この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





礼っ!
級長政五郎の号令一下、
見事に九十度の礼が揃った。

音楽室の空気は
ピリッと明るい。

〝さあ 今日は何があるかな〟の期待に
〝さあ がんばるぞ〟の向上心
良い意味で緊張感がある。
鷲羽財団総帥鷲羽海斗は、
最愛の伴侶を学校に出した足で
関西に飛んでいる。
共に関西に向かう警護は
作田博だ。


定年は目前であった老刑事は、
鷲羽海斗の要請に応じ、
警護班に入った。
鷲羽屋敷敷地に宿舎も用意できたが、
常駐はしていない。
作田の担当は鷲羽海斗であり、
鷲羽海斗に警護は不要だ。


作田は自由な立場だ。
役職名は〝顧問〟、
さしずめお目付け役というところだ。
定年後の勤めとしては
悪くない。


夜には戻る!
意志固い総帥とそのお目付け役の道中もそれなりに面白いものがありそうだが、
今は音楽室に何かが始まろうとしている。


5月は終わり、
梅雨入りも近い街は、
日に日に濃くなる緑に彩られている。




「皆さん、
 今日はいよいよ
 パートの発表をします。」


それは音楽科担当にして
呉となクラス学級担任の水澤和俊に負うところ大である。
ピシッとした礼は政五郎の薫陶のよろしきを得て定着しているが、
この弾む明るさは
授業への期待と信頼に拠るものだ。


見事な白髪が
やわらかく分けられて
その穏やかな顔を縁取る。
もうその眸を隠すサングラスはない。

担任の視力回復に
最初の歓声が上がってから
一同は
もう
その事実をすんなり受け入れていた。


 天使がいるんだからな


どんな根拠だと
外の人間は面食らうだろうが、
彼らにはそれで十分だった。



そうそう
変貌はもう一つある。
半白だった髪が
見事な総白髪となっていた。
屋敷に戻って一夜明けての変化だった。

似合う。
とにかく似合っていた。
ある意味
視力回復以上にクラスが沸いた水澤の変貌だった。


〝先生
 かっこいい。
 なんか神々しい。〟

〝たいしたもんだなー
 先生は
 たいしたもんだ
 とにかくたいしたもんだ〟


というわけで、
賢者の威厳をいよよ増した担任が
こうして前に立つと
クラスの意気もいや増す。



そして、
話題の天使だろう。


「瑞月はテノールだよな」
「それはそうですが………。」

左右を固める長身の男たちが
瑞月の頭上で
こそっと囁きを交わす。

「なあに?
 何話してるの?」

甘いアルトが加わり、
二人の手がその頭をぽんぽんする。

年の差はあるが
二人の息はぴったりだ。
天使を守る男たちの不思議な絆は
このGWの決戦を経て
また強くなっていた。



瑞月は
もう水澤にしっかり顔を向けている。
頭上のこそこそはよくあるし、
ぽんぽんは〝だいじょうぶだ〟の合図だ。


今は先生の顔を見なくちゃ。
育ち直しも
何歳になっているのだろう。
愛される安心に、
その翼は健やかに羽ばたき出したが、
天使は年を取らぬのか
まだまだ幼い。


神を降ろして舞うとき、
そこに巫はある。
そうでない今は、
無邪気な、
そして
ちょっと世間の風にあてるには
幼すぎる天使がいる。


しかしながら、
天使というものは、
人の心に波を起こすものなのだ。


大人クラスのWTT校生は、
社会の中では弱者だ。
その人生はそれぞれだが、
高校卒業資格を得ることに人生の転機をかけて
このTTW通信制高等学校の門を叩いた点で、
彼らは仲間だった。

みな、
仕事を抱え
歯を食い縛って稼ぎながら
ぎりぎりの生活を送っている。

学費も、そして単位取得も、
その生活をさらに切迫させる要因となる。
止めていくものも当然いた。

そうしたときには、
政五郎も
無理に引き留めはしなかった。
それは代わりに負うことのできるものではない。
ふと誰かが名を口にすれば、
〝頑張ってるだろうさ
 きっとな〟
と応えてやるのが級長の務めだった。



その彼らに
ある日天使が舞い降りたのだ。
無邪気で無垢で
そしていつ消えてしまうかというくらい
儚げだった。


守ってやりたい!
彼らは思った。
すると、
奇跡はどんどん続いた。


教室が変わった。
天宮瑞月が現れ
水澤が登場し
渡邉勝彦は声を取り戻し
一同は瑞月救出のため打ち揃って渋谷駅前を制圧に出た。


今、
大人クラスにとって
授業は冒険ですらあった。
何かを学び
それが力になるのだ。


瑞月は、
そのエネルギーを呼び起こす。


 

「最初に
 言っておきます。
 合唱では、
 パートの声量のバランスが
 大切になります。

 皆さんそれぞれの音域を考慮した上で
 そのバランスを取るために
 いつもと違うパートに入ってもらう人も出ました。

 よろしいですね。」

水澤の問いかけに

はいっ
みなの声が揃う。
見事なものだ。




「ああ
 先生
 先生が決めたこたあ
 必ず意味があるんだ。

 誰も文句はありませんや。
 さあ
 そのパートとやらを
 言ってやってくだせえ。」

政五郎の言葉に
みなの笑みが揃う。
そして、
驚愕の声も揃った。


「ソプラノ 渡邉勝彦さん」
ええええええええっ!?



