この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。

☆ウィリアム・ブレイク画
 妖精パックと妖精たちです。


TTW高等学校に
チャイムは鳴り渡る。

大人クラスの礼に揺らぎはない。
水澤はピアノの前にすっくと立ち、
その礼に応えた。


さっと身を翻すと
水澤はピアノに向かう。


ポーン………。
皆の肩からすーーーーっと
力が抜ける。


水澤の腕が
導くように鍵盤の上を舞い上がり、
一同が息を吸い込んだ。


アーーーーーーーー
8拍のロングトーンが
響き渡る。
渡邉の声がその芯となるのがわかる。


見事なものだ。


幼い頃に合唱団で活動したのも、
こうして巫と長を導く声をもつためだろうか。
独唱のそれではない。
そして美しいソプラノだった。


それぞれが喉を開いた。
なかなかの自然体だ。


「あああ
 かっちゃんと歌えたら、
 ぜんぜん心配ないんだけどなーーー。
 一人で二重唱できない?」

発声を終えて、
心地よさに化粧の上からも上気した頬で
アキが渡邉を覗き込む。



渡邉は
その顔を見返し
小首を傾げた。

声が出るようになったのも束の間、
話すことでは退行したかの
渡邉だった。


「アキさん
 パート練習では
 かっちゃんも
 一緒ですよ。」

三つの顔、
いや四つの顔が、
さっと水澤に注目した。


まことに速い。


アキ、サヨ、瑞月、
そして鷲羽海斗に続き、
皆も水澤に顔が向く。
大人クラスの授業規律はいつも見事なのだ。


「そこで、
 ちょっと魔法をかけます。
 さあ皆さん席についてください。」

西原が渡邉の肩越しに
さりげなく瑞月を見る。
パートごとにまとまって着席となった今、
瑞月が遠く感じるようだ。


この教室に関して言うなら、
政五郎がいて西原がいて、
そこに鷲羽海斗がいるとなれば
座席など関係ないようなものだが、
西原はちらりと瑞月を見る。

高遠はその点落ち着いている。
興深げに水澤を見つめていた。

鷲羽海斗は脇にいるしかない付き添いの作田に配慮してか、
ちゃんといるように言われたバスの一員を意識するのか、
端っこに座り、
瑞月も水澤もその視野に入れていた。

総帥のお目付け役である作田は、
チャイム前に
にこやかに政五郎と談笑し、
妙に畏まった鷲羽海斗の存在感もあって、
その見学はすんなり受け入れられた。


張り込みにあたっては、
まず全体を把握するという持論に従い、
作田は後方の座席に
静かに座っている。

いや
軽いため息はついていた。
鷲羽がらみの魔法には、
辟易気味の作田であった。



水澤は芝居がかった身振りで
人差し指を立て
唇にあてる。


「この音楽室だけの魔法ですよ。
 大人クラスの皆さん、
 秘密を守れますか?」

ぱちぱちぱちぱち………。


ここで拍手は、
魔法welcomeの表明に、
もちろんです!の結束を表していると
見るべきだろう。
水澤は深く頷いた。


「では
 魔法にかかってもらう人を
 呼びますね。

 さあ かっちゃん
 こちらにどうぞ。」


おおっ
一同が色めき立つ。
終えたばかりの発声練習も
魔法のようなものだ。



前回の練習では、
パートごとにピアノを囲む練習に入り、
ソプラノからバスまで見事に歌ってみせている。
魔法に続きがあるらしい。


皆の声援を浴びながら
ぎくしゃくと痩せっぽちの体が
一段高い小ステージを兼ねる教壇に上がった。


さあ始まるぞ!
一同が
やんやの拍手をまた送る。


「これはね、
 紐のマジックです。」

水澤がマジックを開始するマジシャンよろしく。
肩をすくめ、
両の掌を皆に見せた。

古びた組紐が
その親指から親指へと
渡されている。

 


