この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。



闇に沈む延々と続く塀は
突如、
二つに裂けた。
開いた向こうに月影に揺れる白い花と
整えられた径が浮かぶ。


滑り出た影は頭を振り立てる。



開いた時と同じく
門は
何事もなかったように閉じ
一つの影がひらりと宙に舞い上がる。


デリクは
魅せられたように
見詰める。




駆け上がってくる黒い影は
みるみるその姿を大きくし、
圧倒する。


 妖精王は
 その愛し子を求め
 猛り立つか…………。



異界がそこにある……。
己の知る日常を超えたそこに引き込まれ、
デリクはただ呆然と見つめていた。



 そうか……こうだったんだ……。


何がこうだったのか、
混沌とした記憶の中に仄見えた何かが
そう囁いた。





草原は
風に揺れる波頭に
その蹄の高鳴りを隠し
森を統べる王は音もなく
館に入来した。



デリクは
階段を駆け降りる。


もう玄関にはグレンが
こちらを見上げていた。
その眸に
デリクは声を張り上げた。


「二階です!
 ロバート!!」

グレンは駆け上がり、
開かれたドアに消えた。



絶望と希望の相剋。



眸にあった
深淵とさえ感じた空洞は
孤独だろうか。


グレンが消えた中央の階段の先を見つめながら
デリクは
どこまでも落ちていく果てのない闇に
下から吹き上げる風と
凍土の冷たさを感じて身震いしていた。




初夏の居間で迎えた客人に感じた憂愁の源を見た。
そんな思いがあった。



そして、
焼け付くほどの渇望。
それは、
あの金髪の少年アベルに対するものなのか。



カチャリ……。


ドアが
開く音が
デリクを引き戻す。

金髪の小さな頭が
ロバートの後ろに覗いていた。



階段を降りてくるロバートの足取りは
ひどくシャンとしたもので、
この男が
もう何をすべきか決めていることを示していた。




一階の広間で
ロバートは
きちんと姿勢を改め
館の主人たるデリクに向き合った。


アベルを助けた少年は
これ以上小さくなれないほど
身を縮め
固くなっている。



「デリク様、
 こちらのお子様はアレック様とおっしゃいます。
 ホテルから抜け出てこられたとか。

 そして、
 それは内緒だそうでございます。

 わたくし、
 付き添ってお送りして参ります。

 首尾よくお部屋に戻れますなら
 親御様をご心配させる必要も
 ございますまい。

 当家の客人の危急をお救いいただいたのです。
 叱られてはお気の毒。

 よろしゅうございますか?」




〝当家の客〟と呼ぶこと

それが、
この異界に通ずる館の掟らしい。



ロバートの背は
何物をも跳ね返す覚悟を秘めて
ビシッと伸びている。


そして、
デリクがどんな失言をしようが、
その掟を覆すつもりはないのだ。




しかし、
アベルは
どうなのだ。

グレンが入ったドアは
ピタリと閉ざされている。



その掟はいい。
しかし、
病人は治療を要する。




「ああ
 ありがとう。

 そうだね。
 叱られては可哀想だ。」

これは、
駅舎での様子を見ていたデリクが
心から思うことでもあった。


どんな経緯で
アベルに出会ったかは知らないが
この冒険が少年にもたらす災厄は想像がつく。



俯いていた少年が
デリクの言葉に
はっと顔を上げた。

その顔に浮かぶ安堵の色に、
アベルを案ずるあまり忘れていたのだろう
父親への嫌悪と恐怖が
二つながら読み取れた。




「駅で会ったね。」

デリクは、
努めて優しく声をかけた。



「はい
 
 あの……ありがとうございました。
 母は
 本当に助かったと言ってました。」


あの父親からは
考えもつかぬほどに
少年は礼儀正しい。



デリクはロバートに向き直った。


「では、
 私は医者を呼んでこよう。
 確か
 村の外れだ。

 グレンには少し待ってもらって……」


そして
ロバートは
敢然と片手をぴしっと上げるのだ。


「デリク様、
 グレン様ご自身が
 医術の心得をおもちです。

 アベル様のことは
 グレン様が一番わかっておいでです。

 任せておくれ
 と
 仰有っています。
 
 お任せしましょう。」


デリクは
ロバートを見つめ
そして退く。


ここは
異界との国境。
その掟はロバートが知るものだ。




デリクは
ふたたび少年に向き直った。


「アベル君は、
 我が家の大切なお客様なんだ。

 少し体が弱い。
 どこで会ったの?」

訊いておきたかった。



「あの……。」

少年が言い差して
俯いた。


そして、
思い切ったように顔を上げる。


整った顔だ。
改めて
そのしっかりした少年に
デリクは思う。


「内緒です。
 
 木に囲まれた
 静かなところです。
 ぼくたち、
 そこを隠れ家にしようねって
 約束しました。」


「木に囲まれたところ
 ……涼しかった?」

「はい
 木洩れ日がとても綺麗なんです……。」


うっとりしたように
少年は言葉を途切らせた。




夏木立は
その緑を鬱蒼と茂らせる。
その梢に誘われて
径を踏み外せば
人はどこに行くのだろう。




この夏
己が囚われた森の誘惑は
この少年をも誘ったのだろうか。



デリクは
また
日常の結界が揺らぐのを感じた。



「では、
 行って参ります。

 グレン様は
 安静が第一と仰有いました。
 アベル様はお休みです。

 デリク様も
 どうぞお休みください。」



ロバートは
そう言い置いて
少年を連れて出ていった。
あの年代物の車を出すらしい。



ブルン……! ブルン……!
ブブブブブブ…………。


エンジン音が遠くなる。



デリクは
二人がいるはずの部屋を見上げた。
そこにいる。
二人はいる。


何の気配もしない。
だが、
いるのだ。



階上の部屋のドアが
ひどく遠く感じられた。
青髭公の秘密の部屋は
こんな外観に妻たちを誘ったのかもしれない。



デリクは
階下を動くことはしなかった。

が、

〝館の客〟だという二人の物語の扉は
心を騒がせて止まない。
それは
もう止めようがなかった。


禁忌は人を誘う。
だが、
それを冒すことは破滅にも繋がる。



デリクは
一つため息をつき、
踵を返した。

西の棟にデリクの寝室はある。
自身の去る足音を
じっと聴いている者がいる。


その気配を背に感じながら
デリクは歩を進めた。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。



人気ブログランキング