この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。


☆高畠華宵画


作田は、
さっさと宣言した。

「海斗君、
 君と瑞月君はもう出なさい。
 クラスの皆さん以外には
 顔を見せずに学校を出るんだろう?」


残念そうな瑞月を連れて
ほっとしたように海斗は音楽室を出た。


「ありがとうございます。
 瑞月は不用心なんであぶないんです。
 助かりました。」

高遠はよくわかっている。
おおっぴらに口にすることではないが、
鷲羽海斗を慕う少女の失恋の傷みが気掛かりだったのだろう。

瑞月は友達と言える人間が少ない。
同年代となると、
高遠一人だ。
お下げに眼鏡のお仕着せ姿で
一緒にお台所修行をした綾子は、
貴重な同年代の知り合いで仲間だ。
お友だちが来るのが嬉しいとはしゃいでいた。


〝今日はもう終わりで………。
 いや、こちらから………………。
 わかりました。
 では、
 駅前のガストでどうですか?〟

熱心な新参者は、
楽譜と音源を受け取りにやってくる。
合唱団には有り難い人だ。

だが、
鷲羽の二人がお迎えにあたる必要はない。
いや、
むしろとんでもない。

自分が振った少女と自分の恋人が並ぶ場に同席する。
そんな高等な処理能力は作田が指導する生徒にはない。
鷲羽海斗には〝振った〟と気づいていない可能性すらあるのだ。


指導者である水澤と紹介者である高遠がいれば、
話は済むのだ。
それにしても明るい良い声だ。
作田は思う。
よほど心が弾んでいるのか、
スマホから声が洩れ聞こえた。




「高遠君、
 その子、
 中学校の友達とか?」

昼食を取りながらの打ち合わせだからと、
渡されたメニューを開くでもなく、
サヨが高遠を見つめる。
パートリーダーとして気になるのだろう。

作田は自分が同席する理由をどう言い訳しようか悩みつつも、
水澤がごく当たり前に作田を引っ張って来てくれたことに甘えていた。


「俺、
 男子校出身ですよ、サヨさん。
 この春休みに知り合ったんです。」

高遠は、
何を話すときも自然体だ。
三枝憲正の愛孫を語ることばとは思えない。

この際、
それは不要なことだが、
それにしても自然だ。
本当にそうしたことで人を区別するものがないのだろう。


「どんな付き合い?
 豪に彼女っていると思わなかったー」

アキのけたたましい声は、
男女の匂いあればお約束のものだ。
サヨは振り向きもしない。
水澤も作田もそれに倣った。


「スケートの子?
 忙しいんじゃない?」

サヨは気遣わしげだ。
忙しいと言えば、
大人クラス全員が忙しいが、
綾子はいわば応援で参加してくれるのだ。
練習に参加してもらうにあたって、
遠慮がある。


「大学一年生です。
 入学前に家事にチャレンジしたかったみたいで、
 瑞月のお母さんに一週間ほど弟子入りしてました。
 頑張り屋ですよ。
 雑巾がけも、台所仕事も、一生懸命でした。」

これなら、
周りに聞こえても大丈夫だ。
そうホッとする側から
アキは色めき立つ。


「家事見習いって、
 なんか古くさくなーい?
 どんな家の子さ。」

真っ昼間の渋谷駅前ファミレスには、
その化粧の濃さが不釣り合いの場末の夜の蝶々は、
悪気はないのだが、
妙なところだけ鋭いのが困りものだ。



「一生懸命な人。
 それだけで十分ですよ、アキさん。」

涼やかな声が
〝キャーどんな子だろー〟に終止符を打った。
ファミレスもテーブルごとに
空気はある。


白髪の紳士たる水澤のお陰で
アルトの二人と作田を加えた五人のテーブルは、
ぐっと落ち着いたものに引き戻された。


そのタイミングが
ちょうど良かったかもしれない。


高遠が立ち上がった。
軽く手を上げている。
そして、
三枝綾子はこちらに向かって来ようとしていた。


客席に微かな波が立つ。
姿に気づいて静まる音消の波と、
行き過ぎてから目を合わせる視線の波、
そして呟きの波だ。


〝すっげー………。〟
〝何者………?〟


席の案内に出た従業員を
軽やかにかわし、
ぴったりしたジーンズのパンツが
颯爽と交互に進む二本の脚を引き立てている。


 ああ
 風が起こる



瑞月の美貌に目が慣れた作田にも、
その美はわかる。
スターはオーラを放つというが、
それだろう。
人の放つ人をとらえる引力とも言うべきもの、
この少女のそれは、
鷲羽海斗のそれに匹敵する。