みんなが
かっちゃんを見詰める。
女性二人は複雑な表情だ。

水澤は構わず続ける。

「そして、
    アルト 生島佐代さん
     安藤亜紀さんです。」


アキとサヨは顔を見合わせ、
アキがサヨのスカートを引っ張った。
水澤が
そんな二人を優しく見詰める。



二人は
いつもソプラノを歌っていた。
声は低い。
それならアルトを歌えばいいようなものだが、
事情がある。



アキは口を尖らせては言ったものだ。

    ソプラノならわかるけど、
    アルトなんて音取れないじゃん。
 そもそも歌えないって。

そして
サヨがこう応える。

 でもさ
 わたしたち
 ソプラノも
 高いとこ出ないのよね。


お定まりの掛け合いだった。
二人は、
ソプラノの歌えるところだけを、
気持ちよく歌っていたのだ。


アキが
サヨをつつくのは、
あんたが言いなさいよ
いうことらしい。




「かっちゃんは、
 全パート歌えるんです。

 かっちゃん
 聞かせてあげてください。
 〝花〟でどうかな。
 皆さんが知っていますから。」


渡邉は
首を傾げて目をつむる。
水澤と同じく
その姿にも変化があった。


いや
むしろ
この姿の方がクラスには
馴染みがある。


傾げた頭に
獅子頭そこのけの蓬髪が
わさわさと揺れる。


母親が小綺麗に切り揃えたのは
ついこの間のことだ。
〝どっちがカツラ?〟と
アキは尋ねたが、
返事を聞く代わりに
バンと背中をどやしつけて言った。
〝こっちが似合う!
 カツラでもいいよ。
 似合うしさ。〟


ばささっ
蓬髪が揺れて
頭がまっすぐになった。


その口が大きく開いた。
声が流れ出る。


 なんという高音
 しかも聴く者の胸骨まで振動させ
 その心臓をも心地よく酔わせる至高のソプラノだ。



音楽室はしんとなった。
うっとりしすぎると、
拍手も忘れられるものらしい。


パンパンと
ゆったりした拍手は
鷲羽海斗のものだ。

我にかえった瑞月が
キャーすごーーーーいと
パチパチし始め、
級長政五郎が続く。


水澤は優しく尋ねる。

「どうです?
 
 女性が二人に
 男性が十人。
 どうしても女性パートが弱くなります。
 アキさん、サヨさん
 かっちゃんの応援をもらいましょう。」


アキが
そわそわと

「でも、
 わたしたち
 ソプラノしか歌えないよ。
    アルトで助けてもらいたいよ。」

「アルトですか。
 そうですね。
 では
 かっちゃんのアルトを
 聞いてみますか?

 かっちゃん
 お願いします。」


ん?
また首が傾ぐ。
あとの手順は同じだ。


心地よいアルトの声が
聴くものを
隅田川を行く花見船に誘う。
この旋律以外に〝花〟の歌詞が乗ることなど
考えられぬほどに。


一つの喉から
驚くべき多彩な声が流れ出す。
奇跡のマジック・ショーに
男性陣は酔いしれた。
瑞月を男性陣とするのも微妙だが、
天使は渡邉にはりついて、
すごいすごいと跳ねている。


「かっちゃんは
 どのパートでも歌えますが
 このメンバーで四部合唱です。
 アルトにするなら
 主旋律を歌うソプラノが消えてしまうでしょう。

 どうですか?
 アキさん、サヨさん。」

アキが絶望的な表情で
水澤を見上げた。

「でも
 二人だけじゃ
 アルトも消えちゃうよ、
 先生。」

そこで、
我が意を得たりと
水澤が大きく頷いた。

何事も
生徒自らが納得し出した答えが
クラスを動かす。



「それは
 私も考えていました。
 
 アルトにも
 応援を頼みますよ。
 天宮瑞月さん
 君の音域はとても高い。
 綺麗なアルトです。

 三人目のアルト、
 お願いします。」


というわけで、
お歌の時間は始まった。
イベントは終わり、
二人には日常というお勉強の時間が始まる。


蛇足ではあるが、
パートについて書き添えておく。
声量があり、
音程の確かなものは限られる。

テノールに高遠と西原。
バスに政五郎と鷲羽海斗が配された。
高遠と西原は手堅い。
政五郎はこぶしがきいてしまうのが難点だが
リーダー性は最高だ。

四人がいれば男声パートは
ばっちりだろう。
問題はアルトということだ。


しばしの平穏にもドラマはある。
章は
夜へと続く。
そして、
次週の授業へと。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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