この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





政五郎は
フンフンと鼻唄まじりで乗用車を降り立った。
高齢者の運転に注意が喚起される今、
その少々老いが目立つ姿はどこか覚束無い。
運転手付きで現れた颯爽とした着流しに羽織姿の折りとは
また風情の異なる政五郎だった。


後ろに回り
後部ドアを上げると
大きなおもちゃ店の袋を取り出す。
孫の家をこどもの日に訪れた祖父といった演出なのかもしれない。
それもまたにこやかな顔には似合う。



エレベーターに向かい
よいしょと押す階数ボタンは10階のそれだ。


そして、
10階にエレベーターのドアは開き、
大きな荷物とおじいちゃんがよちよちと廊下を進む様が
鷲羽のモニターにも映り込んだ。




「あの御老人ですか。」

時ならぬ“おじいちゃん”出現に
認証システムを作動させた新人が驚く。
新人は色々と新鮮だ。



「マサさん、
 徹底なさってるな。」


くすりと樫山が笑う。


無数の目を意識した様々を鷲羽も意識している。
ここはウィークリーマンションだ。
入れ替わりはしょっちゅうだが
人の暮らす場所である。
それに合わせてくれているには違いない。


周辺の住民には必要なカモフラージュだ。
が、
今を窺う闇の傀儡はいるまい。
地から溢れ出てくるにも似た軍勢は闇に憑かれた者共だ。
それを司る芯たる魂は今は小さな守り袋に眠っている。



 マサさんが
 葦を押さえた。
 封じ込めている。
 葦もそこで眠っているそうだ。

 水澤先生が対処する。
 砦を任せる。
 ‥‥‥‥よろしく頼みます。



 頼みますは余計です。
 了解しました。 
 お心置きなくどうぞ。


西原チーフは可愛い上司だ。
鼻っ柱ばかり強かった班長時代、
ムキになって高遠少年を潰しにかかった頃も
可愛い奴だと思っていた。
仕方ない奴だが熱かった。


最後の“よろしく頼みます”が出るようになったのは成長でもあり、
自分への信頼でもあった。
守るべき巫を背に庇って西原は今日も戦った。
瑞月をこそ守らねばならない鷲羽警護班だ。
 任せておけ。
 頑張れよ。
樫山はほの酸っぱく片恋の人を守る可愛い上司を思っていた。



「1113です。」

樫山は
インカムのその回線を初めて開いた。
この警護対象は
今は樫山の担当だった。




闇の皇子たる魂をその懐に抱きながら、
その顔はのどやかに明るい。
只者ではない。
改めて樫山は唸っていた。
表情は変えない。


部下に教えてどうなるものでもない。
ここからの警護は
樫山一人が負うものだった。






武藤が転がり込んだ高遠の部屋の呼び鈴が鳴らされ、
にこにこした老人は言ったものだ。



「来たぞー
 開けておくれ」






バサバサッ‥‥‥‥。

梢を飛び立つ鳥の翼の音が
やけに大きく響く。
無愛想な老医師に点滴を抜いてもらった新井は、
女のベッドの脇にいた。



前段はある。



側にいると申し出て
「あっちで布団敷いて寝てろ!」
一蹴されながらも
「その人のこと
 頼まれたんです。」
困った顔でぼそぼそ言ったなり
木偶の坊よろしく突っ立って動かない新井の鬱陶しさに
老医師は根負けしたのか、
ちっと舌打ちして睨み付けると
白衣を翻して診療室を出ていった。



いいのかなと
よりによって医師の座る椅子を引き寄せて座り込むのが
また如何にも新井だった。



 やっぱり
 なんか痩せた‥‥‥‥。

ほんの少ししか見ていないが
ホテルに入った女は
ここまで頬がこけてはいなかったように思う。


そっと手をかざすと
息が微かにあたる。


 生きてる
 うん
 よかった
 ちゃんと人間だ



いやなすえた臭いは
もうなかった。
ひどく白い顔だったが
それは憔悴して治療を受けている患者のそれだった。

体はちゃんとベッドにシワを
作っている。


 重さ‥‥‥‥あるよな


ひどく軽かった。
それも
何だか怖かった。
怖くても大事に抱いて動いたのは
命令に素直な新井だからだ。



鷲羽は警護を道具とは扱わない。
命令通りに素直に動く体は
西原の訓練が作り上げた賜物だ。
 みんなで無事に動く。
 そのために命令はある。
 みんなが共に動く一人一人を守っている。
その信頼が新井には染み通っていた。


 ギシギシ
 ガラガラ‥‥‥‥‥‥‥‥

怪しげな音が廊下の奥から聞こえてきた。

 ギシギシ
 ガラガラと音量は上がる。



新井は
さっと診療室の引き戸の脇に張り付いた。




ギシッ‥‥‥‥ギリギリッ‥‥‥‥ガラガラっ。

その音は引き戸手前で止まった。
しん
沈黙が落ち、
新井はそろそろと引き戸に手を伸ばす。



ガラリッ‥‥‥‥‥‥‥‥。
引き戸を一気に引き開け
入ってくるものに備えた新井の耳に


「遅いっ!」
怒号が飛び込んできた。

「すみませんっ!」

あたふたと戸を出ると
ところどころ赤錆に覆われたストレッチャーに手をかけた老医師が、
憮然として汗を滲ませていた。


「力仕事は若い者がするもんだ。
 音が聞こえなかったのか!?」

「すみませんっ!」


ハイとyesと喜んで!
大学までの柔道部で叩き込まれてきた新井は
目上にたいして口答えをしない。
すぐに
老医師に代わる。



「どこに運びましょうか」

「ここに決まっとる。
 お前も寝るんだ。
 これに’寝ろ。」


ある意味、
寝ることで二次被害というか
自分の重みで
ストレッチャーを壊してしまうのではないか。

新井は恐る恐るストレッチャーを押し、
ギギッ‥‥‥‥ギ‥‥‥‥。
という不吉な音に肝を冷やした。


「心配するな。
 丈夫にできとる。

 いいな。
 お前も寝るんだ。
 女は当分眠っとる。
 守りたかったら今は寝ろ!」


言い残すと
老医師は再び白衣を翻し
さっさと廊下を行ってしまった。


新井は
眠る女を眺め
しばし考えて
ひょいとストレッチャーを持ち上げた。


年代物のそれは鉄製で
おそろしく重い。
引き戸をごそごそと背で押し開け
音のせぬように一生懸命気を遣いながら
ベッドの脇に並べる。


うんしょ
新井は横になった。


 羊が一匹
 羊が二匹‥‥‥‥‥‥‥‥。


新井は数えた。
羊は二十匹までふわふわと浮かび
そして消えた。

健康な寝息を立てて新井は眠りについた。



画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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