 似合うだろうな
 並んだなら………。


作田が夢見た〝佐賀海斗〟を癒す聖母とは趣が違うが、
鷲羽海斗となり、
鷲羽財団を率いる若き総帥に並ぶ伴侶として、
これ以上ないほどに似つかわしい。




神を降ろす器、
瑞月のもつ、
しんしんと静まっていく美とは違う。
生き生きと辺りのすべてを従えて輝く美が、
ファミレス空間に降臨した。



「高遠様、
 お久しぶりです。」

眸がきらめく。
おやっと思うほどに
情のこもった眼差しに驚いた。


一転し、
いじらしいとさえ感じさせる少女の風情に、
作田は息を呑んだ。


 海斗君はいないのに………?


同時に、
弾んだ声がよみがえる。
作田は目の前の青年になりつつある少年を
まじまじと見つめた。

爽やかな少年だ。
こうしてファミレスの風景の中で、
ごく自然に超がつく美少女に微笑みかけている。


柔らかく波打つ髪、
濃い眉、
そして深い眸が印象に残る高遠豪は、
綾子の美貌に呑まれることなく
テーブルのみなを見渡している。


「三枝さん、
 〝様〟はなしでいきましょう。
 本当に助かりました。

 どうぞ座ってください。
 みんなを紹介します。」

かくて、
作田の座すテーブルは、
店内の注目を集めながら、
ごく和やかに時間が流れ出した。



「どうぞよろしくお願いします!」


一渡り、
紹介を受けた綾子は、
ピシッと立ち上がり、
頬を紅潮させて九十度の礼をした。



 ………一生懸命だな


目立ちすぎなことと、
そこに気づかぬところは、
あの二人によく似ていた。

そして、
その目立ちすぎな綾子を擁しながら、
このテーブルの空気は
こんなにも穏やかだ。

いつしか
周囲の好奇の目すら
遠くなるほどに。


「私、
 頑張ります!」

高遠が自分の隣席をポンポン叩き、
座って座ってと合図する。

 この子だ
 何者なんだ、この少年。

鷲羽海斗は、
周囲を一様に従える。
突出した身体能力、知力、
そして、
何より王のオーラが他の色を消してしまうのだ。
だが、
この子は周囲を解き放つ。
あるがままに解き放ち、
それぞれの色を引き出して行く。



「どうして
 引き受けてくれたの?」

早速
化粧のお姉さんだ。
率直すぎるかもしれないが、
こうしたときは話が早く進む。


「高遠さんが望んでくださったんですもの。」

綾子の返答も速い。
しかも嬉しげな笑顔が付いている。


「豪のためーっ!?」

「はい。
 ご一緒に練習できるなんて、
 思っても見なかった幸運です。」

アキの女子高生みたいな喜びように
怯むでもなく
率直すぎる返答を返す綾子に、
周辺のテーブルの目が高遠にも集まるのが感じられた。


 これはこれで、
 ちょっとあぶないな。

作田は
新たに入店した客の内、
こちらのエリアに近く陣取った者に
目をやる。
持っているなと当たりはついた。


そっと腕時計の縁に指を走らせると、
呼応してドリンクバーに向かう姿が見られた。




〝あっ
 ………すみません!〟

派手な声と、
ジュースをぶちまけられながら、
〝いや構わず
 だいじょうぶです〟
何やら固辞する声と、
駆け付けた店員のレストランあるある風景を確かめ、
作田は向き直る。


