この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




龍笛は誘う。
迫りは上がる。
高遠はすっと明度を上げた。




真っ白な装束が
白色光に冴えざえと白を増す。
俯く瑞月の姿は〝月〟を現して静かだ。


 瑞月
 瑞月
 瑞月
 瑞月の顔が上がる…………。

西原の焦燥は
もう
手の打てない今を耐えるのが精一杯だ。
座席にある秦の長髪が瑞月の白装束を前に
ぐっと闇を濃くするように目に飛び込んでくる。


 
…………………………。

声にならぬ衝撃が
客席を満たす。
息を呑んで
民草は見上げる。





月が昇った。




サスのライトだ。
これは
自分がキーを操作して当てている光だ。
ぼんやりと
そんな思いが高遠の頭を掠める。


だが、
そんなことは、
まるで意味がなかった。



自ら光を纏い
そこに面を上げたものは……月だった。



 すごい…………。
 お前は器になってるんだな


さらさらと鳴る衣擦れ、
それすらが昇る月から零れる光の玉がなす響きのよう。
客席は昇る月に魅せられて静まる。



西原は
言葉を喪って
ただその器を見詰めていた。



白き指先が
その装束の袖から覗く。
その袖がさらさらと天を指し、
羞じらうように面を隠す。






その袖影が
その面に落ちた。



ぴーーーーーっ……。


龍笛は、
昇った月を残し、
ゆるやかな調べを終えた。




そして、
月は待つ。

客席も待つ。





 さあかっちゃんだ!
 初夏の森、
 二人の出会い……。




高遠は、
次のキーに手をかけた。



だが、



ひょーーーー…………。



突如、
それは始まった。



高遠は
楽者の座を確かめ
絶句した。
水澤は
その両手を膝に控えていた。


 先生の笛じゃない!


高遠は
鳴り続ける笛の奏者を
眼下の客席に見た。

その長髪に、
その長く細い指に、
何より
絡み付くような音色に、
覚えがあった。


 ……秦!

高遠は調光卓に置いた手を
握り締める。
爪が手の平に食い込んだ。







作田は、
目の前に広がる月下の藤に
たたらを踏んだ。


「旦那!」

政五郎の小声はわかる。
ゆらりと浮かぶ藤の向こうに
袖幕も客席も見えている。


だが、
見えるのだ。
月光は濡らす。
藤は絡み付く。


サスの中に浮かぶ白き装束が
その光の円柱の中で
凍りついた。



 
龍笛は新たな調べに
会場を満たす。
月光に濡れた肢体は
なんと夜にふさわしいことか。


まるで
蝶の羽が震えるような風情が
人々の心を夜へと誘う。




 ダメだ
 ダメだ!
 瑞月!!


西原が
金縛りを抜けた。
秦を引きずり出してやる!
勝手にステージの邪魔をしているのだ。
引きずり出す名分は立つ!!



これは妨害行為だ!
 俺が引きずり出す!
 上手ドアからだ」


小声でインカムに囁き、
まさに西原が足を踏み出そうとしたときだ。




カーーーン!


夜を裂いて
澄んだ音が舞台を渡った。
高遠は舞台が翠に染まるのを見た。

自身は指一つ動かしてはいない。
だが、
瑞月は翡翠の珠の中にあった。



ひょうひょうと龍笛は啜り泣き、
かっ かっ とーんと太鼓は鳴る。




おおっ……。


嘆声が
期せずして起こり
それがどよめきとなった。



光の円柱からふわりと
舞い出た美しき〝月〟が
煌々と会場を照らす。





西原は止まった。



舞いは始まった。
巫は巫となっていた。


空に高くかかる月に
もはや人の手は届かなかった。



画像はお借りしました。
ありがとうございます。

☆短いです。
 次行くときっと超絶長い。
 今はここまで。



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