おの小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




三枝憲正の本宅、
その門前に一人の女性を下ろし、
車はゆっくりと角を曲がる。


藤を裾にあしらった訪問着に
きっちりと締めた帯がすっきりと美しい。
向かいの屋敷の塀が続く道には、
人影もない。


連休真っ最中とあって
静かな住宅街は
森閑としている。



門をくぐれば
玄関に続く踏み石があるが、
女は脇を回る小道に歩を進めた。



三枝憲正の長男、
憲明が暮らす館は、
屋敷の奥に広がる庭を挟んで
静かな佇まいを見せている。



党首憲正と、
その愛を一身に受けていると評判の孫娘は、
鷲羽財団の招きを受けて留守だ。



憲正を訪れる客の賑わいを避けるように
憲明はこじんまりとした洋館に
自室を構えたのだ。



待つほどもなく迎え入れられる様子を見れば、
その女性の訪問は
前もって伝えられていたらしい。



政治に無縁の長男は、
跡取りに期待される様々を娘に託し、
気弱な優しい性分のままに
のんびりと趣味を楽しんでいた。


この館を訪れる客は
その趣味を共にする人々ばかりというのが、
三枝家では定まったこと。



とすれば
この女性はいずれか名のある文化人であるか、
それを楽しむ名家の御婦人なのだろう。



門をくぐった段階で
その素性は保証されている。


庭木の手入れをする男らは、
腰をかがめて手拭いを首から外す。
裾捌きも艶やかに庭を行く美女に
目をしばたたかせる彼らだった。



咲は
洋館のドアを見上げ、
その古風な呼鈴を鳴らした。





「これは、
    天宮さん、
    わざわざお越しいただき
    恐縮です。」

三枝憲明は、
驚きを隠さない。
目がパチパチしている。


さらに、
パッと輝いた。

咲が 
応接間に飾られたビスクドールを
微笑みながら近々と
眺めていたからだ。


「お気に召しましたか?
    骨董市で
    思わず買ってしまいました。

    あの……愛らしい顔だと思いませんか?」


舞踏会に向かう少女は
真っ白のドレスに花飾りをつけ、
はにかんだように微笑んでいる。


その人形に劣らず
はにかんだ三枝憲明が
お気に入りの名もない彼女を気に入ってくれたらしき客人に
おずおずと問いかけた。


「はい。
    なんて可愛いんでしょう。
    社交界デビューを迎えた少女の可憐さが
   ほんとに素敵です。

    ……ご自分の娘さんを
    モデルに作らせたのかしら。
    愛情が籠ってますわね。」


咲は
優しく
語り掛けた。



「そうなんです!
   ああ
   嬉しいです。

   一番のお気に入りなんです。 
  無名の作品なんですが、
  娘も気に入ってくれました。
  そう
  綾子は
  咲さんと
  同じことを言いました。

  愛情が溢れてるって。」


「素敵な娘さんです。
   大好きになりました。

 行儀見習いにお迎えできましたこと、
 鷲羽にとりましても
 本当に有り難いことでした。

 真っ直ぐな御気性、
 何よりの宝をおもちです。」


家族の写真は
綾子のこれまでが
ずらりと並んでいた。




乗馬服の少女は
五歳ほどだろうか。
きっと唇を結んでいる。

負けん気の強い
そして誇り高い綾子がいた。



咲は
懐かしい少女を思い、
目を細める。


憲明は
その咲に
また
感謝を新たにした。




「鷲羽から帰ってきた綾子は
 親の目から見ても
 本当に変わりました。

 何より
 家の者への声掛けが変わった。

 感謝することを
 学ばせていただきました。
 有り難く思っております。」


優しげな顔は
獅子頭と渾名される父には
似たところがない。

だが、
穏やかながら
礼に厚い人柄が感じられる言葉だった。


   人柄は関係ないのね

闇に利用される人間は多い。
みな気づいたときに
それを覚えてもいないのだ。



「この度は、
 鷲羽財団プロジェクトに
 協賛をいただきまして
 ありがとうございます。

 文化人の方々が賛同下さいますこと、
    このプロジェクトでは
    本当に力となります。

    人の心を動かすことこそが、
    このプロジェクトでは大切でございます。
    鷲羽に成り代わり
    御礼申し上げます。」


咲は
深々と腰を折った。
言葉は思いをそのまま述べた。


そこに秦が関わっていることを除けば
事実、
様々な公演や展覧会を通じて支援を呼び掛けてもらうことは、
どれほど力になるかしれなかった。


また、
憲明が恐縮する。


「いやいや
   理事会全員一致で決まりました。

   私など、
   発案されるまで、
   気付きもしませんでおりまして、
   恥ずかしいです。

   文化事業とは関係ないと
   思い込んでおりました。」


頭をかく憲明は
本当に
事の流れを知らないのだろう。




「あら
    どなたが発案してくださいましたのでしょう?
    その方にも感謝しなくては。」

咲は
目を見張ってみせる。



「秦綾周君です。
    雅楽の名家の出で、
    彼自身、大した楽人なんですよ。
    今回のご挨拶も
    彼が行かせていただいてます。」

憲明は
びしっと胸を張った。
語る声の誇らしさに〝秦綾周君〟への思いが
如実に感じられた。



「秦様ですか。
 本当に急なお話でしたから、
    有り難いやら
    驚くやらでしたが、
    そういうことでございましたか。

 どんな方ですの?」


待っていたと言わんばかりに
憲明が笑みこぼれる。

「素晴らしい青年です。
 純粋という言葉は
 彼のためにあるのだ。
 そう感じるくらいです。

 世慣れていなくて、
 ちょっと少年のようで、
 それでいて芯が強いんです。
 私は彼の音楽のファンでもあります。

 雅楽に収まらない
 新しい分野を開拓していますよ。

 聴いていますとね
 世界は美しいって思えます。」


咲は
袖の内に隠した発信器の先にいる人物を思い、
心が揺れた。

 一言一句たりとも
 聞き漏らしはなさるまい。
 そして、
 苦しまれるだろうか。


「それは、
 有り難いことです。

 長いお付き合いになります。
 きっと御礼を申し上げる機会が
 ございますね。
 楽しみでございます。

 そして、
    憲明様、
 憲明様にも感謝申し上げねば。
    一昨日には、
    セレモニーの打ち合わせに
    お出でいただきまして、
    担当の者が恐縮しておりました。

 どちらも広報担当の方々がお集まりのところに
 代表自ら足をお運び下さったのですもの。」


憲明が
きょとんとした。

「あっ
 ああ
 そうでした。

 すみません。
 えっと
 場違いでしたよね。

 どうも自分でもぼうっとしておりまして。
 確か……急な話で間に合わないのでは
 と
 そんな流れで……。

 すみません。
 行かねばならないと
 誰かに言われたのは覚えているのですが……。」


頻りに
首を傾げている。


咲は時計を見上げた。
そろそろセレモニーは〝祭〟を終える。
三枝憲正が、
そして
秦が、
祝辞を述べる。


間に合いはした。
が、
今、
伝わってよかった情報なのか
この展開ではわからない。


昨夜までとは
状況が違う。




三枝邸に向かう道で
海斗から入った指令は
簡潔なものだった。


〝秦綾周は
 二人いるかもしれません。
 憲明氏が秦をどう見ているか
 聞き出してください。〟


 海斗さん
 どうか
 御自身を見失わずに
 瑞月を
 あなたを思う瑞月を信じて
 務めを全うされますよう。


咲は心に呟いていた。


イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。



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