この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





ぽっかりと浮かぶ小世界は夜闇を黒き筒とした万華鏡だった。
少年は
小さき沼を声もなく見つめた。



燃え上がる真紅、輝く黄金、
星屑を散りばめた漆黒の夜空を背景に
沼の中央から発する白光に照らし出された錦秋は
沼を縁取る一対の合わせ鏡が映し出す夢幻となって少年を魅了する。



「綺麗‥‥‥‥。
 こんなに綺麗だったんだ‥‥‥‥。」

足元の黒衣を踏んで
少年は
沼に近づこうとして、止まった。


絢爛たる錦模様を前に、
己を包む空気に満ちるものに
少年は押される。



水草のそれも
水辺の草のそれも
そして、
ふと背からそよぐ木々の葉のそれも渾然となった匂いが
渦を巻いて少年の肌に触れては流れて優。



地上は命に満ち
命は常に揺れ動くのだ。





「生きているのだ。
 草々も風もな」

後ずさる細い肩は黒衣の胸にすっぽりと収まった。
肩にかかる手の重みと温もりが
低い声に重なった。


「イキテイル‥‥‥‥?」

少年の唇は素直に鸚鵡返す。
裸身は無邪気にその手を受け入れる。




「そう
 生きている。

 温かくなってびっくりしているのだろう。
 匂いも強くなるはずだ。」

「アタタカク?」

「お前は裸ではないか。
 守人たちが
 お前を守っているのだ。」





男は
そっと膝をつき
少年の足に手をかけた。


「拭いてやる。
 土に触れたであろう?」

「ツチ?」


男はそっと少年の片足をあげさせ
己の膝に受けた。
取り出した手布は白く、
足裏を拭いて薄く茶をの筋を見せた。
水辺の土は湿り気を帯びている。


男が差し上げた布を
少年がつくづくと見る。


男は笑い、
もう片方を上げさせ
また拭ってやりながら語る。


「足裏を擽ったは草。
 むずむずしたであろう。
 草はな、
 いつも伸びようとしている。
 お前に踏まれてもな。

 その草を育てるのが土だ。
 草の下には土がある。
 そして‥‥‥‥水。」


「ミズ?」


「この小さき沼は
 水を湛えているのだ。

 この辺りの木々も草も
 その水を頼りにしている。

 命には
 もう一つ必要なものがあってな。
 私はそれを与えている。
 ここは私の王国だ。」


男は
その白い足裏を清め終えて
手布を懐に納めた。


「‥‥‥‥王なの?」

「ああ。
 美しかろう?
 命ひしめく国だ。
 俺は愛しいと思っている。」

王は少年を見上げた。
ゆったりと寛ぐ野生の獣は獲物を怯えさせることなく
遊ばせるつもりのようだ。


「うん 綺麗!すごく綺麗!
 でも‥‥‥‥匂いは変。
 ざわざわする。」


可笑しそうに
男は目を細める。


「笑ってるの?」

それは天人らも
同じだった。
少年は己に微笑む顔に慣れていた。


「可愛い声だな。
 嬉しくなる。」

男は応え
立ち上がった。
少年は
その胸までしかない。




「な、なぜ?」

少年は覚えず後退った。
目の前の胸板に刻まれた陰影が秘めた力が
そこから薫る汗が
少年を下がらせる。



透き通る光の影たち、
翻る薄物、
