この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





不動産屋の社長は
皺に苦労を刻んだ顔に安堵の色を浮かべ
拓也に挨拶し
尋常に倉庫の戸締まりをした。


物産展が交わした契約は
きっちりと終了を迎え、
賑やかなお迎えをしてくれた子どもらは
気恥ずかしくなるほどのお見送り隊となって
手を振りぴょんぴょん跳ねる。



そのお迎え隊の到着から注視していた鷲羽警護班は
綾子の車に乗って来た子どもらを引き受け
さらに綾子自身の運転も代わろうと申し出て断られた。
そこで引き下がってよいかは
意見の分かれるところだろうが、
そこは致し方ないことだ。



突発事の明るい終わりは
そこまでだった。
申し分なく
それは明るいものだった。



かくして、
高遠は綾子の運転するミニに乗って、
振ってもらう手に応えて
しずしずと動き出す真紅の車体から
手を振り返して公園へと帰路についていた。



トラックの尻を見上げながら
見えない前方に気を配るのを好むドライバーは少ないが、
見知らぬ街を走る初心者には
先に気を配る労を省いてもくれる。



綾子は
助手席に座る少年を思う余裕が与えられた。
久しぶりに会う。
彼から受け取った手拭いは
バッグの中にあった。
それを彼が覚えているかは気にならない。
ただ、
その眸の深さが綾子を引き戻していた。


 人を思うって
 どういうことだったろう………。






己の手に光の剣をかざしたときが
高遠には
ひどく重くなっていた。



〝日〟に向かって求めたままに
それは与えられた。
 我に 与えよ!

身内を駆け抜けて天に昇った脈動は
甦っては教える。
この感覚を自分は知っていると。


 水澤先生は
 俺を………知っているんだろうか。



そう心は騒ぐ。
もし
そうなら
思うと
鷲羽の裏山を登って出会った老人が
思い出される。

 瑞月は
 俺ものにはならない。
 なるはずがない。
 ………ただ見ているしかない
 それは
 遥かな昔から定まっていることなのか


そのことが
この恋の絶望を告げるようで
叫びだしたい。




「高遠様、
 着きましたわ。」

おずおずと掛けられる言葉に
ハッと我に返ると
綾子が自分を気遣わしげに覗き込んでいた。

慌てて謝辞を述べ
車を降りると
拓也が運転席の橋本を見上げていた。
何事か言っているのは口許でわかるが、
公園に折しも上がる大量の風船に上がる歓声で
聞き取れない。
拓也が何かその窓に差し出し
橋本の手がそれを受け取った。




橋本の相棒が
ほっとしたような顔で助手席に乗り込んでいる。

もう行ってしまうのかと
高遠が
急いで
駆け寄り
「ありがとうございました」
下げた頭を上げると
トラックはもうその前を動いていた。
橋本が小さく手を上げるのが見えた。


まるで
何も起こらなかったように
高遠は
物産展の賑わいの中に残された。


「豪君、
 行こう。

 瑞月も
 きっと戻っている。
 海斗さんは勝ったんだ。
 それは確かさ。」

耳元に囁く声が優しい。
拓也だった。
そう拓也がいることが
大きな違いだ。



「そうですね
 じゃあ
 綾子さん………」


振り向いて
高遠は
一瞬つまった。


自分をじっと見つめる眸があった。
綾子は
風船に誘われることもなく
高遠を見詰めていた。


拓也さーん

時ならぬ感極まった声が
駐車場を動いていく人々が
思わず足を止める。

駆けてくる。
一生懸命だ。
飛び付いていく。
しがみつく。


電話くらい出なさいよっ


面食らいながら
拓也が笑っている。
わかっていないのか
わかっているからなのか
拓也は杏の頭を撫でて
ますます怒った杏が頭を振り立てている。


「杏ちゃんが心配してくれたんだよね。
 ありがとう
 おかげで帰る足が手に入った。
 どうやって戻ろうかって
 悩んでたんだ。」


拓也の声を聞きながら
また目を戻すと
綾子はまだ自分を見つめていた。
白いシャツブラウスに飾り気のないジーンズ。
手にはスタッフのジャケットがある。


 この人も
 心配したということだろうか。
 そう言えば
 運転もひどく頼りないものだった。

運転は関係ないのだが、
高遠に与えられた情報は少なく
知る限りでは
綾子は海斗を慕う少女だった。




そのジャケットに手を伸ばすと
高遠は
それをそっと綾子に着せかけた。
少女から動くことはなさそうで、
そこにずっと突っ立ってもいられない。


「行きましょう。」

高遠は優しく綾子に声をかけた。

「はい」

綾子は素直に歩き出した高遠に従った。



お昼時をねらっての来客は
こうした催しでは
もっとも多い。


その手に戦利品を抱えては
草地へと移動していく客たちは
引きも切らない。


肩を並べては
そこを抜けていくのも大変だ。
高遠は綾子を後ろに庇って
するすると道を行く。


ふっと
自分の手を握る手に振り向くと
綾子だった。
何も言わぬ少女に
高遠もまた黙って
その手を引いて歩き出した。
道は混んでいた。


ぽっかりと
空間は開けた。
広場に設けられた櫓が
なんだか懐かしくさえ感じられる。


繋いだ手が
そっと外されていく。
高遠は観戦道路の歩道から降りてくる二人に気づいた。





瑞月は
服を着替えていた。
薄緑に透ける上着が白いぴったりしたインナーをふわっと覆っている。
透ける肢体がほっそりした蝶の胴を思わせた。
胸元に勾玉のペンダントが揺れている。


