この小品は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





 海斗………海斗………海斗………………。

呼んでも呼んでも
まだ足りぬというように
繰り返し囁きは寄せられる。

瞑目して聴き入る海斗に、
思いは去来した。





早春の池に広がる黒髪。
抱き上げれば
桜の小袖は濡れそぼち
少女めいた細い体には重きにすぎると感じた。


眸に何かを認めた弾みをとどめ
その口もとに笑みを浮かべながら
白き肌は既に青みを帯びていた。



焦がれていた。
自分は焦がれていた。
今はそれを知っていた。
焦がれていることすら忘れるほどに長く
焦がれていた己の名を呼ぶ声を
海斗は
ただ聞く。




その名を呼び返したいのに
今は
ただ聞いていたい。
胸にぽっかりと空いた空洞を埋め尽くすまで
聞いていたかった。


〝寂しがりやの狼さん〟
優しいアルトにも思い出すことのなかった飢えは
瑞月を得てから日常となり、
惑溺と渇望の狭間に海斗を甘く揺らすものだった。



「あ………。」

微かな声にはっとして
目を開くと、
瑞月が
微かに眉を寄せていた。


「瑞月、
 痛むのか?」

え?
驚く瑞月の声は
もう耳に入らない。


無器用な狼は
己の牙に切り裂かれ
泣き叫ぶ仔猫の断末魔を覚えていた。


あたふたと褥に下ろせば
実体を取り戻した愛らしい裸身は
ぱふんと褥にはずむ。


「ど、どうしたの?」

真ん丸お目目になった真っ白な仔猫の小さな頭は
狼の隆々と筋肉の盛り上がる腕に
抱え込まれた。

抱き締められ
ふがふがと
何か言おうと仔猫はばたつくが、
自責の念にどっぷり浸かった狼は、
聞く耳をもたない。


「じっとしておいで。
 少しの我慢だ。」

囁く声は低く、
真剣だ。


答えようにも
お口が不自由だった瑞月が
狼の腕から解放され
ぷるぷるっと頭を振ったと
思ったら、
くるりと背を返された。


「やん」
一声発しただけで、
仔猫の背は
優しく
ただし厳然と褥に押さえられる。




拓也が見たら、
たっぷり一ヶ月はからかうだろう真剣さで
戦神とも謳われる肉体をもつ男が
屈みこむ。



双丘をそっと押し開かれ
仔猫は
はっと息を飲んで
じいっと身を縮めた。




ほうっと吐息がもれる。
内奥かもしれないと思うが
それを確かめることは憚られる狼だった。


背を押さえる手から力が抜け、
するりと仔猫が抜け出した。
ちょこんと褥にひざをつき、
狼の憂いに満ちた顔を見上げる。


小さな白い手が
端正な顔をそっと包んだ。



「ぼく
 どこも痛くないよ。
 ほんとだよ。」

ようやく
仔猫の声は狼に届いた。

罪の呵責に苦しむ狼を救うべく
天が下した天使のように
瑞月は微笑む。


気も狂わんばかりの懊悩が
その優しき手に
静まっていった。



だが、
さきほどの映像は
海斗の脳裏に焼き付いている。

天使の許しを得て
なお
罪人は己の手が流した血を思う。


「お前は
 何かたえていた。
 ………瑞月、
 ちがうか?」


 羽化を俺は見ているんだろうか………。

自分の問いが
呼び生けたものを
海斗は言葉もなくただ見つめた。


白磁の肌に
みるみる血の色がのぼる。
身は捩られ
羞じらって背けた横顔に伏せる睫毛が震える。

思うと
その柔らかな裸身は
己の腕にあった。


そして
囁きは耳をそよがせる。


え………?


意表をつかれて
狼は仔猫の術中に落ちた。


「瑞月………何て言った………………。」

思わず
野暮に問い返そうとする唇は
その吐息ごと仔猫のそれに塞がれた。


静かに唇は離され
唇は朱く濡れ
見上げる眸は輝く。


仔猫はしなやかに身をくねらせ
白豹となって絡み付いた。


そして、
囁きは甘い。

〝海斗が言ったんだよ。
 忘れちゃったの?〟


あっ………と
その顔を上げさせようとする。
だが、
白豹は見切っていた。
その腕をすり抜け
褥に降りる。


つかまえようとした腕は
むなしく泳いだ。

そして、
うふふっと笑うと
白豹は仔猫に戻った。




愛らしく小首を傾げて
上気した頬を見せて
褥に目を落とすと
呟いてみせる。


〝今もだよ
 ぼく
 今もなの………ねぇ、海斗
 海斗は?〟


振り零された涙が、
見開かれた目が、
ふっと浮かんでさらさらと消えていく。


甘やかな悲鳴は
仔猫の媚態。
焦らされた狼は
悪戯な仔猫をその前肢に押さえつけた。


「俺は
 いつでも
 お前が欲しい。」


そして、
巫は
夢現をただよう。


長は
繰り返し確かめる。
巫の喘ぎに確かめる。
巫の願いを確かめる。

海斗………………

海斗………………

海斗………………


巫の渇きは甘く、
喘ぎは楽を奏でる。


〝海斗に触れられると
    ………うずいちゃうんだもの〟


光の宮は
もう二人を待っていた。


イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。
ありがとうございます。


☆すみません!
    だいたい書けたところで
    歓送迎会に出かけました。
    昼は前の職場で引き継ぎ。
    夜は今の職場で歓送迎会。

    で、
    ちょっと雲隠れして
    書き上げたんですが、
    ………途中で投稿になってました。

    びっくり。



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