「アキさん、
 三枝さんは、
 高遠君の在り方に学んだ。
 それを素直に仰有っているだけですよ。」

水澤が微笑む。


綾子が
目を輝かせる。

「ありがとうございます!
 ほんとにそうなんです!
 わたし、
 豪さんに学びましたし、
 お側でもっと学びたいと思ってました。」

その眼差しで高遠を見やり、
嬉しくてたまらないと、
その機会を与えてくれた皆を見回す。



サヨが
しっかりと綾子を見つめた。
その視線に綾子が姿勢を正す。


「わたし、
 一生懸命リーダーを務めます。
 どうか一緒に歌ってください。」

そっとサヨの手が差し出された。


「何でも指示してください
 リーダー。
 わたし、
 精一杯努めます。」

「わたしもだよ。
 WTTじゃわたしの方が古株なんだから、
 何でも聞いてよ。
 豪のこと何でも教えたげる。」

アキが慌ててその手に
手を重ねた。


「楽しみです。」

綾子が応え、
女性三人が笑い崩れた。
女性グループでは
この一緒というのが肝心だな
作田は眺める。


「豪さん、
 学校では
 どうなさってるんですか?」

「うちのね、
 若頭よ。」

「ワカガシラって何ですか?」

一気にお喋りになだれ込むところで、
若頭が制止した。

「まず注文です。
 ここはレストランですからね。」




綾子の〝ドリンク・バー〟初体験も、
〝フォークどこですか?〟も、
女の結束が固まった今は、
楽しい笑いに繋がる。


「ほんと
 お嬢様だねぇ」

アキの感嘆した声にも
嫌味がない。
綾子の社会年齢の低さも
人生の先輩には
可愛らしいものとなったようだ。


周辺テーブルも
綾子のファミレス初体験ぶりを
微笑ましく見ているのが
感じられる。


「………うまくいきましたね。
 あんまり美人のお嬢さんなんで、
 どうなるかと思いましたが。」

女性三人が
二回目のドリンクバーに立ったところで
作田は水澤に囁いた。


「高遠君の力でしょうね。
 人の心から善良な部分を引き出す。
 確かに
 クラスの若頭です。」

水澤は応えて
高遠へと
微笑む。

少し間が空いた。



「………俺は、
 善良なんかじゃありません。
 ………………この手は人を叩きのめしました。
 荒れていた。」

低く応える声の凄みに
作田は
思わずその顔を見た。

深い眸は変わらない。
この眸のまま
さっきの声が出されたのかと
作田は戸惑う。


「高遠君、
 私は〝引き出す〟と言いました。
 あなたが穏やかなのは、
 あなたの意思が選ばせている、
 いわば外装です。
 
 狼ですね。
 その魂が、
 今、
 作田さんを驚かせましたよ。」

ふふっと水澤は笑い、
高遠が
ふうっと吐息をついた。


〝キャー
 だめだよアヤちゃん!〟

グラスを外れて
勢いよくコーラが流れ
サヨがせっせとグラスを拭いてやっている。
綾子が置場所を間違えたらしい。




箸が転んでもおかしい
というのは、
女子高生の特権だろう。
些か年齢に問題はあれど、
三人ともWTT高等学校女子生徒には違いない。
来週のアルト練習開始に向けて
滑り出しは上々だ。


胡乱な輩は、
とうに排除され、
平穏なファミレスで
合唱団新入りとのミーティングは
温かな笑いの中に終わろうとしていた。


「では、
 三枝さん
 改めてお願いします。
 海斗さんと同じく聴講生扱いで
 土曜日の4時限目に
 WTTまでおいでください。

 楽譜と音源は
 可能ならおさらいしておいてくださると
 助かります。」

「はいっ!」

水澤のことばへの仲間の元気な返答に、
女子高生のアキとサヨが笑う。


合唱団のお披露目そのものは、
何とかなりそうだった。
当初懸案の
超人のなーんちゃって一般人体験も、
続いて勃発の
巫はいつだって巫問題も、
克服した。


今、
作田が思うのは、
たかが高校のイベントに
このメンバーで出演という事態そのものだった。


鷲羽財団総帥とその庇護を受ける話題の少年に、
政界の重鎮三枝憲正の愛孫の三人が、
通信制高校の文化祭出演。



あくまで主役は高校であるから、
企業の宣伝と取られては
迷惑がかかる。
ここは周到にいかないとまずい。


 マサさんと
 連絡を密にしよう。
 
 そうだ
 伊東さんもだ。
 作戦会議は練っておかないとな。



本番まで
夏休みという大きな空白がある。
やっとステージが見えてきたところで、
作田は警護班顧問の立場を
思い出していた。

鷲羽海斗の教育係として、
この〝合唱団の一員〟である場の警護には、
重要なポイントもあげておきたい。



〝じゃ、
 あっしはあっしで
 動いてきますよ。

 あとは旦那に任せます。〟


政五郎も
何事か準備に取り組んでいるのだろう。
できるだけ早急に
駄菓子屋に集いたいものだ。

 次は東北の銘酒かな
 
酌み交わす酒も
また楽しみな作田だった。
このメンバーだ。
警護そのものに不安はない。


クラスのみんなが楽しめる。
そんな合唱をさせてあげたいと
作田は思っていた。
 

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