書いておくべきと思うことあり、
補足しておきます。




店主、
〝○○選手ファン〟という括りを
嫌います。
それは昔からです。
また、
ファンに限らずです。


テロがあるたびに、
〝イスラム教徒〟という括りに警戒しました。
今も鮮烈に覚えていますのは、
後藤健二さんが亡くなられたときです。






衝撃を受けながらも、
頭は動き出していました。
それはイスラム教徒である方を守る方策です。
最悪に備える。
それが基本ですので、
明日のことをまず考えました。
当時、
受け持った領分においででした。


括りによる悲劇を避けることは、
今の世の中の日常です。
少なくとも
店主にとっては日常でした。


☆ユネスコ憲章前文
 お題目と思えません。
 少なくも
 店主は思わない。




〝○○人〟の括り、
〝○○教徒〟の括り、
人種、宗教、信条、国等々の括りが
容易く人を戦争に導きます。


人を見るとき、
そこには
ただ一人の人間がいる。
何国人がいるでも
何教徒がいるでもない。


それは
ずっと貫いてきました。
そうしていても、
たとえば〝腐女子うっかりゲイに告る〟を拝見すると、
ハッとする。

自分の中にある想像力の欠如に
気づかされる。

そうした想像力は
人を貶めるためでなく
人に添うために使いたい。

付け加えるなら、
一つの場から誰か一人を血祭りにあげるためでなくです。






店主が避けるのは、
〝○○選手ファンは〟の下に続く述語とお考えください。
〝○○選手ファン〟は他を貶める
という述語も拒否です。



 〝○○選手ファンは〟という主体、
 それを負わない。

これは、
自身に言い聞かせるために宣言しました。
これを目にすると、
自身が反応してしまうという
個人的事情がございます。


そこにつく述語が
名誉なことであろうが不名誉なことであろうが、
自身を○○選手ファンであると認識しているため、
揺らいでしまう。

そうすると、
そんな自分が〝書く〟ことはできなくなる。

個人的事情の中身は、
そういうことです。


それを負わない。
それだけです。


述語は様々ありました。

………美人だ。
………偉い。
………自浄作用がある。
………正しい。
等々。

とても負えないというのもあります。
身がすくむ。
ご遠慮したい。

が、
その主体が個ではないことが、
一番の理由です。
そこに入らぬ自分をもっていたい。


すみません。
書けなくなります。
その事情から宣言しました。
自分に言い聞かせるためです。
負わないと。




何事につけ、
○○選手ファンは
嫌います。

もちろん
○○選手ファンは他を貶める
を嫌います。
それを書いておかねばと思いました。



 二択ではない。
 負わない=敵
 ではありません。




同時に、
これは攻撃じゃない。
だって正しいことだから言わなきゃ。
受け入れません。


ここにつきましては、
長きに渡り貫いてきました。
申し訳ないのですが、
どなたのファンもが〝攻撃〟じゃないとして繰り返してきたものを
見ております。


それが正義なら、
同じ世界で
こうも都合よく
好き嫌いにより変化するところが
些か腑に落ちません。


根拠を聞けば
何さんが言っていた
こう聞いた
そんな話が多すぎます。


攻撃する。
その見識がある方もおいででしょう。
が、
匿名で
実名のアスリートを攻撃することを
店主はしません。




失礼を顧みず申し上げるなら、
それは
店主にとって、
卑怯な振る舞いです。



思いは
それぞれのままにと思います。
どなたにとっても
そこは
大切です。


そのためにこそ
他のことばに出たものを負わない。
そう自分に言い聞かせる。
そういう整理整頓をいたしました。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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