この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。



靄の中で
びくびくと震えながら少年は沈みきれずにいた。


灰色の靄がジジッジジッと雨の降る画面のように
白いシーツとクリーム色のカーテンを映し出す。
そこは
見覚えがある何かを刺激し
少年はざわざわする感覚にともすれば浚われそうだった。


落としてきたパーツが
波の向こうに揺らめいて意識の表層に切れ切れに浮かぶものがあった。
鈍く体の芯が痛む。
膝裏にかけられる影の手が妙に生々しく、
次に起こることに向けて身体中が反応した。


その瞬間、
少年を繋ぎ止めていた温もりが像を結んだ。
肩は抱かれていた。
その腕は佐賀のものだった。
ぐっと力が籠る。


「だいじょうぶ
 だいじょうぶだ」

そっと揺すられて
少年は啜り泣いた。



 怖かった
 こんなにも怖いのに
 なぜ‥‥‥‥‥‥‥‥。


なぜの続きは言葉を結ばない。
それに代わるように
佐賀の囁きは繰り返された。


 だいじょうぶ
 だいじょうぶだ

 だいじょうぶ
 だいじょうぶ



肩を包む布地がタオルだと分かる。
佐賀が自分を望んでいるのが分かる。


 ああ
 ぼく 生きてなくちゃだめなんだ


涙がまた溢れてきた。
頬を伝う。
佐賀の指がそっとそれを拭った。


少年は
声を上げて泣き出す。



しがみついた胸は広かった。
靄の中に少年を守る壁は温かく、
その鼓動は力強い。


とくん
とくん
少年に伝わる鼓動に抱かれ
涙は堰を切って流れ落ちた。



カーテンの外から
何か低く囁く声が聞こえた。
佐賀が応えている。



ひくっ
ひくっとしゃくり上げながら
少年は佐賀を見上げた。



小さくカーテンに隙間ができ、
そこから見慣れた自分のジャージが現れたかと思うと
大急ぎで隙間は閉じた。



「さあ
 もう終わりだ。
 服を着よう。」


佐賀がさっとワイシャツを羽織り、
少年に向き合う。
その手で下着を着せられるのが
突然恥ずかしくなり
少年は裸の体を縮めた。



佐賀の眉が寄り、
その手が逡巡するように止まった。
そして、
佐賀はそっとカーテンを抜けようと動いた。



 オイテカナイデ‥‥‥‥!


佐賀の胸に少年の腕が回される。
か細い腕が逞しい胸板を締め付ける。
佐賀が離れていくかもしれないと思うだけで
少年は耐えられなかった。


指先に佐賀の手がかかり、
優しく叩いた。

「俺はここにいる。
 だいじょうぶだ。
 見ないから‥‥‥‥。」



佐賀は動かなかった。
動かずに待ってくれていた。



自分がしがみついていた白いシャツが
急に眩しくなった。
佐賀はちゃんといるのだ。


頬がかっと紅潮し、
少年は急いで手を下ろした。
置かれた衣類が
ごく当たり前に自分を見上げている。


少年は
そそっとそれを穿き
ジャージの前を掻き合わせた。
急ぐ指がもどかしくチャックがかからない。



 震えてる
 ぼく 震えてて‥‥‥‥。


また
それだけのことが胸を締め付けた。
涙が滲む。
もう靄は消え
その代わり涙に前が霞んだ。



白い背中が動いた。



震える指に佐賀の手が重なり
少年はまたその腕の中にいた。
何事もなくチャックは上げられ、
佐賀はカーテンを開ける。



見知らぬ異国の人間たちが見えた。
少年はびくんと佐賀の後ろに隠れるようにして
ベッドに固まった。


佐賀がその背に手をかけ、
促すようにする。
そのときだ。



赤ら顔に薄ら笑いを浮かべた男が、
部屋を覗き込んでいた。
中の人間に遠慮する風もなく
その男が踏み込んできた。


その前に白髪混じりの頭が立つ。
少年は胸の奥に風が起こるのを感じた。
慣れ親しんだ病が靄に代わって何かを防ごうとする。



手が喉元に上がり
目は見開かれ
その男から目が離せなくなっていた。


白髪頭を迂回して
その男の目が少年を捉えていた。
少年の顔から胸へと視線が舐め回していく。



何かしゃべっている声は
しだいに遠くなり
少年は胸苦しさに喘いだ。



がつっ‥‥‥‥ダーンっ‥‥‥‥‥‥‥‥。


突然
その赤ら顔が吹っ飛び、
壁にぶつかってずるずると落ちた。
白髪混じりの男が顔を真っ赤にしてその前に仁王立ちになっていた。




佐賀の声が響いた。
はっと少年は見上げる。

 佐賀さん‥‥‥‥。



室内が静まり返って佐賀の声だけが続いていた。
皆が佐賀を見つめていた。
佐賀の顔は静かだ。
その声は低い。
そして、
痺れるほどに心をつかむ。


少年は
その声に酔った。



気づくと
皆が自分を見つめていた。
その顔はどれも優しかった。


少年は
佐賀に抱かれ、
白い部屋の中にいる自分に
改めて気づいた。



 そうだ
 ここ‥‥‥‥病院だったんだ‥‥‥‥‥‥‥‥。



何だか頭が重くなった。
少年はまたふうっと瞼が重くなっていくのを感じていた。
自分の身に起きたことが
ゆっくりと少年の中に降り積もる。


 怖かった‥‥‥‥。


怖いことがあった。
それは分かっていた。
少年はひどく怖いことを潜り抜け
そして疲れていた。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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