この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。



ザーーッ
水音が流しに響いた。
プチトマトの赤にレタスの薄緑が
鮮やかにボウルに揺れる。


手早く洗いあげ、
ザルに上げ
小さなサラダボウルに彩りよく盛り付けた。


昨夜作り置いたクラムチャウダーは
火を入れられ、
もう充分に温められている。



小さな丸パンを袋から出す。
オーブントースターに
それを入れ、
佐賀は待った。





 必ず来る
 一人で来る


少年が起き出してから
15分ほど経っていた。





コン、コン、コン……。


ノックだ。
初めてだな
考えると、
佐賀は改めて少年の覚悟を感じる。



佐賀がすることはあっても
少年が佐賀を意識して
こうして
合図することはなかった。



佐賀は
ドアを開けた。


少年は
パジャマから濃紺のTシャツに
着替えていた。





「おはようございます。」

ふわり
花は薫った。



リビングに入り、
少年は挨拶する。

濃い色は少年の細身と
その目鼻立ちを
くっきりと印象づける。





「おはよう
 朝食ができている。
 食べよう。」


佐賀は
手で
ダイニングを指し示し、
少年が座るのを見つめた。



盛り付けた簡素なメニューを
その前に並べ
温めたパンを置いた。


向き合って座る。
スクールを意識させぬよう
佐賀はシャツ姿となっていた。




少年の濃紺に佐賀の白、
いつもと逆転した装いに
互いがどこか戸惑うように
向き合う二人だった。



佐賀が口火を切った。


「さあ、
 食べよう。

 いただきます」


「いただきます……。」


少年も小さく
食前の挨拶を口にした。



佐賀は
目を伏せ
自分の皿に向かう態をとる。


少年は
スープ皿に向かい
そっと掬った一匙を口に運んだ。



食事は進み、
小さな丸パン一つと
一皿のスープ。
そして、
わずかばかりの野菜は
30分ほどかけて消えていった。


佐賀は
少年のそれよりは
多目によそった朝食を
ゆっくりと口に運び
少年の食事が済むのに合わせて
終わりを迎えた。


食べ終えて
やや放心気味なところを見ると
少年には
完食が難しかったのかもしれない。



佐賀は
静かに手を合わせた。


「ごちそうさま」


「ごちそうさま」

少年が
気を取り直したように
それに続く。



佐賀は食器を手に立ち上がる。
少年がそれに続く。


「座っていろ。」

「だいじょうぶです。」


優しくかけた声に
打てば響くように透明な声が返る。



「……運ぶだけだ。」

「……はい」


佐賀は
少年の澄んだ眸を静かに受け止める。
そして、
声にわずかに力をこめた。

少年が
長く立って過ごすことは、
何を誘発するか分からなかった。

着替えることも
ノックも
完食された朝食も
少年が気を張っていることを
示していた。


そして、
眸は透明なまま
透明な声は応じた。


佐賀は流しに向かい
少年も続く。




佐賀は
自分の皿を流しに置き
少年の皿を受け取った。



少年は踵を返し
佐賀は
そっと少年を窺う。



ダイニングに
ふっと立ち止まり
少年は
その椅子をみつめた。


そして、
その眸はリビングに向かい、
少年は歩き出す。



ザーーッ


佐賀はコックを開け
皿を洗い出し、
少年はリビングのソファーに腰を下ろす。


洗い上げたところで
佐賀が再び窺うと
少年はクッションに身を預け
静かに横になっていた。



食器棚に皿を片付け
佐賀はコーヒーをセットする。
その完成を待ち
冷蔵庫を開け
ミルクセーキを入れたピッチャーを出す。

カフェインは佐賀に必要で
少年には甘味が必要だった。



その二つを手に
佐賀は
ソファーに向かう。



少年の横たわるソファーの側にグラスを置き、
自分はカップを手に少年に直角の位置のソファーセットに
腰を下ろした。




少年は
佐賀を迎えて
そっと身を起こす。



「飲まないか?
 甘い。」


「ありがとうございます。」


少年は
ミルクセーキを
コクンと飲む。

佐賀は
コーヒーを
一口飲む。




細く白い指が
グラスに映える。
唇は薄紅に
その縁にかかる。


それは
儚くありながら
濃紺色に支えられて鮮やかに
美しかった。



 ああ
 花が薫る……。



佐賀は
その姿を一心に見つめる。
もう
なかなか見ることは許されないだろう。
そう思っていた。




己を拒んですっくりと
細い茎は
花を揺らす。





コーヒーの苦味は
佐賀を慰める。
美しいものは
佐賀を見つめはしない。
だが
守ることはできるのだ。


今、
その義務は佐賀のものだから。




「佐賀さん……。」

少年の眸が
佐賀を見つめる。


佐賀は
コーヒーに目を落とす。


「ぼく、
 もう歩けます。

 食べるのも
 一人でだいじょうぶです。」


「わかった。
 起きていていい。

 ただし、
 アパートの中で
 静かに過ごす。

 それはいいな。
 まだ安静が必要だ。」


「はい
 ありがとうございました。
 だから……。」


「俺は
 まだ帰らない。」


「…………。」


「1週間の安静を
 医者に言われている。

 落ち着いたら
 夜は帰る。

 今日は
 まだダメだ。」


「……少し一人でいたいんですが……。」


「わかった。
 勉強部屋を借りていいか。」


「……はい。
 あの…………。」


「今夜、
 何事もないなら、
 明日の夜は戻る。

 それからは夜は自由だ。」


「はい。

 …………ありがとうございます。」



少年は
コクンと
ミルクセーキを飲む。


佐賀は
再びコーヒーを淹れる。
しばしの後、
佐賀はコーヒーをポットに移し
リビングを後にした。


少年は
その午後には
一人でシャワーを浴び、
何事もなく夜を過ごした。




佐賀は
それを見届け
翌日の夕食までを
食事時以外
ポットに詰めたコーヒーと共に
少年の勉強部屋で過ごし、
自分のアパートへと帰った。



夜空は
雲に厚く覆われ
星一つ見えなかった。

隠されたものは
見えないものだ。




3日めの夜は、
そうして始まった。



イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。



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