陽光に煌めくとも
その手を取った男の情に耀うともつかぬ翠が
遠目にもけざやかだった。



その足が最後の段から下ろされて
その眸が上がる。
何かを探すように動く眸。
何を求めているかは高遠にはわかる。


高遠は
海斗の姿に
目を移した。

瑞月の手を支えていた手が
そっと外され
海斗が自分をまっすぐに見詰める。


何度も
何度も
気の遠くなるほど繰り返した手順だ。


走ってくる。
美しいものだ。
薄緑の裾がひらめく。


走る瑞月はアタランターだ。
敵わない。
一心にただ一心に駆けてくる。


胸に飛び込んでくる。
「たけちゃん」という声が
涙声だ。
抱き止めれば薄緑の羽を震わせて
蝶は安らぐ。


安らいで
心を解放する。
見上げる顔をツツーーッと流れる涙を
そっと拭ってやり
高遠は微笑む。


「瑞月、
 だいじょうぶだ。

 お前は頑張った
 そうだろう?」

かけてやるべき言葉は
ただ湧いてくる。



「ぼく………………怖いんだ」

小さな声が
訴える。



綾周の姿がない。
海斗がゆっくりと近づいてくる。
その顔を見つめながら
高遠は口を開いた。


「何も怖くない。
 瑞月は
 少しも変わらない。
 俺の大事な瑞月だ。

 だから………だいじょうぶ。
 だいじょうぶだ。」


胸の中で震える蝶が
そっと自分を見上げようとしている。
高遠はその眸をしっかりと受け止めて
にっこりと笑った。

ホント
と確かめる一生懸命な顔に
その頭を撫でてやり
高遠は揺らがない。


海斗が
瑞月の肩に手を置いた。

「海斗
 たけちゃんがね、
 だいじょうぶだって。」


嬉しそうな声が弾む。
その手がまだ自分の胸にあるのを確かめて
高遠は瑞月を抱き寄せた。


「さあ
 お昼まだ食べてないだろう?
 行こう。

 海斗さん、
 ぼくたちちょっと回ってきます。」


海斗は手を離し、
櫓を見上げた。

「俺は櫓にいる。
 何かあればわかる。
 行ってこい。」


踵を返す海斗を瑞月が見詰める。
その小さな頭を
高遠はただ見詰める。



瑞月が自分に向かって駆けてくる。
そのときの海斗の顔が
浮かぶ。


 あなたも
 きっと苦しい
 ………俺も苦しいです



〝長ごと守って見せますよ。〟

自分の切った啖呵が
耳に谺する。
そうすると決めたのだ。


「さあ
 瑞月
 午後はお前とデートだ。

 美味しいものがたくさんあるぞ。
 まず食べにいこう。」


胸にかかる勾玉は
陽光を吸って煌めく。
そっとそれをTシャツの下に押し込んでやると
高遠は瑞月の手を引いて歩き出した。



拓也はテントに戻ると
伊東がモニターで瑞月と高遠を追っていた。
「無事ですか?」

「ええ
 楽しんでおられます。
 そちらこそ
 ………片付いたのですか?」

「もちろん。
 ご心配をおかけしました。
 
 今日は
 もう何も起こりません。
 また後でお話ししますよ。」

「ええ
 また後で。」



伊東が
高遠に起こったことを
どう判断するかは分からない。
だが、
高遠への信頼は揺らぐまい。


モニターに映る高遠は
若々しく
明るい空気を振り撒いていた。
その顔を見上げて屈託なく笑う瑞月は
幸せそうだ。
高遠は瑞月を抱いて飛べる。


 何があったか知らないが
 今は
 だいじょうぶ


案内所に入り、
さっそく届く各店舗の状況に
目を通した。
完売だな。
そう確信した。
そして、
予約注文も続々と入っている。


ネットワークの立ち上げは
上々の滑り出しを迎えていた。
利益還元が店舗の皆が生きる地を潤すことが
また皆を励ましているだろう。


〝こりゃあ
 町のお役に立てると
 思いますよ〟

店舗の売り上げを
そう誇らしげに語る店主たちの笑顔を
さっきも見てきた。


「皆様
 たくさんのお買い上げ
 ありがとうございます。
 また復興支援の御寄付を
 お一人様千円以内とお願いして受け付けております。

 小さな手が募金箱に入れてくださった10円、100円のお気持ちを大切に
 被災地の皆様へとお届けします。 
 どうかよろしくお願い致します。」

涼しい美しい声に
拓也は
アナウンス担当の席を見た。


綾子が凛と背筋を伸ばして
座っている。
アナウンスを終えて
深く頭を下げた。


拓也の視線に気づき
綾子が席を立つ。
何事か囁き
少し年嵩の女性が代わりに座った。


