この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





「好きにせよ」

そう残して
晴明は奥に入った。




戸を閉ざし
場を閉ざす。




そこに浮かび
晴明は仰臥した。



草いきれが
ふうっと晴明を包む。
膝下に裾を括っ小袴から突き出した細い足に
細く血が伝う。






 ああ
 まただ………。
 もう十分だというに………………。



そう十分だった。
それでも
晴明は戻っていく。







キツネノコ………?


振り向けば
パタパタと逃げていく後ろ影は
屋敷の廻りの村の子らであったり
下働きの娘らであったり
その時によって違った。





子らは
集まっては
覗きに来た。

透垣の向こうに
小さな頭が並ぶと
聞こえてくる。



 きつねのこ
 きつねのこ
 きつねのこだよ

 人と同じだね
 化けてるんだよ

 きつねのこはきつねのこだよ



目をやれば
逃げていく小さな影たちは
数が増えて行った。


そして
笑い声が混じるようになった。



幼いきつねの子は
立ち上がるようになった。



すると、
わっと声を上げて
子らは楽しげに走っていく。



透垣を出ると、
子らは
振り返って指を差して笑った。



なぜ笑うのか
なぜきつねの子を見にくるのか
………どうして
己はきつねの子なのか


幼いきつねの子は
それを問う相手がいなかった




屋敷に
父という人が訪れるは
希だった。
板の間に頭をつけて
〝ちちうえ
 いらっしゃいませ〟
鹿爪らしい顔をした随身の教えるままに
唱える。

すると
ちちうえは頷き
書庫に入る。

そして、
じっと待つきつねの子の足が痺れるころに出てくる。

そして帰るのだ。






ある日
きつねの子は
指差して笑う子らに向かって走り出した。


子らは
笑いながら逃げていく。
きつねの子は
子らを追って細々と続く道を駆け続けた。



木の生い茂る森を縫って
その道は続いた。



息が切れた
はぁはぁと喘ぎながら
きつねの子は
追い続ける。



振り向く子らの顔が
くしゃっと歪み
泣き声が笑いに取って代わった。




いつしか声が響き出した。


 母者ー
 母者ー

子らは
そう呼んでは
泣きながら走っていく。



ぱっと視界が開けた。


抜け出た森の向こうに
粗末な小屋が
土埃の立つ道をはさんで固まっている。



その向こうに緑が広がり
川がそれを四角く囲んでいた。
稲は青々と風に揺れ日は高く輝いていた。


ばらばらと
その緑から女たちが立ち上がり
こちらに駆けてくる。



子らは
それぞれの目指す胸に
飛び込んでいった。



きつねの子は
ぺたん
土埃の中に座り込んだ。


息は
もう吐くのも吸うのも苦しかった。
肩は大きく揺れ
土についた膝はがくがくする。



ガッ………。

その目の前の地面を
小石が叩いた。
跳ねた小石はきつねの子の手を掠めて落ちた。



小さな切り傷ができて
地面についた手から
赤く血が滲む。


きつねの子は
顔を上げた。



子らを抱き締めた女たち
その胸で子らは泣いている



〝こわいよー〟
〝こわいよー〟

子らは泣き
女らはきつねの子を
はったと睨み付けていた。


その一人が
子を背に庇って
肩を喘ぐように上下に揺らしている。


 ………………。
 そうだ
 誰かが石を投げたんだ
 わたしに投げたんだ


その理解が
きつねの子に
ようやく届いた。



〝帰れ!
 きつね!!〟

そして
それが合図だった。




石は続いた。

肩に
胸に
激しく打ちつけてきた。


顔を庇った袖の間から
石を投げる人の顔がいくつも見えた。
いつの間にか男らも
駆け寄ってくる。




もう誰も笑っていなかった。
その顔は引き攣っていた。


額に当たった石に
気が遠くなりながら
きつねの子は
夢中で念じていた。



いやだ
いやだ
いやだ
いやだ



そして、
きつねの子は聞いた。


ぎゃああっ
悲鳴がつんざくように上がった。
それが
止まらない。

子どものそれも
女のそれも
男のそれも
次々に上がる。



がつっ
がつっ
………………
道にあった石が舞い上がり
群れる人の子に
激しくぶつかっていく。


石に追われ
逃げ惑い
石に追い詰められて
人の子らは
地面に座り込んでいき、
そこに塊となった。




そして
今度は
きつねの子を伏し拝むのだ。


 きつね様
 きつね様
 おゆるしくだされ
 おやめくだされ 
 ………………………。


群れから
呪文のように
繰り返される懇願は
すすり泣きに消えていく。



いつしか石は鎮まっていた。


額から流れる血が
目に沁みる。
くらくらする足を踏みしめて
きつねの子は立ち上がった。


びくん
塊がすくんだ。



見つめる目
………。



いっぱいに見開かれた目にみなぎるのは
ただ恐怖だけだった。



きつねの子は
無数に転がる石を見た。
そして、
もう一度、
自分を見つめるたくさんの目を見た。




 
わかった
知りたかったことは
そのとき分かった



十分にわかったことを
それでも
こうして辿る。
してみれば
まだ思い知っていないというのだろうか。






 きつねの子はきつねの子だ
 人ではない。
 人の子でないものは
 石を投げられる………。


 化け物だから
 人を害するから
 祟るから………崇められる。


 崇めて崇めて
 憎まれる





よろよろと
きつねの子は
歩き出した。


小さな足はこんなに無力で
血の流れる頭はくらくらした。
それでも
きつねの子は一人歩くしかない。



森を歩いた。
人の村は背にしたときから遠く
関わりのないものとなった。


森の中を
力が抜けていく足を
必死に踏みしめて進んだ。



揺れる視界に透垣が見えた。
そして
倒れた。



小さな体が
ゆらゆらと消えていく




 定めはある
 確かにあった



幻が消えれば
そこには
音もない
色もない

仰臥する晴明は
その薄闇の中に漂う。





人でもないが
狐でもない。


何ものでもない己が
ただ一人さ迷っていた。




ふうっと
闇は濃くなる。
白い体が
冴え冴えと浮かんだ。


その体を折り曲げられ
貫かれながら
その顔は菩薩さながら微かな微笑みを浮かべる。



自らは何も望まず
ただ望まれるままに開かれる白い体は
月光を吸い込んで美しかった。




………………
そなたの定めは応ずることか。




我は望まぬ。
そなたを望まぬ。


望んでおらぬというに、
このような狐の館に
なぜ
汝は迷い着いた。


何に応ずるというのだ。


晴明は
浮かぶ幻に問い掛ける。

男の涙にしとどに濡れ
その体を男に喰わせながら
童はゆらゆらと漂う。


白い………。
祭儀の贄が纏う白にも似て
その体は白かった。



画像はお借りしました。
ありがとうございます。



人気ブログランキング