この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




闇の首魁らしき老人は
消えていた。



それが確かにいたという名残のように、
床に転がった黒服の姿がぐにゃりと崩れ、
床に吸い込まれていく。



そして、
この攻防の戦果は
なにがしかの哀しみをともなうものなのだ。
西原は心をホトホトと叩くものを感じていた。


 瑞月が
 ………泣いている

そう感じたのだ。


西原は
くっ………と
喉を詰まらせる音に振り返った。



「アヤちゃん………。
 とってもね………きれいよ。
 あなたはね
 おばさんの自慢の子よ。」


少しでも声を大きくしたら
抑えきれなくなってしまうというように小さな声が続いた。


民が目に涙を浮かべて見上げる先に、
小さな手にしっかりと笛を握った幼い綾周が
髪を髻に結った水干姿で
座っている。


くるくると虹を思わせる光は、
今は綾周を抱いて、
そこに球体を成していた。


その光に守られて
あどけなく小首を傾げる綾周は
姿は童子となりながら
魂は赤子のままのようだった。

ただ透き通る眸に
虹色の揺らめきが美しい。



長い年月を越えて
古びた木の床は灰色で、
そして、
四方の壁からは細く差し込んだ陽光が
その灰色に白く幾筋かの線を落としていた。



ここは………いったい
どのくらいの時を過ごしてきたのだろう。
西原は
ふと目に入ったものを床から拾い上げた。



裂けた布だろうか。

 ………血?

茶色くその布に残る染みがあった。
それを確かめる間もなく、
それは西原の手の中で
脆く崩れ
糸屑の塊となって指先から零れ落ちる。


 ここに
 血は流れた………。


仄白く
差し込む陽光に浮かぶ棚の列は
その幾つかが横板を斜めに落としている。
さらに
その幾つかは割れ
裂け目はからからに乾いていた。




「秦、
 大したもんだ。

 お前は守りきった。
 ………偉いぞ。
 偉い 偉いな………………。」


西原の耳に
級長の声が届いた。


 マサさんに
 こう言ってもらえたら
 ………俺は本望かもしれない。


西原は
思わずそう思った。

政五郎が
その抱き締めた若者に
優しく語りかけていた。


その手に抱いた青年を
そっと政五郎が横たえる。
そして、
囁いた。



「さあ
 渡してくれ。
 渡したかったんだろう?」

伊周の胸に
その細い腕がしっかりと抱き締めたものがあった。
刀の似合わぬ腕だった。

血飛沫舞うこの部屋で、
この若者は逃げ惑うしかできなかったろう。
それでも、
それでも守ったのだ。


己が大事に思うものを
ただ守りきった。
長い長い時の流れを越えて
一人の楽人が守ってきたものが
その胸にあった。



政五郎が
ゆっくりと立ち上がった。



海斗が
胸から翠の宝玉を取り出す。

「いい子だ。
 出ておいで。」



ふわっと
そこに降り立った天使は
まっしぐらに駆け寄った。


「マサさん!
 マサさん悪くないからっ
 悪くない
 悪くないよっ!!」


鷲羽海斗が
政五郎を見つめていた。
瑞月は政五郎の顔は見ない。
ただ
必死にその老いた体を抱き締めていた。



 それしか頭にないようだな
 瑞月

 うん
 それしか
 大事なことはないさ

 きっとね
 きっと
 みんな
 だから戦えた………。


西原は
瑞月の唇を思い出していた。
それを思うとき
西原はただ満たされた。


 聖なる瞬間ってやつさ
 瑞月
 あれを思うと
 俺は満たされる………。




しっかりと回された手に抱かれ、
政五郎は微笑んだ。

天使に抱かれて、
級長は泣く代わりに微笑んでいた。



「瑞月ちゃん
 受け取ってやってくれ。

 こいつは
 守りきった。
 守りきったんだ。」


政五郎が
瑞月を促した。



あばら屋とも言える
古い庫の中で
何かが始まろうとしていた。



画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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