この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




径を辿る。
緑は
深く高く
頭上は煌めく木洩れ日のドームだ。


せせらぎは
径と森を隔てる細い糸のようだ。



葉陰のはだらに絶え間なく揺れる紋様が径を彩る。
梢の先にちらつく蒼天は
手が届かぬ天上の裾のはためきか。



涼しい……。


ひんやりとした空気は
既に異界のそれだ。



径はわずかに曲がり、
その先は
木下闇に吸い込まれていく。



足を早めても
ただ木下闇の暗黒が押し包むばかり。
ふっと見上げては
ドームの頂の煌めきに心を繋ぎ止める。



世界は
円錐の中に結晶している。


そうだ
どこまで行っても
世界は変わらない。



囀りが喧しい
ここは狭い



 シメキリハキニシナイデイイデスヨ
 ヨロシクオネガイシマス

 アスハ
 オークションデスヨ
 ホラホシガッテイタツボガデテマス

 デリク
 モウミヲカタメテモラワナイト
 ……………………。



天上は遠い
地上は狭い


囀りは終わらず
世界は閉じている。



どこか
どこか新しい径はないか



汗すらも流れない
息すらも上がらない
せわしなく動かす足は機械のように正確に径を進む。


止まっても
進んでも
ドームはドーム



ぴたり
足は止まる



 カイテマスカ?
 コノオジョウサンハドウダイ?
 コレハオタカラニナリマスヨ?
 …………………………。


囀りは降り頻る
さあ歩けと降り頻る




あはははは
うふふふふ


微かに耳を打つそれ。
止まった足は地面に吸い付き
見上げる天上は遠い。



どこだ?


しん
世界は静まり返る



 ソンナモノナンノタシニナル?
 アルカナケレバジンセイハススマナイゾ?


音の消えた中で
脳裏は
問いでいっぱいだ。



そうか
このドームが人生か
変わらない景色
変わらない囀り



あはははははは
うふふふふふふ


それでも
何かが
呼び掛けてくる



径は消える
木下闇に消える
径の先は溶けて消える



見透かしても見えぬ緑の重なり
細い細い国境は
径を逸れぬようにと描かれた心遣いだ



 イッテハイケナイヨ
 イッテハイケナイヨ


それでも
そこは呼ぶ


振り仰ぎ
繋ぎ止める木洩れ日の煌めきと蒼窮を目に焼き付け
渾身の力をこめて地面を蹴った。






はっ
目を開くと
そこはアパートの自室だった。


いつしか
寝室は書斎と一体化し
未練たらしく書いていた原稿が散らばる。
ソファーには掛け布が昨夜抜け出たまま垂れている。


夏は短い。




〝お待ちしています〟

静かな声が耳に甦る。


窓は陽光に明るく
1日は容赦なく始まっていた。



特に
何をしなくてはならない訳でもない。
急ぎの仕事があるわけでもない。
その仕事も食べていくに必要な訳でもない。



それでも
予定は埋まっている。



そう陽光は
人を
生きるべき一日に向き合わせるものだ。


地面を蹴った足は
スリッパをごそごそと探し
デリクはベッドを抜け出る。


洗面器に向かい
顔を
乱暴に擦るのは
消えないものがあるからだ。





あはははは
うふふふふ


その声は
甘く
胸を騒がせる。


軽い足音
現れた白い人影


赤い唇は
微かに開いて
弾む息がデリクを驚かせる。



 ああ
 生きている


生きているもの
心誘うものが
そこにあった。



憂愁の色深い美神
その腕に甘える妖精



変わらぬ人生の日々に飛び込んできた異物は
森の奥から誘いかける。




ふうっ
溜め息をつき、
自分でも意味があるとも思えぬ
東洋の浮世絵解説の小文を拾い上げ、
ざっと目を通す。



まあ
いいだろう。
午後には約束通り渡せるはずだ。



1日は始まった。
初夏、
街は動き出している。


 それでも
 ぼくは
 生きている


さして
心動く毎日ではないが、
これが人生というものだ。



30を過ぎて
少々
親戚の御婦人方には
いつ結婚するんだと心配をかけているが、
それもしばしの我慢。


何日かおきにやってくる断りきれない夜会は憂鬱だが、
それも人生のスケジュールというものだ。


デリクは
紅茶を啜る。
人生の一日の歯車は
今日も周り始めた。



画像はお借りしました。
ありがとうございます。


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