この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





夏休みの足音も聞こえてくる七月だ。
音楽の前の三時間は
期末考査。


作田の出勤は、
大人クラス四時間目の音楽に合わせている。
梅雨明けの宣言と共に気温は一気に上昇し、
電車を降りるやホームはむっとむせかえる暑さだった。


一汗かいてたどり着いた音楽室には、
ピアノの前に水澤が座り、
その脇の鷲羽海斗が作田を見て
口をつぐんだ。

 

「瑞月君のことかな?」

挨拶を済ませると
作田は確認する。


「はい
 ご迷惑をかけると思います。」

これは事態をわかっている。
作田は先週を思い返した。

「止まらないんだね?」

確かにあれは難しかった。
ましてや作田には別のものも見えていた。
その美しさは目の保養ではあったが、
同時に〝止まらない〟との予想もついた。

「ともあれ、
 瑞月君のアルトは美しくなりました。
 サヨさんの覚悟のお陰です。
 シンクロして増幅する。

 音が正確ですから
 本人も気持ちよいのでしょう。」

水澤のコメントは、
緊迫感に乏しい。


「いや
 しかし
 当日は………客が入るし………………。」

海斗の沈黙に代わり、
思わず作田が出た。
目を引く二人が、
必要以上に目を引くことは避けたかった。

鷲羽の名が出ることは避けられぬとしても、
鷲羽のイベントではないのだ。
そもそも合唱という学びに反している。


銀髪がくっくっと楽しげに揺れた。
くすくす笑いをする水澤を
作田は呆然と眺める。


「いや
 失敬。
 作田さん、
 見えておられるのでしたね。

 さぞご心配でしょう。
 まあ
 止まらぬなら止まらぬで
 方法はあるものです。
 試してみたい。

 このお話は
 その首尾を見てからにしませんか?」


というわけで、
作田は、
また端の席に陣取っていた。

水澤は合唱指導はもちろんのこと、
巫を導く上でも、
プロなのだ。

そう思いながらも、
アルトにぴたりとなじんだ
少女と見紛う少年に目は行く。



佐賀海斗、
いや鷲羽財団総帥は、
バスの一員としてよくやっていた。
他を圧することなく、
その声を仲間に合わせている。
柱となる声ではあるが、
そこは政五郎の年季の入った声が並び立ち、
一つの響きを作り上げていた。


 可愛いな………。

 毎度思うが、
 あの子が着ている服、
 佐賀君が選んでいるんだろうか。


そう思うのは、
見つめる者の思いが匂うからだ。

恋人との心配をよそに、
一心に前を見つめる様子は
己の姿がどう見えているかなど
意識しているように見えない。

鎖骨の窪みが
清楚でありながら
どきっとするほどに艶やかだ。

胸の腕の付け根から上が紗がかかったように透けている。
それが純白のブラウスで、
その裾が愛らしくリボン結びになっているのは、
鷲羽海斗も見えているからではないか。

