この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




ヒクッ……。

ヒクッ……。



泣き声はおさまってきた。



佐賀は
少年の髪を撫でながら
思い迷う。





顔は上がらないし
そもそも背けられている。
その顔を見てよいものか、
佐賀は悩む。



 どうしよう……。
 ぼく、
 後ろを見られない。


今度こそ
手放しで泣いてしまい、
佐賀の腕は自分を抱いている。



すぐ後ろに黒ずくめの体があって
細く長い指が静かに自分の髪をすいている。



もう胸は痛くなかった。
ただ
その指の優しさに困っていた。



「あの……。」

少年は口を開く。



「何だ?」

佐賀は応える。


何を話すという当てもない。
少年は頭を絞る。




「何をしてたんですか?」

そう尋ねてみる。



「夕食を作っていた。」

佐賀は当たり前に応える。


それは予想していた。
話の継ぎ穂はすぐ途絶えた。




「……ここで食べるんですか?」

少年は
何とか続ける。




「どうした?」

佐賀は問いの意図に迷って尋ねる。

「………………。」

少年は
ついに継ぎ穂を失い
口を閉じた。



その髪を撫でながら
佐賀は考えた。



少年が困っているのは察せられた。
見られたくないのだ。
佐賀にわかるのは、
それだけだった。





佐賀は
すっと身を起こし、
少年を胸に抱き上げた。



「リビングで食べよう。」

それだけ言って
佐賀は
少年を抱いて寝室を出る。



突然
体が軽くなった。
気がつけばもう軽々と
寝室を抜け出ていく。



廊下は照明に明るかった。
奥のリビングのドアが
あっけらかんとした日常そのままに
待ち受けている。



死に近々と
少年を幻惑に誘った動悸の記憶が薄れていく。
寝室の薄闇が
その最後の名残であったかのようだ。




「……もう夜だったんですね。」

ぽつん
少年が呟く。



「そうだ。
 食事して薬を飲む時間だ。」

佐賀は応える。



少年の涙を問うたりはしない。
それは、
少年が言わぬ限り踏み込んではならぬ。
佐賀はそう思う。




カチャリ……。



少年をぐっと胸に抱き寄せ
ドアを開ける。
もう運ぶばかりに準備した夕食は
ダイニングのテーブルの上で
すっかり冷めていた。



ソファーに
少年を下ろすと
クッションを二つ重ね
そこに少年の背をもたせかける。



少年は
上体を半ば起こした体勢で
ソファーに落ち着いた。


ちらと
目に入るその顔は
少し目が赤い。





「温める。
 少し待っていろ。」

佐賀は短く声をかけ、
少年の手の届くところに
ティッシュボックスを置くと
ダイニングに向かう。



注文のオムライスには
丁寧にラップをかけ
レンジに入れる。


スープは鍋に戻し
火にかける。



 ちーん
可愛らしい鼻をかむ音が聞こえる。



少年は
自分なりに
身仕舞いをしているようだ。



空調の温度を調節する。
夏とはいえ、
8月となると夜は涼しい。



「……これ、
 何ですか?」

テーブルには
もう一つ
置いておいたものがある。




「コーチに頼まれた。
 観ておいてほしいそうだ。」


ブルーレイが数本だ。
バレエもありミュージカルもあるという。




「ああ……。」

少年の呟きは
今がどんな時期かを
思い出したものだろう。




オムライスにスープ。
少年の夕食が
リビングのテーブルに置かれた。


佐賀は
少年の背からクッションを外し
少年を自分の胸に寄りかからせる。


昼の再現だ。
ただ、
今度はスプーンは少年に持たせた。

佐賀は
まずスープを啜らせて
それからオムライスの皿を
自分が持ってやった。




「これ、
 観ます。」

少年が
スプーンをもったまま
そう言い出す。


食べるのが億劫だからか
二人でいる時間が重いのか
テレビをつけたいだけなのか
言い出したなり
スプーンは動かない。



佐賀は
皿を置き、
スプーンを受け取り
少年をソファーの背に寄りかからせて
一番上の一本をセットした。



明るいカバーだった。
ちらと見た絵柄は向かい合う男女らしい。
食事に差し障りはなさそうだ。
そう思ったのだ。



…………10分後、
佐賀は少年を胸に抱き
その唇にスプーンを運んでいた。


それは構わない。
むしろ好都合だったな
佐賀は思う。


少年は画面に見入り、
佐賀が「さあ」と声をかけると
大人しく口を開けた。



テレビは無用の長物だった。
それが
こうして物語を映し音楽が流れると
一変する。




アニメだったのか。
だがミュージカルらしい。
人物は代わる代わる歌う。




ふと記憶の整理棚から
その物語が浮かんできた。
美女と野獣か……。



 ……だいぶ違うな。



それは
どうでもいい。
少年は
引き込まれている。



言葉は分からないはずだ。
音楽だろうか。
展開される荒唐無稽なストーリーに
佐賀は首を傾げる。



野獣が少女を救い怪我を負うあたりで、
小さめのオムライスは完食された。


佐賀は
そっと皿を置き
少年をクッションに預けた。




ピルケースを開け、
「さあ」と少年を促すと
微かに開く唇に錠剤を含ませ
水を飲ませる。


コクン
