この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




キシッ……。


椅子の軋みも
マイクは拾う。


「……素敵な会だね。
 アシが決めたの?
 参加するって。」


顔は見えない。
客席のそこをアップにしているが、
秦は前を向いている。


袖を持ち上げて
ちらと見る横顔が
ふっと見えて
また向き直る。


「ええお引き受けになりました。
 三枝様から頼まれたんですよ。
 句会でこちらに来ているならちょうどいいと。」


女は
覗き込むように体を倒している。
秦の頭部でその顔が見えない。

 くそっ……。

西原は
舌打ちする。



「ああなんて綺麗な子なんだろう。
 あの舞い、感動した……。


イントネーションが
ひどく子供じみて感じられる。

それは、
ステージでペラペラ喋っていたときから感じていた。



「綾様、
 もう……。」


女の手が
そっと秦の手に重なった。


「あ、
 うん。



ぴたり
声は止み、
マイクはもう情報を拾えなくなった。

その手を重ねたまま
主従は穏やかな沈黙に入ってしまった。




 おかしい……。

何より違和感があるのは、
微妙な力関係だ。
手は女が重ねている。

そして、
会話は女が断ち切った。



まるで、
叱られた子どものように秦は黙り込み、
慰める母のように女は秦の手を離さない。



 こいつら
 出来てやがるのか?


腹立ち紛れに心中に呟く西原が見つめる前で
静かに手が離れた。


拓也がステージに立ち、
どうやら秦は
その言葉に聴き入っているようだ。



 出来ちゃいない……。
 わかってるさ。


女は
心得ている。
〝秦〟は
分かっていない。
あの〝秦〟は分かっていない。



主従に過ぎない二人が
公の場で手を重ね合っていたら
どう取られるか。




つまり、
主導権が女にある。
そして、
そんなアホな振る舞いをしても
女が押さえたいものがあったんだ。



そう
西原は考えた。




「今の再生しろ!」


会議室に設置したモニターの前で
西原は指示する。
今の司令塔は地階会議室となっていた。



頭の上で展開する様々に気は揉めるが
西原は
ともかく全容を掴まねばならない。


特に
秦を巡ることは
何一つ逃すわけにはいかなかった。





「今の
 もう一度」

最初の秦の台詞が
引っ掛かった。




 ……〝アシが決めたの?〟
 


何だろう。
覚えがあった。
アシ…………。



モニターは
尋常にステージを向く秦と女を
その中央に捉えている。




 長い髪……長い髪だ。
 それは変わらない。


 音楽室でも、
 デパートでも、
 就任披露のホテルでも…………。




ふわっ……。


黒の細身のスーツが
目の前で崩れ落ちていった。


瑞月!
叫ぶ自分の声が耳に谺する。




 葦……葦だ!


 〝…………葦とお呼びください……。〟



そうだ!
奴がそう名乗った!



西原は
回線を開いた。
ただ一人に通ずる回線だ。



「総帥

 今、
 秦の声を拾いました。
 女が止めて
 黙りましたが、
 気になることを言っています。

 このセレモニーの参加を
 〝葦が決めたの?〟と
 女に尋ねました。

 葦です。」



西原は
モニターに映る鷲羽海斗の右手を見つめた。



その指先が肘掛けを打つ。
トントン…………トン
〝了解した〟

西原は
ふうっと息を吐き、
再び秦を見つめる。



 いずれにしても
 巣はそこだ。


秦周辺の様々を探るため、
屋敷に残る咲が
動いてくれるはずだ。



 秦は
 どこで
 どんな姿を見せているのか

 そこに違和感を感じた人間はいないか


探るポイントが明確になれば
掴めるものは増える。
西原は、
続いて携帯電話に手を伸ばした。






作田は
じっと目を閉じて
待っていた。


ぴくん
佐賀海斗が動くのを感じた。



ふうっと
闇が濃くなり
そこに秦が浮かぶ。




 へえ
 目を閉じてるんだな
 それに
 妙にゆらゆらしてる
 


会場は
祭の囃と掛け声に満ちている。
その波動の上に
しんと静まる影がゆらゆらと漂う。



ちかっ
ちかっ
会場が微かな瞬きを映す水面のように
ひどく頼りないものに
感じられた。



そこにうねる波は
確かに熱いのに
しん
冷えきったものが
ぽつんと浮かんでいる。



突然
ひどく
明るく声が響いた。



〝すごいよ
 すごい

 ああ素敵だ

 体が動き出すよ
 心が動き出すよ

 ああ震える
 心が震える〟


歌うような声だった。



影は揺れる。
まるで
意思のない操り人形のように
ゆらゆらと揺れる。




〝なぜでしょう
 襲われ続ける方にも
 何かあるとはお考えになりませんでしたか?〟


その人形に
声は
ねっとりと重なった。



揺れる!
 揺れる!!
 らっせーら
 らっせーら
 声が波になる

 ああ
 波頭に乗って
 体が押し上げられる!〟



力強い声が
その声を打ち消して
瞬きを集めていく。




〝お忘れください〟



そして、
じんじんと冷たく
凝り固まりながら胸に重く
その声は作田の耳を打った。



お忘れください

お忘れください

お忘れください…………。



 ああ
 あんた
 やっぱり
 あんたはそこにいる…………。

 どうした?
 そんなにボロボロになって



作田は
静かに秦を見つめた。
今、
そこにいる。
確かにいるそれは、
揺らぎながらも消えることの叶わぬまま漂っていた。



作田は
そっと目を開いた。


リハーサルで感じた熱気は
それを受け取り
自らの熱でさらに熱くする人々に迎えられ、
大きなうねりとなっていた。



遠く
一階席に見える長身の後ろ姿は
らっせーら
らっせーらの声に
リズムを刻んでいるようだ。



もう一度閉じた瞼に
しん
静まる影はある。




 こいつは
 ……手錠をかけられるかな


作田は
本星を目の前に
唸っていた。



こいつに間違いない
今度こそ
お前を捕らえた。
そう確信しながら
その揺らめく姿に思う。



 いったい
 どう
 捕まえりゃいいんだ


それは、
実体を喪って漂う影となっていた。


イメージ画はお借りしました。
ありがとうございます。



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