この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




紙袋は
何の変哲もないものだ。
ケーキでも買えばすぐについてくる。




その中にあるものを
まだ誰も見ていない。
何しろ
奈美も忘れているのだ。



ぼんやりと一人で歩いた通路が浮かび、
そこにホテル入り口が
かろうじて浮かんで消えた。


が、
それで十分だったと言える。


後は、
西原が引き継いだ。
フロントに確認すると
瑞月への届け物があったことは
すぐにわかった。


担任でもある水澤は、
西原にとって
化け物に対抗する諸葛亮孔明である。



こうして整えられた舞台で
ただ
その〝届け物〟だけが問題だった。




客室は
そもそも
二人もしくは三人が宿泊するためのサイズだ。


如何にも狭いが、
水澤は
その狭さを西原に指示した。



そして、
視力を取り戻した水澤は
さっさと皆を配置に付ける。




玄関への関所を守る西原の前に
どかされたソファーセットが
臨時の砦の壁よろしく積み上げられた。


「あ、あの、
   いざという時、
   これはかえって危険です。」


瑞月との間を
無粋なバリケードに塞がれて
西原は声を上げる。


これでは危険だ。
第一、消防法違反だ。
万一の事態は
何もオカルト大戦争ばかりとは
限らない。
火事も地震も想定している。



「ええ、
   ここに鷲羽海斗さんがいなければね。
   でも、 
   います。

   物理的な危険は
   海斗さんが何とかするでしょう。
 三階ですしね。」  


三階からダイブしろとでも言うのか。
鼻白んだ西原だが、
バリケードの隙間に覗く鷲羽海斗は
泰然としている。


第一、
このバリケードを軽々と作り上げたのは
鷲羽海斗その人でもある。


何より、
その無表情な横顔を見ていると
三階のベランダから瑞月を抱いて
軽々と壁を降りていく姿が
あながち無謀とも思えないリアルさで浮かぶ。



 まあカーテンとかシーツとか
 あるしな…………。


そして、
級長政五郎がいるところに
安心はあるのだ。


ポツンと
一人警護を引き受けた西原は
バリケードの向こうから
意識を戻した。


〝三階の映像を送れ。
 俺が防げる限りは何事にも対応する。

 だが、
 全員弁えろよ。
 しばらく
 ここから総帥は動けない。
 俺もだ。

 突発事の際は
 伊東補佐の指揮をいただけ!
 秦の周りにどんな変化も
 報告するんだ。
 いいな。〟


シューズロッカーの上に移したPCが
しばらくは西原の目だ。
西原は警護に入った。





西原の心配も理に叶っているが
高遠は
目の前に展開される儀式に鷲羽の屋敷を思い出していた。



 似てる……。
 勾玉に宿る魂を呼び出したときに


水澤は
皆を丸く車座にした。
唯一違うのは
瑞月一人を中央に置いたことだ。


瑞月は人の輪に囲まれた。
鷲羽海斗は
その輪の外に座して瑞月と対面する。


水澤は
その手に紙袋をもち、
皆を見回す。




「お守りの形を取っているのは
 中に力を籠めるのに便利だからでしょう。

 手段は一緒です。
 中身が変わるだけのこと。」


音楽室で
さあ合唱ですよ
語りかける時と少しも変わらない。

だいじょうぶ。
できますよ。
導師は自信に溢れている。




「なーるほど。
 するってえと、
 こいつには葦の神様が
 入ってるんですね。」

そして、
級長は合いの手を入れるのだ。



「今のところ、
 何も見えません。

 いや
 私に見えるものばかりでは
 ないとは思いますが……神ですか。」

作田は
さっきから
その紙袋に異変あれば
身構えている。





「いえ
 神を降ろすとなると、
 祭儀を行うには
 時間も手間もかかります。

 私たちの長の就任披露の日を思い出してください。

 あの六角堂も白木の階も
 伊達ではないんです。
 それは準備できなかったでしょう。」


水澤は
ますます
安心だよと
皆をほぐしていく。


そして、
海斗が顔を上げた。



「葦ですね。」

その短い言葉で
瑞月以外は
凍りついた。



葦の何たるかを知らぬ若い二人も
鷲羽海斗の語気に籠るものに
押されている。


それは
葦という存在に対する怖れというより
鷲羽海斗の言葉が放つ闘気のようなものへの畏怖かもしれなかった。




得たいの知れぬ黒いうねりが
明確なイメージと共に
皆を圧する。




それは
バリケードの向こうの西原も
ひしひしと感じただろう。

高遠は
西原と共に戦った
