この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




小さな銀色の台につま先立ち
琥珀色の女神像がくるくると回る。
涼やかな音色が
時を告げた。


高く壁を占める窓ガラスから
レースのカーテン越しに陽光はラウンジを満たす。

外にも出よ。

氷雨に降り込められ、
つれづれの時間を過ごした社交の場は
今日はお役御免らしい。
客たちはラウンジに足を止めることなく
ドアボーイが脇に控える玄関へと向かっていく。



南部にいち早く訪れる春を慕って集った彼らは、
ようやく解禁となった外出に浮き立ち、
華やぎはご婦人方の薄色の装いに明るかった。



「おお
 これは……ウェストンさん!
 嬉しい驚きですな。
 なんと可愛らしいお連れだ。
 ご紹介いただけますか?」

正直な、
そして
嬉しげな声が
ラウンジから響いた。




長身の男性が
声の主に微笑み、
腕の中の少年に何か囁いた。

脇を抜けようとして
客たちは
足を止める。



金色の滝が
陽光を弾いてほっそりした肩から背を覆っていた。

それは
後ろからも見えて
〝まあ きれいだこと
 男の子かしら
 ………女の子?〟
連れに洩らす囁きは
数組に交わされていた。


生きた二体の彫像が
その横顔を見せたときから
それを見る人々には
飴のようにひきのばされた
不思議な一時が流れ出した。



十四、五歳と見える少年は
男性を見上げる。
さらさらと黄金の髪が波を打つ。
唇の紅が愛らしい。
いじらしくも真っ直ぐな眸の青は
宝玉のそれを思わせる。


 ああ
息を飲む間もなく
唇の紅が
何か囁くと
ゆっくりと男が見下ろす。



その端正な横顔は
この一週間ほどの間に
一度は話題に上がっていた。
〝アポロンよね〟
そう連れの婦人が囁かれては
紳士たちは苦笑を隠して返したものだ。
〝そうだね〟


その顔に張り付いていた
社交上の笑みは
今はない。

ふうっと慈愛に満ちる笑みが
広がった。
アポロンは
愛するものを抱き
今こそ太陽神の輝きを存分に発する。


一幅の絵。
幾組かの客の
止めた足をふたたび動かすには、
誰かがきっかけを与えるしかない。



アポロンは
ヒュアキントスを伴い
声の主に向かった。
朝の恰幅のよい紳士は
散歩の前に一勝負と始めたらしいブリッジの卓に
立ち上がっていた。



「弟です。
 今日の日差しが
 元気をくれたようです。
 外に出たいと言ってくれました。」


グレンは尋常に挨拶をする。
己の姿が呼び起こす憧憬の波動には
慣れていた。
だが、
今日は、
別の用心も必要だった。



黒髪のアポロンは
金髪の華奢な少年の兄を名乗らねばならない。
〝弟〟という紹介を受けて
集まる視線の熱量は増していた。



グレンは
わかっているというように、
紳士に微笑む。

「私の母は早くに他界しまして………。」

そうして、
紳士も
はっと胸をつかれたように
グレンを見つめる。

グレンは
周辺に
その理解が染み込むのを待って
次を続けた。

「父も、
 彼の母も、
 病を得て亡くなりました。

 この子は
 私にとって
 ただ一人の家族です。」


そうして、
そっと
アベルを押し出した。

「初めまして。
 アベル………あの、アベルと言います。

 よろしくお願いします。」


姓は忘れてしまったらしい。
仕方ない。
それに、
気にする必要はなさそうだ。


薄幸の美少年と
その義兄という設定は
旅先という非日常にある人々に
夢を与えていた。


多少の不都合も不整合も
その求めるロマンの柱さえあれば
勝手に修復されていく。


「おお
 アベル君、
 素敵な春の日だよ。

 兄上と楽しんでこれるといいね。」

「ありがとうございます。」


あどけなくさえあるアベルの声は
病弱な弟というには
些かあかるい。

だが、
遠乗りに連れ出すには
ちょうどいい。



「幸運の女神が
 共にありますように」

ブリッジの卓に目をやり
言い残すと、
グレンは
アベルと共に踵を返した。


止まっていた客たちも
動き出す。



彼らと同道はできない。


グレンは先を確かめる。
遠乗りを選んだ客はいないらしく、
玄関には
馬車の他には
黒馬が一頭馬丁に連れられて待つのみだ。


いいだろう。
遠乗りだ。

神殿か………。
教会も知らずに育った恋人は
神殿という言葉に
憧れを口にした。



望むものに応える。
それだけだ。
そう思う己は
どこか痛むものを抱えている。

それに気づきながら
それが膨らんでいくのを
ただ感じているしかできないグレンだった。


イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。
ありがとうございます。



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