この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




洋館の脇に
車は横付けされた。
樫山が助手席を出てドアを開ける。


西原が瑞月に屈み込む。
そして、
高遠は口を開いていた。


「起こしたくないです。」

圧し殺した声だった。
ああ起こしたくないのだ
高遠は自分の声にわかった。


着いたら起こすつもりだった。
が、
胸を冷たい鋭利な刃物で突き通されたように感じた。

西原の眸は優しかった。
咲のようでもなく、
政五郎のようでもなく、
ただ優しかった。

それは総帥、鷲羽海斗に似た眸だった。


自分もまた同じ眸をしているのか
思うと、
その言葉は反射的に口をついて出ていた。


起こしたくない
できるなら
鷲羽海斗の手に渡すそのときまで
無邪気に眠っていてほしい。


西原が動きを止め、
高遠が自分の声に驚いている間に
無情にいつものサイクルは進む。


「………たけちゃん?」

むにゃむにゃと
可愛い声は上がり、
小さな手が目をこする。


西原の顔に笑みが浮かぶ。

「ようし
    起きたな。

    夕食まで時間はたっぷりある。
    宿題やってしまえよ。」

「………うん」

寝坊助の瑞月は、
いつも最初は素直だ。
大好きなトムさんに向かって
可愛いあくびをしている。

ここからだ。

高遠は見詰める。


さらさらの髪が
高遠の肩でほつれているのを
西原がそっと直してやる間に
顔が
またくもる。


「トムさんと歌えたら
 いいんだけど………。」

「低くてつらいぞ。
 自分の声の高さで歌うのが
 一番らくなんだ。」

「だって………わかんなくなるんだもん。」


西原が
さっと瑞月を抱き寄せ
一気に車を降りた。


「元気出せ。
 今日はサービスだ。
 中まで抱っこでいくぞ。」

 キャーありがとう!

瑞月がトムさんに張り付いて
なんやかや
かき口説きながら
笑っている。


 どうしたら
 声が大きく出るの?

 トムさん
 音楽の成績よかったでしょ


ほっとする。
瑞月は
抱っこが大好きだ。

それは
お父さんの抱っこがほしかった頃に
戻っているからかもしれない。
高遠は四年間の間、
毎夜抱っこで寝かしつけた。


あのころの儚さはないが、
不安定な揺れは大きくなった気がする。
そして、
満面の笑顔の愛らしさはパワーアップだ。


 お姫様抱っこは
 海斗さんが
 教えたな


激情とも言える波は
西原の抱っこサービスに上がる
〝うれしいな〟満載の声に
消えていた。


 作戦としては
 宿題だな
 エサは海斗さんだ

 瑞月
 ちゃんと食いつけよ



樫山が開けたドアをくぐり
西原が瑞月を
ポンと着地させた。


「ありがとう!
 トムさん大好き!」

瑞月がぎゅっと首っ玉にしがみつく。
瑞月は、
欲情に反応して凍結し、
安心に反応してくっつく。
本当はトムさんも俺も危ないんだぞ
ぼやきたくもあり、
その安心が愛しくもある。


 さっきのトムさんの顔は
 そのまま俺の顔なんだろうな


そんなことを考えていると、
樫山がふふっと笑った。


「何だ、
 樫山?」

「いえ、何も。
 わたしはチーフが好きですよ。」

西原がかっと顔を赤くした。

「何を言いたい?」

樫山はもう踵を返す。

「好きに理由はいりません。
 戻りますよ、チーフ。」

外に出てから
樫山は言うだろうか。

〝つらくなるのに、
 よく頑張ってますよ〟かな

〝いいチーフだと言ってるんです〟かな

たぶん後の方だ。
高遠は思う。
西原が少し羨ましくなった。
樫山がいてくれる。


自分にも武藤がいて、
水澤がいて、
政五郎がいるな。
そう思っても
今の自分の状況は
些か辛かった。


 長の器か………。
 あのとき
 自然に手が天を指した。

 俺は
 いったい
 何者なんだろうな



「たけちゃん、
 あのね、
 ぼくもアキさんもサヨさんも
 音取れないの。」

瑞月が
頼りなげに
口を開く。

「瑞月!」

高遠は
明るく声を張った。


「な、何?」

瑞月がびっくり眼で高遠を見上げる。


「宿題、
 四月に休んだから
 みんなの倍はあるぞ。
 練習ないのは今日だけだし、
 しっかりやらないとな。

 ほらリスト出して。」

思った通りだ。
瑞月もびっくりしているらしい。
ずらりと並んだリストの長いこと。
自習でできる分は少しはやっていたけれど、
これは本気出さないと終わらない量だ。


高遠は
明るく宣言した。

「海斗さん
 夕食には戻るよな。

 じゃあ
 今日のノルマは
 リストの五分の一だ。

 土曜日に宿題やりたくないだろ?
 二人のオフなんだから。」



高遠の指差す
上から五分の一の位置に
食い入るような目付きで瑞月が見入る。
ようやく具体的な目当てが定まったようだ。


「海斗さんも、
 お前と土曜日を過ごすために
 今頑張ってる。

 頑張れるな」

コクコクと縦に振られる頭にほっとし、
高遠は
勉強スペースを整えた。


自分も英語はやらなければ
考えている。
まだ漠然としたイメージだが、
高遠は〝長の器〟が示すものに向けて
力をつけようとしていた。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。




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