さて、
速攻で職場。
9時を待ちかねて取引先。
 ああ
 やはり そうでしたか
ご迷惑をおかけしますが
よろしくお願い致しますを済ませ、
今日一日はフリー。


店舗でも気になり、
こちらでも気になる小さなトゲを解消しましてから、
タプタプしたいと思います。


区別は差別に繋がるか

オセロゲームでしたら、
白黒はっきりして成立でございますが、
人はそうではない。


にも関わらず、
宗教を
人種を
肌の色を
国を旗印に人は白黒つけたがる生き物でございます。


店主、
常々、

 戦争は
 人の心の中で
 生まれるものであるから、

 人の心の中に
 平和の砦を築かなければならない

ユネスコ憲章前文を、
そんな悲しい人類が到達した一つの真実と考えております。


真実ですから、
人は繰り返しそれを証明いたします。
場面は違えど
〝異なるものの排除〟は
悲しみの根源となる。


排除ではなく共生となりますとき、
区別は人の尊重となるものです。


障害と健常。
その二つに
この年まで見て参りましたことを
思わせていただきます。


特に、
知的障害・情緒障害・学習障害。
目に見えぬ障害に
店主は根強い差別を感じています。






甥と娘を連れて
温泉に行きました折りのこと、
何回か記事に触れて参りました。


リンゴを浮かべたお風呂。


小さな宿であったこともあり、
宿泊客も少なく、
お風呂に入りましたときは、
一緒に旅行を楽しむ方々だけでした。


男の子たちが四人だったか………。
女の子もいました。
お母様かなと思われる年代の方々も三人ほど、
リンゴをポンポン投げては貸し切り状態を楽しんでおいでだった。




〝リンゴ なげちゃ いけないんだよ〟

甥は言いました。


お風呂が静まり返りました。
甥の言葉は独特のアクセントがあります。
同じ年頃、
でも
明らかに〝ちがう奴〟。


一瞬の沈黙の後、
男の子たちの一人が
甥にリンゴを投げつけました。


間髪を入れず、

やめなさいっ!!

店主、
腹から声を出しました。
店主、
けっこうな声を持っております。
大浴場がビリビリするほどに。


再び沈黙。


〝外のお風呂行こうっ〟
お母様方のお一人が、
思いきり明るく作った声で宣言し、
御一行は外に出ていきます。


〝あの子
 変だよねー〟
女の子の第一声に
キャハハハハと大人の女性の笑いが
そうだよ
だいじょうぶだよ
と被り
男の子たちのすっかり元気を取り戻した笑い声は
内風呂に届けと高らかに勝鬨をあげました。



〝お母さん
 ○っくんのこと
 言ってるよ〟
〝気にするな〟
店主。

甥はキョトンとしていました。




きっちり洗って
お風呂に浸かって
部屋に戻りました。
 よいお宿ですよ
 店主、三回泊まってます





店主らが内風呂に粘っていたら
どうなさっていたでしょうか。
大人は誰一人
甥に投げられたリンゴの詫びを
仰有いませんでした。




宿の風呂で大騒ぎも
人にリンゴを投げますのも
誉めた行動ではない。
それはあちらもお分かりだったでしょう。
ですが、
御一行は勝ち誇っていました。



 甥のアクセント。
 そして、
 初対面の人という区別ができていると感じられない表情。

それらに基づく
〝あの子、変〟というところが
その優越感の土台だったと思います。



りんごの件は
店主の〝やめろ〟の一喝で
相殺とでもいうところでしょう。
何しろ店主一行は障害者連れなのです。




向き合って
甥の障害を笑うのは気が引けても
聞こえよがしに笑うという制裁は加えたい。

公の発言では許されないものですが、
日常生活では染み付いている差別。
そして、
染み付いていると誰もが感じているということ。


そのためか、
ありがちな悲しいことが
ときに起こります。


 子どもに障害がある
 となりましたとき
 どちらの家系の血なのかと
 争う。

 障害があることそのものを認めない。


それは、
障害に対して
世間に染み付いた差別を恐れる心情に発する
無理なき思いでもあるように考えています。



〝ちがう〟ことへの差別は
〝同じ〟でなくなることへの恐怖にも
繋がります。
障害の問題だけにとどまりません。

時代により
移り変わるものもありますが、
 離婚
 未婚の母
 孤児
 部落
 国籍
 前科
 LGBT
 ………………。
その時代時代で〝ちがう〟ことが
人を苦しめてきたように
思います。



会話の中に出てくる声を潜める感覚が
〝ちがう〟ことを悪いことのように
感じさせる。



 それが伝わりますと、
 ただ
 周りから人が消えていく。


そう感じさせる無言の圧力が
社会にはあります。
それを少しずつでも変えていくのが
人間の叡知というもの。

法律を整え
苦しみに添う制度を作り、
………………人の心に平和の砦を築いていく。



心。


これが一番難しいこと。
人生、
どこまでも修行です。 
精進しなくては。




    学習障害について、
    最後に
    付け加えておきます。

    もし、
    学習でのお子さまの様子に
    疑問を持たれましたなら
    検査を受けることをお勧めします。
    それも専門家のアドバイスが大事です。


 
 区別を求めることが
 必要だからです。
    万人に同じサイズのベッドは
    悪平等。

    同じチャンスを与えることが
    平等と思います。
    学習するチャンスをです。


    姉は
    保健所の言葉に疑問をもち、
     店主の知るカウンセラーの方に
    甥を見ていただきました。



     試行錯誤しながら
    明らかになった障害を助ける方法を探り
     甥は今は就職してお給料を家に入れています。



     授業についていくために
     学習障害をもつ子には、
    健常児には不要な努力が山とあります。
     その努力も労ってあげてください。



     努力をすることで
     大好きなものに出会うこともできます。




     甥は教科書を読むために
    目を一定方向に動かすのが大変難しかった。
     百マス計算での苦労など
     並大抵ではありませんでした。

    自転車やスキーは上手にクリアしましたが、
    距離感がつかめないので、
    球技はほんとうに苦手。
   


    でも、


    日本全国の駅名ですとか
    大好きな歴史のあれこれとかに
    甥は出会いました。
    



     好きな学びがあること
     好きな歌があること
     努力に辛抱強く付き合い、
     大好きを引き出す。
正直、書き初めのときは姉が鬼に見えたりもしましたが………甥は頑張った。


 
 このところの長野行は
 お酒を知った甥が
 美味しいなと思った場所が
 夕食の場所だったりします。
 ご相伴しています。





〝ちがう〟は
どの人生にも降ってきます。


〝ちがう〟ことにではなく、
今生きている自分に、
目の前にいるその〝人〟に
目を向けて生きていきたいものです。




画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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