この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。







ん?
氷上で瑞月が止まった。
手を引いていた女の子が瑞月を見上げる。

一緒のグループの中で
一番危なっかしかった女の子は
綺麗なお兄さんに手を引いてもらっていた。



「お兄さん‥‥‥‥キラキラ」

女の子の目が
大きく見開いて
見たこともない美しいものに吸い寄せられていた。


握られていた手が緩み、
そうっと離れていく。



女の子は
白い湖に立って
そうっと翼を差し上げる白鳥を見ていた。




 キャー滑ったー
 やったー
 ‥‥曲がれたよー


みんなの声が
なんだか
違う世界から聞こえてくるみたいに遠い。

こわかった氷が
少しも気にならない。



白鳥って綺麗だ。
女の子は
そう思った。


女の子は
いつも開いては読んでいた絵本を思い出す。
白鳥は悪い魔法使いの魔法がかけられているのだ。


差し上げた腕は白い翼
まるで小さな光の精が乱れ飛ぶように
不思議な輝きに包まれた白い顔は
神様に魔法を解いてもらった王子様みたいだった。


「‥‥王子様
 イラクサのマント
 かけてもらったの?」

女の子は
そっと
瑞月の腰に手を伸ばす。



キャッ
足を滑らせた女の子を
空飛ぶ絨毯の王子様がさっと抱き止めた。


「トムさーん
 あとはやっとくから」


高遠豪の明るい声が
リンクサイドの西原を呼ぶ。
手を上げて西原は答え
いい声が響いた。


「瑞月!
 おいで!」


まだたけなわの
チビッ子スケート教室から
綺麗なお兄さんが姿を消した。
大きなお兄さんが連れていった。


「お兄さん
 白鳥さんだったんだね。
 魔法が解けたのかな。」


「うん
 魔法が解けたから
 行かなきゃならないんだ。」

高遠豪は
女の子を引き取り
にっこりと応えた。

そう魔法は解けた。
どこかで新しい魔法が始まったのだ。




トランス状態なのか
目ばかりが光るように感じられる。
車へと連れていこうとするが
瑞月はバイクへと向かい
小首を傾げて西原を待つ。



「バイクかい?」

車に置いておいたヘルメットを取り出し
小さな頭にすっぽりとかぶせた。
跨がると
ひらりと後ろに飛び乗り
腰に腕を巻き付ける。

危なげはない。
瑞月は
本当に急いでいるのだ。



もう西原は躊躇うことはしなかった。
インカムの回線を開く。
「瑞月が行きます。」

伝わったのかどうか
返事はなかった。
エンジンは噴き上がる。
瑞月を乗せての道行きだ。
悪くないさ。



“‥‥‥‥わかった”

返事が返ったときは、
もう抜け道へと
背にしがみつく瑞月を感じながら
西原は切り込んでいくところだった。


巫は急いでいる。
鷲羽は巫の望みを叶えるために戦う軍団だ。




エレベーターを前に
鷲羽海斗は
動きを止めた。
静かに踞る。



 瑞月‥‥‥‥。

 

砦の隅々までを慎重にその五感に収めて
狼は愛しい者に囁きかける。



 行く
 行くよ

甘い声が胸に響く。




 瑞月
 お前が来るのがわかる

 行く
 行くよ


返す言葉は届いているのか
巫は歌うように繰り返す



 行くよ
 ぼく
 行くよ


日の長は
言葉を返すことを止め、
ただ巫の声に酔った。


 行くよ
 行くよ

ぽうっと光は駐車場の隅に点る。
狼は
不思議に穏やかな翠の光に包まれた。



行く
ぼく行くよ


五感は狼のそれとなり
砦はおろか櫓から見下ろす伊東の目に映るものまでが
海斗の中にあった。

いつでも戦える。
たった今も
この牙は襲い来るものを迎撃できる。



それでいながら
なおも揺蕩う己は
何なのだろう



日の長は
その不思議に酔っていた。




闇の皇子は姿を変え
その父は砦にあって我が子を呼んでいた。
均衡はいつ破られるともしれない。
なのに
己は幸せに酔っている。


日の長は
月の巫の細き腕をその頭に感じながら
その声を聞いていた。


 行く
 行くよ
 ぼく行くよ



画像はpinterestからお借りしました。
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