうちの奥さんが
 言ってた。」


警護対象となる人物の移動は、
完全に終えた。
ほっと緩んだ空気にポツンと洩れたことばだった。



家族に内緒の警護勤めの班員が、
唸るように呟き、
それに続くことばはなかった。
その唸りは、
父親の頭の上を飛び交う家族の会話に感じる若干の疎外感の現れで、
応えぬことが礼儀とも言えた。
鷲羽の警護班は、
それを抱えても拝命するに足る誇りをくれる勤務だった。

もっとも
今回の警護はマスコミ対策が中心だ。
そこは天宮咲が手を回している。
イコール心配はない。
警護班の気持ちもイベントの集客に流れがちであった。


誇りの源たる長と巫は、
このイベントの成功のため、
慣れぬ様々に苦闘を重ねてきた。


モニター越しに見る鷲羽海斗の直立不動は、
くくっと思わず洩らす笑いを誘うほどに可愛かった。

天衣無縫の天宮瑞月は美しく、
指揮とも舞いともつかぬ
夢幻の一場が終わるごとにモニタールームはため息に包まれ、
無邪気な子どもに返る天使の
〝すごーい
    みんな  すごーい〟に、
胸は締め付けられた。



ちっぽけな通信制高等学校の細やかな夏のオープンスクールの集客。
鷲羽財団警護班精鋭が気に病む問題かと
皮肉に笑い捨てる者はいない。



少しでも多くの客が集まりますように
彼らは願う。




8月末の土曜の夕べを
WTT高等学校では、
学校説明会とオープンスクールに
あてていた。


この駅前を借りるのも、
毎年の話だ。
おタカさんこと土屋校長は、
天宮咲の腹心の友であり、
鷲羽の老人の知己だ。

支援は
別に今年だけの話ではない。
ただ、
今年は特別だ。
出演者がとんでもない。



ビジュアルの充実が並大抵ではない。
客の目を釘付けにすること
間違いなしだ。
そして
………ばれてはまずいのだ。





「チーフ
    だいじょぶですよ。」

樫山がくくっと笑う。
部下がいない隙に
皮肉な副官はチーフに年上風を吹かせる傾向がある。


「何がだいじょぶだよっ!?」

キッと睨み西原の手は、
心許なげに腰あたりをさまよっている。


「ほら
    仮面つけてください。

    いい身体してます。
 女性客へのサービスなんですから、
 出し惜しみしない。」


バスとテノールの野郎一同、
扮装は、
修道院の修行僧といったずるっと長い衣だ。
そこに見事な体躯のスパルタカスが二人いる。


「………サービスなのですか?」

海斗が
上半分を覆う色鮮やかな仮面のまま
作田に尋ねる。


「そうだよ。
 今日はサービスしよう。
 お客様の足を止めなくてはね。」

「瑞月も………サービスするのですか?」

海斗が
たじろいだように
仕切りの向こうに目をやる。


この分かりやすさが
警護班にはたまらない。
作田がついて以来、
総帥の中学生そのままの素直な姿が
皆の目にも映りやすくなっていた。



「瑞月君は
    戦士役じゃないよ。
    ちゃんと服を着てるさ。」

ほうっ………と
逞しい肩が安堵に揺れる。

その裸身を知る海斗には、
瑞月のサービスが不安でならなかったのだろう。



失礼な心配をするものだ。
瑞月、
アルト女性陣、
そして可知ならぬ渡邉のメイクには、
天宮咲が采配をふるっている。


どれだけ派手になるかと気を揉むならまだしも、
武骨な革ベルトと申し訳程度の腰布で
済むはずはないだろうに。





宵闇が空を覆い始め、
代わって街の灯りが交差点を行き交う人々を浮き上がらせては
薄闇に沈ませる。
それは
もう厭むほどに馴染んだ熱帯夜の始まりのはずだった。


が、


カーン………カーン………
カーン………………。

ガランゴーン………ガランゴーン………。


鐘の音が
どこからともなく
その場に降ってきた。


え?
鐘の在りかを探して
何人かが辺りを振り仰ぐのが
モニターに映る。


さながら教会前の祈りの広場にいるかの音響効果に、
素直に反応する者もいるのだ。


そして
ふうっと辺りの街の灯りが落ちていき
新たなライトがゆっくりと点された。


アスファルトから立ち上る熱に喘ぐ群衆は
緑蔭の幻影と
深き森を浸す霧の中にいることに
目をぱちくりさせて
立ち止まった。


駅前の広場は
その配置を気づかれずにいた
無数のライトに描き出された一幅の絵に迷い込んだ人々は、
思わず顔を上げて薄闇に聳え立つビル群を確かめる。


確かにここは渋谷だった。
だが、
肌に流れてくる心地よく湿った霧と
心地よく闇を満たす緑の木々の影は
五感に伝える。


 森………?


あーはっはっは………。
やけに高く
明るい笑い声が響き
木々の幻の間から
蓬髪の痩せた体がピョンと現れた。


妖精というのは、
美しいとは限らぬものだが、
この細い体は
なんとも飄々とした風情を纏っている。


「さあ
 真夏の夜が始まったねぇ
 みんな
 夢を見たくはないかい?

 おいらが見せてやるよ。
 ちょいと
 遠い国のふかーい森に
 ご招待さ。

 さあ
 ほんの一瞬だよ

 目ん玉しっかり開けて
 耳の穴ぁかっぽじって
 しっかり楽しんでくんな」

 パックか。
 ふーん
 新手の夏のイベントだね。


ひんやりする霧の効果は
なかなかのものだ。
ちょっと面白そうかも
駅から溢れ来る客は足を止め、
その停滞に続く客もそこに広がり、
じりじりと広がる立ち見客の波が幾重にも森を満たしていった。


そして、
一条の光に、
皆は見た。


細く嫋な胴に、
金砂銀砂の鱗粉も眩しい翼を広げた
不思議な生き物を。
その頭部を覆う被り物は
銀色に輝く。
紅き唇、
つんと細い鼻梁こそ細工物のようだ。


蝶々の化身が
深い森に注ぐ月影に浮かんだ。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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