少年の知る天人たちの誰も
こんな姿をしていなかった。



 こんな姿のものを初めて見た
 そして、
 美しいと思った。

 でも
 足がすくむ。


その細い手が
心の臓を押さえるように胸に当てられる。



天を行く宮では
トクン
トクン
と鳴る心臓も
少年だけのものだった。


熱を出すと
それはドクン ドクンと高鳴り、 
悪戯をして隠れていると
それはドキドキと速く打った。


ドキン!
高く打った心臓が
ドキドキ ドキドキと早鐘を打つ。
押さえた手が震える。



わけが分からない。
唯一分かるのは、
それがこの王だという男のせいだということだった。


「私が怖いか?」

「コワイ?」

知らぬ言葉だった。
小さな胸を押さえたまま
少年はまた惑う。
この冒険は知らぬことばかりの連続だった。


王は
その小さな姿を
軽い驚きをこめて眺め、
そして、
頭を掻いた。


愛らしい姿に捉えてしまったが、
これは性急だったかもしれない。
だが、
致し方なかった。




「なぜ?
 ‥‥‥‥そうだな。」


男の眸が優しくなった。
カラダ ガ ウゴカナイ‥‥‥‥。
少年は動かぬ体が熱くなることに惑う。



「では
 聞こう。

 なぜ今宵
 お前はここに来た?」

「え?」

サヤサヤと天人たちの
さんざめく声が甦る。


 もう
 このお姿が最後と思うと
 惜しゅうございます

 あら
 待ち遠しくはございませんの?
 どれほど美しくなられるでしょう。

 内から変わられますよ
 私は
 先のお方の儀を見届けました

 まあ‥‥‥‥。


ナンダロウ
ナンダロウ

湯あみのたびごとに
天人たちは
囁きを交わすようになった。


なぁに?
口を尖らせれば


 分かりますよ

 儀の日が来れば分かりますよ

 
笑い交わす声が
リンリンと鈴を鳴らすように響いた。



「だって‥‥‥‥。」

「もう
 見られなくなるかも‥‥‥‥と思ったか?」

腰に男の腕が回された。
肌に肌が触れる感覚が細い体のその芯に
火を点した。


ちろちろと
炎の舌がその細腰を嘗める。


「あ‥‥‥‥‥‥‥‥。」

己の声が
また少年を惑わせた。





熱から逃れようと身を捩れば
難なく封じられた肢体が
さらに熱を持つ。


「‥‥‥‥帰らなきゃ!」

宮に並ぶ柱
そこをくるくると回る己
煌めく玉の回廊
戯れに宙を舞えばはらはらと花びらは舞い散った。



「同じことだ。
 これは定まった儀。
 始まれば、
 もう後戻りはできぬ。」



いやっ‥‥‥‥‥‥‥‥。


ついに声が上がった。
そして、
突っ張る腕は辛め取られ
もがく足先から力は抜けていく。


軽やかに玉を敷き詰めた床を蹴った足も
天衣をかざして空を行った腕も
己の意のままにならない。
少年の頬に涙が流れた。



「お前は吾の呼ぶ声に応えた。
 あまりに可愛くて
 儀の日取りを前に呼んでしまった。
 可哀想に。

 泣くな。
 ‥‥‥‥私が嫌いか?」


その涙を
男の唇が優しく吸い、
見下ろす眸が少年を包む。



キライ‥‥‥‥キライって何?
コワイはわかった。
コワイは体がうごかなくなること。

キライは?
キライって何?