すっすっと
綾子は拓也に歩み寄り
静かに頭を下げた。

「どうなさいました?
 三枝さん。」


拓也は〝綾子様〟の噂は聞いていたが
初対面でもあり、
また周囲への配慮もある。
三枝さんと呼んでいた。




モニターのあるテント後部には
数人の警護のみが
伊東に従っていた。
忙しさもピークの今、
スタッフは皆出払っていた。

伊東が目で合図すると
警護の者は
そっと場を離れた。



綾子は
しっかりと拓也を見つめた。


「祖父が
 武藤さんに無理を申したのではありませんか?」

静かな眸だった。


「いや
 無理に押し通すことは
 なさいません。

 ですから、
 こちらも流れのままにとお答えしています。」

拓也も静かに応えた。
伊東はモニターを見つめたまま動かない。


「私、
 恋というものを
 先程拝見いたしました。」

「高遠君ですか?」

「ええ。
 それに海斗様です。」

「ご覧になって
 何かお気持ちに変わりが?」

「祖父には
 もう決して無理は言わせません。
 私はまだまだです。

 高遠様を拝見して切なくなりました。
 そして、
 切ないなどと思ってはならぬとも
 思いました。

 それでも、
 まだ切なくて
 高遠様を思うと苦しくなります。

 ですから、
 お邪魔になることは
 少なくともお邪魔だけは………したくないのです。

 私などでも
 鷲羽の皆様のお力になれることがあれば
 いつでも仰有ってください。
 必ず参ります。
 
 ですが、
 もう無理なお願いでお騒がせすることはいたしません。
 祖父のこと申し訳ございませんでした。」

綾子はまた頭を下げると
戻っていく。


伊東がほっと吐息をつく。

「いいお嬢さんですね。」

「ええ
 本当に。
 惜しいくらいです。」

それは本音でもあった。
海斗の嫁取り騒動は
彼女で終わるとは思えない。

三枝憲正が手を引いたとなると、
次は誰がどう動き出すか。
それを思うといわばストッパーでもある綾子だった。

 でも
 海斗さんより
 豪君の話ばかりだったな………。

ぼんやりと
そこが引っ掛かったが
片付けを見越した終盤戦の忙しさに紛れ
いつしか忘れていた。




高速道を行くトラックに
後部の休憩スペースで付けているテレビの音が
流れている。


〝鷲羽財団が立ち上げた
 「黄金の里みちのく」の発足記念物産展が
 大盛況の内に終わろうとしています。
 今日受け付けた予約注文が
 既に各地の工場を動かしています。

 その利益の一部を参加企業がその拠点を置く自治体に還元するという
 長期的な復興支援に繋がるプロジェクトは
 上々の滑り出しを見せました。

 地元の皆様の声をお届けします
 ………………。〟


「おーい
 なんかニュースになってるぞー
 えらくでっかい仕事だったんだなー」

相方の声には構わず
橋本は
じっと前方を見据えて運転を続けた。

受け取った小さな紙切れは
胸ポケットにある。
それを思うと何とも言えぬ思いが
込み上げてくる。

 あの弟ってガキ、
 面白い奴だった………。

応じるつもりもなかったが、
真っ直ぐに乗り込んできた少年が
不思議と心に残っていた。



どどーーん
終了は
祝砲を思わせる花火だった。
日が傾く前に
物産展は参加者の歓声と拍手で
笑顔の中に終わった。



「海斗ーーーーーっ」


可愛らしい口を精一杯に開いて
瑞月が櫓に向かって
その名を呼んだ。


ゲートが取り外され
幟が次々と畳まれていく中で
櫓から身軽に降りてくる影が見える。


そして、
高遠は繋いだ手を放した。
駆け出していく。
手を離れ、
ぐんぐんスピードを上げて駆けていく姿を
高遠は見送った。


溶け合った。
そう見えた。
長身の黒い姿に薄緑の羽の下の白が
絡み付く。


「高遠様ーー
 テントを片付けますよーーーーっ」

綾子がぶんぶん手を振っている。
拓也が、
伊東が、
もう忙しげに動き出していた。





長の器をもつ少年は
ゆっくりと傾いていく名残の日差しを浴びて
手をらっぱに叫び返した。

「今行きまーーーす」


イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。
ありがとうございます。


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