先週度肝を抜かれた幻影が浮かび、
作田は頭を振った。




水澤のピアノが
四つの音を次々と鳴らし
バスからテノール、アルトからソプラノへと
声が溶け合っていく。



ソプラノは
作田の目には
小学生ほどのサイズの
悪ガキめいた男児だった。

渡邉の位置に水干を着た子供が見えるのも
だいぶ慣れた。

それはもう問題ではない。
他の目には30歳の痩せた男なのだろうから。
だが、
先週からの幻影は、
幻影にとどまらないから問題だ。




見事なハーモニーの中、
水澤は寄り合い合唱団が待ち受ける
指揮者の位置につく。


ふっと
その左手が空を切り、
その掌に声は余韻を残して摘み取られた。


タクトが構えられ
一同が水澤の指先を見つめる。
水澤の上半身がくっと下がり左右に開く。
と、
一同が吸う呼気の流れが音楽室にそろった。


 そろった!
 大したもんだ
 素人の集まりだってのにな


というわけで始まった。
天使は繋いだ手に心を添わせているのか
美しい声を響かせている。

始まりは
大丈夫だ。
そう
次だ………。


渡邉の声が
一際高く
ぐっとせりあがる。
ソプラノの聞かせどころが始まった。


ふわっと
瑞月の体が揺れる。

その手がサヨを離れた。
止まらなかった。


作田は大聖堂の中にいる自分を感じた。
光り輝く天使が
白い翼を広げて天上へと誘う。

そして
目の前には重力を離れて舞い上がる
白い姿が美しい軌跡を描いて
着地するところだった。


高揚する。
歌うみなが高揚していく。
それも感じた。

〝天使が舞い降りる歌を
 俺たちは
 歌っている〟

落としどころはそこだった。




先週、
思わず途切れかけた歌は、
決然と歌うパートリーダーたちに繋がれ、
揺らぎかけた瑞月の舞いも
終わりまで続いた。
西原も政五郎もサヨも
小揺るぎもしなかったのだ。

ただ、
サヨは思い詰めた顔をしていた。
無理もなかった。
瑞月の声を欠いたアルトはいきなり小さくなる。
バランスは崩れていた。



「俺たちの歌、
 天まで届いたな」

高遠豪のことばが
その場を盛り上げて
最初の合唱は終えたのだ。

瑞月の舞いは
まさにそういう意味で、
それは伝わったからだ。


そうして、
今日も、
瑞月は舞い始めている。


どんな方法があるというのか。
作田は
幻影の天使の翼を見上げ、
手のつけられぬ無垢に
ひそかな嘆声を洩らしつつも
無力感を感じていた。


佐賀海斗はまだいい。
どうにか人間の領域にいる。
だが、
この子が愛した少年は
その無垢ゆえにその領域を超えていく。


思ったときだ。

水澤の片手がすっと瑞月に伸ばされた。
瑞月の体が水澤に引き寄せられる。
舞いの続きのように
くるりと翻って
瑞月は水澤の胸に収まった。



歌声が真っ正面から
その体に雪崩れ込む様が
光の放射のように
作田には見えた。


水澤がすっと腕を伸ばすと
その先にバスとテノールが力強く沸き上がる。
その手のひらがそっと空気を薙ぐと
歌声がひそやかに静まる。


作田は眩しかった。
瑞月にシンクロする作田の目には
その声の響きあう様が
目に見える流れとなって見える。


そうして
歌が終わったとき、
瑞月は光の余韻に茫然として、
みなを見返していた。


「みんな………すごいね。」

天使は
ことばにして、
感動を伝えた。


どっとみなが笑う中、
水澤は
新たな宣言をした。

「天宮君、
 指揮者は君だね。

 君は天性の感覚というものがある。
 歌うより歌を呼び起こす方が
 向いているよ。」


えええええええっ!?

方法はあった。
天使は声を光に置き換えられる。

残りの時間は作戦会議となり、
サヨが深く頷き、
皆の視線が高遠に集まり、
高遠が今まで一度も使わなかった連絡先を携帯画面に呼び出し、
それをコールした。


実りある一日だった。
指揮者が決まった。
そして、
新たな聴講生が決まった。



級長政五郎は、
高遠の話すことばと
電話口から洩れる明るく弾んだ声を聞きながら
何事か考えているようだった。


鷲羽財団総帥は、
「お母さんに頼みます!」
元気に発言した瑞月に、
天宮咲がいかに忙しいかを語ってきかせるだけで消耗し、
助っ人を引き受けてくれた女性については
思いがいたらぬようだった。


作田は
鷲羽海斗の肩を叩いてやりながら、
新たな人材の投入に
次週の展開を考えていた。
作田はその女性の姿をよく覚えていた。
総帥対策会議の大きな議題である〝嫁問題〟に
聞いた名前でもあった。


 女性か………。
 十歳以上だよ。
 いいね、
 佐賀君。

 アルトには近づかない。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。



人気ブログランキング