それも大人しく飲みながら
その眸は画面を見つめている。



引き込まれているのは
心惹かれているからだろう。
それでいながら
人形のように為すがままの少年が
佐賀は苦しい。




皿をキッチンに運ぶ。
音楽は
ますます盛り上がる。



 恋か……。



舞踏会が始まる中
佐賀は食器を洗い片付ける。



野獣の恋、
そんなものが受け入れられるなど、
あるものではない。
佐賀は苦く思う。




片付けを終え、
少年の側に戻ることも躊躇われ、
佐賀はダイニングの椅子にかけて、
少年とその見つめる画面を眺めた。




恋の破局は容赦なく訪れる。
少女には家族がいるのだ。
そうだ。
そもそも父親を助けるために来たのだ。
少女は去る。
当然だな…………。





少女を見送る野獣の後ろ姿に
佐賀はちりっと胸が痛む。



舞踏会の少女は
それは美しい姿だった。
そんな奇跡は一度あればそれで満足すべきものだ。




〝佐賀さん……胸……痛い…………。〟

自分にすがる少年が
甘く思い出される。
それは、
佐賀には罪深いまでに幸せな瞬間でもあった。



少女が去ったあとの野獣は
絶望に荒れていく。
佐賀は
その様が
何とも苛立たしい。




立ち上がり
コーヒーメーカーに向かう。



サイフォンの中を上がっていく泡を見つめながら思う。



    分かっていたことだろう



自分は愛されない。
分かっていて落ち込む野獣が
腹立たしかった。



物語は
ますます急展開していく。


   ずいぶんと
   脚色したものだな……。



原作にはない荒々しい展開に 
佐賀はため息をつき、
コーヒーを注ぐ。




少年は夢中で観ているようだ。


佐賀は
いつしか
その横顔ばかりを見つめていた。


コーヒーは苦く
胸は切ない。
野獣の哀しみは佐賀に突き付ける。



愛されない
愛されない
己は受け入れられない





少年が拒む。
佐賀が踏み込む。


その連続だった。
そして、
少年の側にいる理由がない今、
佐賀はリビングに戻ることすらできない。



野獣は絶望する
佐賀はため息をつく



活劇は終わり、
息絶えようとする野獣と少女の場面となった。


 そろそろだ




佐賀はリビングに戻る。
ソファーセットの一脚に
ひっそりと座った。




少年はじっと見つめていた。


「……よかった」

小さな呟きが
目を閉じた野獣にかけられた。


え?
佐賀は少年を注視する。

微かに微笑んだ顔に
安堵が浮かんでいた。




「辛いもの……。」

野獣の死を
少年は幸せと受け止めていた。



いや違う……。
思う間に画面は希望に輝く。




野獣は
美しい王子に変身した。
少女と王子はひしと抱き合い、
少年の目はまん丸くなった。




「どうした?」

佐賀は
ソファーの脇に膝をつく。




「どうして?」

少年は
茫然と呟く。



「魔法が解けたんだ。」

佐賀は説明する。




「だって…………。」

少年は戸惑うように
幸せに彩られ
生まれ変わる城を眺める。



「誰かが
   心から愛してくれたとき
   野獣は救われる。

   そういう魔法だったんだ。」


佐賀の説明が
耳に入っているのか
少年は
不思議なものを見るように
画面を眺める。


そして、
その唇が動いた。



「もう苦しまなくてよくなったのに……。」



言葉は分からないながら、
野獣が苦しんでいたことや
死にたいと願っていたことは
分かったらしい。


その眸は
野獣の姿を探すように
画面をさまよう。




佐賀は
そっと少年の肩を抱き寄せた。
小さな体が
佐賀の胸に収まる。



「生きてくれた方が
 周りは救われる。

 だから
 こんなに喜んでいる。

 俺も同じだ。
 お前が死んでしまうかと
 生きた心地がしなかった。

 よかった。
 そう思う。」


幸せの場面を
背に感じながら佐賀は
語りかけた。





「……よかった?」

ぼんやりと
少年は返す。
抱いた体は逃げ出すことも
忘れている。




「ああ。
    よかった。」


佐賀は受け止める。




少年はもう応えない。
じっと佐賀に身を任せている。


エンディングロールの音楽が
流れ出した。



死への渇望は
もう気付いていた。


少女にこそ重なる嫋やかな少年が
自身を野獣に重ねていたことが
佐賀には驚きでもあり
切なくもあった。


そして、
戸惑う少年が
その身を任せてくれる時間が
愛おしかった。


また
この手を離すとき
少年はほっとするのだろう。



まだ着替えが残っていた。
その時間が
拒絶と諦めにぎこちなく流れることを
佐賀は覚悟していた。



寄る辺ない少年は
佐賀を受け入れるしかない。

が、
それを疎んじている。
少年は生きることを望んでいない。


それでも
生きてほしい。
俺は生きてほしい。


佐賀は
もうすっかり慣れた胸の痛みに
浸っていた。


    痛い……。
    痛むものだな


その痛みの深さと甘さに
佐賀は浸っていた。






イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。



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