「さあ
 見ててくださいね。
 この紐から目を離さない。
 
 いいですか?」


水澤は
思い入れたっぷりに
渡邉の肩を抱き前を向かせると、
その背後に立つ。

両手を渡る組紐が高々と上げられ、
客である一同は
その紐をつくづくと眺めた。



古い。
色褪せている。
もとは何色か染め分けられていたかもしれぬが、
何しろ古くて見分けがつかぬ。


さっと
水澤の手がひらめき、
優雅に渡邉の蓬髪を潜り抜け、
ぎゅっと一つに巻き締めた。



かっ
渡邉が目を見開く。
一気に大きさを増した眸が
くるくると客席と化した教室を見回した。


え?
かっちゃん?
その無遠慮な眼差しに
客の意識が乱れた。


マジックは終わらないと、
水澤の手は再び
紐を乗せて客の注意を喚起する。


右に
左にと
水澤は紐を示して微笑み、
既に魔法の中にいるかの渡邉のギョロ目は
面白げに客をねめつける。


作田が
腰を浮かしかけて
ふたたび座り
客席に目を走らせた。
気の毒だが
同じものを見ている者はいないらしい。


巫たる瑞月すら
みなとワクワクを共有するように
椅子から転げ落ちそうに
身を乗り出している。

西原がたまらず
横に移動して
そっと手を添えている。


魔術はクライマックスとなった。
くるくると水澤の指先は動き、
組紐は幾重かの楕円を描いて紋様を象っていく。


ふっと
その動きが止まった。
水澤の目は客席にない。


その紐を
ひたと見つめる水澤が
くっと力を入れて紐を引き絞る。


ぱあああっ
髪を束ねた組紐に鮮やかな五色が浮かび出た。
横一直線に引っ張られた古びた紐を
虹が駆け抜けていく


すごーーーーい
瑞月が立ち上がって大拍手すれば
皆も続いて大拍手。
天使が来てからというもの、
このお約束は変わらない。


が、


「うおおい
 しゃべれるぞーーー」

ギョロ目によく似合う
子どもっぽい声が音楽室に響いた。


ぎょっとすれば
拍手は止まる。
魔法の真打ちはここにあったのか。

くねっと身を捩るや
けたけたと
手を打ってけたけたと笑う
ひょろ長い姿。

見慣れたかっちゃんは
いない。


客席は
思わず左右を見回し、
作田はまじまじと渡邉だった男を
見つめている。



ぴょん!と
渡邉がステージから飛び降りて
ひょろりとした体を器用に折り曲げて
クラスの面々の顔を見渡した。

「やあ
 わかるよ
 おいら分かる
 ねぇ深………っ」

一人ずつ
アキ サヨ 巫様と
歩き始めるのを
続いて飛び降りた水澤が
ぐっと引っ張り
不服げに振り返るのをものともせず
ふたたび真ん中に立たせた。


そこは
深水より年を重ねた水澤である。
何か耳元に囁くと
渡邉の背がピンと伸びた。


水澤が
ゆったりと説明する。

「かっちゃんは
 催眠療法を受けてるんです。
 小さな頃は
 たくさんお喋りしていたんですよ。」


ふーん
頷くものの、
目の前の男は水澤にやけに馴れ馴れしい。
そっと上目遣いに水澤の顔を窺う様子など、
普段の渡邉には考えられない。


ああ
皆の視線に頷き、
水澤は渡邉の背をぽんぽんと叩いた。


「合唱団に繋がる記憶が
 言葉を戻してくれるかもと
 お医者様から協力要請をいただいたんですよ。

 もう何回か
 実践してみたんです。
 小さな渡邉君とはお馴染みになりました。」


水澤が
アルトの三人に
視線を移した。


「先週は苦労していましたね。
 パート練習は
 皆さんの自主的な活動になります。
 しゃべれるかっちゃんは
 きっと助けになりますよ。

 サヨさん
 あなたがリーダーです。
 かっちゃんの応援を生かして
 練習を頑張ってくださいね。」


そうなのだ。
不思議続きでそろそろ感覚が麻痺してもいる大人クラスは、
次を見つめることにも慣れている。


この際、
〝なぜだろう〟はどうでもいい。

かっちゃんは天使に出会い
声を取り戻した。
それはとんでもない声だった。
そして、
………子どもに返ったらしい。

奇跡に理由はいらず、
合唱の発表は
やらねばならぬ皆のミッションだ。


「かっちゃんや」

政五郎が
声をかけた。
しぶい良い声だ。

はいっ

おずっと水澤を見上げ
笑ってもらったのを確認すると
渡邉は顔一杯で笑いながら
いい返事をした。


みなが成り行きを
じっと
見つめる。


「坊主、
 わしらは
 歌はお前ほどうまくはねぇが、
 一緒にやるってことは
 ずうっとうまい。

 ちゃんと言うこと
 聞くんだぞ。」

はいっ


渡邉は
子犬のように敏感に
強くて偉い人を見分けるようだ。
政五郎を見上げる目が
キラキラする。


「ようし
 当分
 うちのクラスは保育所だ。

 瑞月ちゃんも
 かっちゃん坊主よりは
 だいぶお兄さんなんだから
 しっかり教えてやんな。」

「うん!
 かっちゃん!
 よろしくねーーー」

瑞月が手を広げ
かっちゃんは瑞月にすり寄った。
よろしくねー抱っこが
ぎゅぎゅっと行われる。

西原の手が上がりかけ
海斗の眉がひそめられ
作田がため息をついて立ち上がる。




見かけは成人の仔犬に目くじらを立てるのは
恋に狂ったものだけだ。

級長である政五郎が認めたものは
クラスが認めたものだ。
授業は進む。


水澤は
各パートの音源と
三つのデッキを
政五郎
西原
サヨ
三人に渡した。


「いいですか?
 この催眠療法は魔法です。
 他言無用ですよ。
 大人クラスの秘密です。」

そう念を押してから
水澤は宣言する。


「さあ
    パート練習の始まりです。
    みなさん
    頑張ってください。」

画像はお借りしました。
ありがとうございます。





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