音楽室の戦を思った。


 だいじょうぶ
 実体はない
 揺れない
 揺れなければ実体化しない
 散り散りに消えていく


それを
まず自分に言い聞かせた。





ぱっと
瑞月が立ち上がった。
にこにこと皆を見回す。


海斗がその闘気を瑞月の前で放つことが希なら
その闘気を眼前にした瑞月が繭に籠ってもいなければ
身をすくませてもいないことは
希という以上のことだった。


小さな手を
もみじのように開いて
足を踏ん張ったエプロンにスカート姿は
何と言えばいいのだろう。

それは、
本当に愛らしかった。


「ぼく、
 勝つよ、
 海斗。

 海斗を守って
 みんなを守って
 誰も傷つかないで
 大切なお祝いをするの。

 皆が幸せになりますようにって。」



瑞月の願いが
皆に染み渡っていく。

天使がそう言うのだ。
やってみよう。




水澤が
そのヘアバンドを
そっと外した。

さらさらと髪が揺れ
瑞月は小首を傾げる。



代わって
渡邉が
ごそごそと持ってきた鞄を開けた。
畳紙に包んだものをそっと捧げもって取り出す。


それを開けると
薄布の小袖と猫目石を留めとする五色の細布が出てきた。



巫の従者は、
その小袖をふわりと瑞月に
打ち掛けた。


ハウスキーピングのスカート姿は
一変する。




海斗が
その瑞月を見上げていた。


そのあどけないとさえ言える
幼い宣言を戴き
日の長は
その座に恭しく控える。



怖れも
また
人の醜さや弱さも
その無垢を冒すことはできない。


それを巫の力と成す。
鷲羽の魂は
そこに脈々と受け継がれてきたということだ。



水澤は
そっと瑞月を座らせ
また皆を見回す。



「このお守りは
 今包まれています。

 開かれたとき、
 きっと作田さんには見えるでしょう。
 どんな姿をしていても
 揺れないでください。

 実体はありません。」

輪に連なる皆が頷き、
改めてそのありふれた紙袋を真剣に見詰めるのを見届け、
水澤はにこっと笑った。



「包むことは
 様々な力をもちます。
 私たちも
 その力を借りましょう。」



戸惑うように
答えを待つ一同に
水澤は深く頷いてみせる。

その手は
円を描く。


「私たちは
 一つの結界です。
 輪は中に月を抱きました。

 日は日の座すところにあります。」



作田、政五郎、高遠、省吾、奈美、
そして水澤自身を
その円に閉じてみせ、
その手は続いて海斗を差した。



思わず知らず
厳粛な思いに一同は姿勢を正して
海斗を見つめた。
そうだ。
皆が幸せになることを祈る。


この男を頭とし、
この地に龍となって風を起こすのは
何のためだ。


皆が幸せになるためだ。
それを共に祈る。



渡邉は
膝を進めて瑞月の脇に控える。




「さあ
 皆さん、
 瑞月君を見つめましょう。
 一つのものを見ることで
 そこに力は生まれます。」


水澤は
紙袋を輪の中に置き
輪に入った。
そして、
奈美と政五郎の手を握る。


奈美は省吾の手を握り
省吾は握り返す。
その手をふたたび握れることが
省吾には幸せだ。


みんなの手が繋がれて
そこに結界は完成した。



「ただ考えるのです。
 皆が幸せになるようにと
 大切なお祝いをする。
 そう瑞月君は言いました。

 皆が幸せになるように。
 合図をしたら
 そう強く念じてください。
 その思いが気を発します。
 明るい気になりますよ。

 何たって〝幸せ〟を祈るんですからね。
 揺らがない。
 いいですね。」


握った手から流れ込んでくるような
力強い言葉に
結界の輪は固められた。



その輪から
水澤は鷲羽海斗に呼び掛ける。


「海斗さん
 イメージしてください。
 一つの魂を感じたはずです、
 光の中で。
 あなたは瑞月君と共にある。」


胡座をかいた鷲羽海斗が
静かに目を閉じる。
その胸にある勾玉がみるみる光を帯びる。


温かな光は
その結界を包んで翠のドームを成した。



ふうっと瑞月の顔が変わった。
向き合ったまま
その顔に光が差したように
ふわりと光暈がかかる。


胸の勾玉が
ぽうっと明るんで
瑞月は巫となった。





渡邉が
紙袋から
ハンカチに包まれたままのそれを
取り出した。


静かに
それを瑞月の前に置く。



祭儀は始まろうとしていた。


イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。



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