「私を見たくない。
 私から離れたい。
 そう思うか?」


そして、
男の手は少年の顔を仰向かせる。




唇は唇に塞がれ、
炎は火の粉を撒いて少年を包んだ。
変容は始まった。






 お前は
 愛でられる

 愛でられるために
 その体のすべてはある



白き花は黒衣の腕の中にがっくりと身を預けた。
贄となった華奢な肢体が
水辺に広げられた祭壇に横たえられた。



愛しげに
その頬を撫でると
男はゆっくりと黒衣を脱ぎ捨てて
少年に覆い被さった。



んっ‥‥‥‥。

小さく声が洩れた。
胸の突起がつんと上を向く。
瞼が震え
ぽっかりと見開かれた眸が男を微笑ませる。


「愛しい。
 こんなにも愛しいものが
 あるのだな。」


吐息が甘く
喘ぎは刻まれたばかりの愛撫を求めて
切羽詰まる。


「応えてくれたな。
 生きるものは熱くなる。
 燃えるほどに何かを求める。

 さあ お前も生きるときがきた。
 私が生かしてやろう。」

奏でられ
応え
身悶えし
与えられ
裸身は艶かしく息づいていた。


王は
その白き足を肩に、
少年の茂みに顔を埋めた。

少年の眸が黄金色と深紅の綴れ織りを映して
燃え上がる。
出口を求めて
内を駆け抜けるものは追い上げられて喉を開いた。


ああああああああっ‥‥‥‥。


ごくり
王の喉が鳴る。

さっと匂い立つものが
渾然一体となった水辺の命のそれに溶け入る。


「いい子だ。
 生きるとは欲すること。
 私はお前を欲した。
 お前は私に応えた。

 分かるか」


虚脱したように投げ出された四肢を
王はそっと清めてやる。


「月の宮よ
 今宵、
 初月、
 ときは叶っている。

 生まれでる数多の命のため、
 儀は執り行われねばならぬ。
 さりながら
 未だ通されぬ玉は
 死から甦ること難かろう。

 そなたらの守り育てた玉だ。
 慈悲を!」


王は
日の光を閉じ
中天に初月は輝いた。


つつーーーーーっ
細き銀の糸が闇に浮かぶ。
王は手を伸べてそれを掌に受けた。


その手に溢れて
なおも滴る優しきそれは
とろりと掌を伝い落ちる。


その香を確かめて
王は少年をうつ伏せ
その脚を開いた。


無垢の双丘が押し開かれた。
己が蕾とも知らぬ秘花は
滴を受けて潤い
白く丸い宮は花を濡らす蜜に月光を弾いて艶かしい。



王の愛撫に満たされて
少年は夢現の境をたゆたっている。





王は
少年を抱き起こし
その膝に乗せた。



「さあ
 私をごらん。」

低い声、
己を呼ぶ特別な声は、
少年を現に戻す。


ふわっと瞼は上がる。
この僅かな間に蛹はその濡れた羽を広げ
蝶となり飛び立とうとしていた。





見上げる眸は素直に王をとらえ、
まるで
初めて見るようにつくづくと見ている。




儀を前に
王は確かめる。

「私を見るのは嫌か?」

ゆっくりと首は横に振られる。

「私から離れたいか?」

今度は返事はない。
小首を傾げ
その指先は王の胸板に遊ぶ。




「どうだ?」

王は
その髪を撫でながら促す。



少年は言葉を知らなかった。
逃げ出したい?
とても逃げ出したい。
捕まるときを思うと胸が高鳴る。
その一瞬を思うだけで
また体が熱くなる。
でも‥‥‥‥と惑うのだ。



「逃げたら‥‥‥‥捕まえる?」

遊んでいた指が止まり、
尋ねる声はねだるように甘く、
答えを聞くのが怖いように語尾が震える。


「必ず。」
王は
即答した。



「それならね、
 逃げたい。」

ほっとして弾む声は明るい。
捕まる
ドキドキする
わあ ドキドキする
声に言葉が重なるほどに少年は幼い。



ギは終わった’。
美しい男は優しかった。
知った世界は目眩くて終われば逞しい腕は己のものだ。
少年は幸福だった。
満たされて男の胸に頬を寄せ
余韻の中に微睡もうとする。


「いい子だ。
 さあ お前は もう一度横になる。
 
 怖ければ逃げていい。
 捕まえる。」

「コワイって‥‥‥‥逃げたいってこと?」

「そうだ
 怖ければ逃げよ。
 捕まえる。
 必ずだ。」


うふっ
微笑んで
少年は呟く。


「ううん
 今は逃げない。
 ‥‥‥‥ふわふわするんだもの。
 
 でも、
 もう少しこうしていたいな‥‥‥‥。」



すやすやと寝息を立てる少年を見つめる王の眸は
優しさに深みを増す。

「私が好きか?」


微睡む耳に“好き”が届く。

 スキ‥‥‥‥スキはわかるよ
 綺麗なもの
 優しいもの
 ‥‥‥‥コワイもの
 うん コワイもの
 スキ スキ 好きだ‥‥‥‥

「‥‥‥‥うん」

無防備に寝惚けながら
少年は応える。



「私もだ。
 愛しい。」


ひっ‥‥‥‥。

乾いた悲鳴が上がり
弓なりに反った体がぴくぴくと震える。

儀は“冬”から始まるのだ。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。






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