この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。



「……もう
 平気です。」


小さな声で
少年は言ってみた。


腕を擦る手は
静かに止まった。



すっ
風を感じた。


包まれていた大きな体が
ふわり
動く。



ギシ……。


ベッドが軋み
佐賀は
もう立ち上がっていた。




「あの……」

思わず、
追うように
上半身を起こす。



振り向く佐賀の視線を受け止めながら
まずい!
シーツを掴む手に力が入った。



 ……動悸が…………。


ぐらり
体は傾きかけ
佐賀の腕はふたたび少年を抱いた。





呼び止められ
振り向くと
少年が真っ直ぐに見つめている。


今まで腕にあった体が
背筋を伸ばしてしなやかに身を起こしている。
その凛とした姿勢に
佐賀は一瞬怯む思いがあった。



すまない
応じようと思った。


少年の眸は
炯炯と煌めいていた。
佐賀は射抜かれるように感じた。




踏み込んだ佐賀を責めている。
少年は涙を見せたくなかっただろう。
そう感じた。





見つめる眸が揺れた。

佐賀はもう動いていた。

         

眉が寄せられ
痛みに顔がしかめられている。
白い小さい顔が
がっくりと腕の中で揺れた。



匂い立つ。
佐賀の鼻腔を花の香が満たした。



「佐賀さん……胸、痛い…………。」


切れ切れの声がする。
佐賀は少年の首筋にあてた。

ドクンドクン
指に触れる脈動は強く速い。




佐賀は
目を閉じて重たげに頭をもたせる少年を
改めて見つめる。


点滴を外せば血管を拡張する働きは加速を止める。
経口で投与はしているが、
わずかな身動きでここまで加速することはない。

心因性……。
その言葉が脳裏を掠めた。



片手で枕を重ね
掛布を脇に寄せ
佐賀は少年をもう一度ベッドに横たえた。


少年は蒼白の顔を歪ませ
胸を抱くようにして丸くなる。





佐賀の指に伝わる脈動は
強さも速さも増していく。

佐賀はベッドに身を屈め
もう片方の手を
少年の肩に添えた。



「ゆっくり
 息を吐くんだ。
 さあ。」


佐賀はポン……ポン……と少年の丸まった肩先を叩く。


1、2、3、4…………。

心で数を数えながら少年を見つめる。





ふうううう……。


言われるがままに
少年は息を吐いた。


吐く息とともに
指に触れる脈動の強さが
わずかに落ちる。



が、


はっ
はああっ

吐きかけた息は
せき上げる息に詰まり
脈は跳ね上がった。



身を折り曲げて苦しむ少年の手が
弱々しく胸を抱いて震える。





ギシ……



佐賀は
そっとベッドに腰を落とした。




添えた手はそのままに
佐賀は少年を見下ろす。
花の香が切ない。


涼やかな香は
その花に軽々しく触れることを
人に戒めているようにすら感じる。



そして、
少年は望んではいない。
佐賀は
それがわかっていた。
わかっていながら、
その願いには添えなかった。





佐賀は、
すっと
手を離し
身をベッドに落とす。




己の胸を少年の背にあて
その体で少年を包み、
今拒まれたばかりの少年に
佐賀は囁く。



「さあ
 俺に
 呼吸を合わせるんだ」



それなり
佐賀は
言葉を捨てた。




願うように
呼吸する。


吸う。
短く吸う。


吐く。
長く吐く。



 だめだ
 戻ってくれ
 呼吸をしてくれ

佐賀はそれだけを念じていた。







痛い
痛い
痛い……。

少年の意識は己の心臓に集中していた。




きっと止まる
こんなに痛いから
きっと
きっと止まるよ……。



ようよう息をしながら
少年は
そう思っていた。



  ドクンッ……!


ほら……止まる。


つんざく痛みとともに
ふっと闇が落ちる。





押し寄せる高波が
家々をなぎ倒していく不気味な破壊音が
少年を包んだ。

ざああああっ
少年を飲み込もうと襲いかかる波頭が見えた気がした。



 ああ
 やっと追い付いたね……。




胸の痛みがぐっと増して
ひどく安らかな気持ちになった。
そう心臓は止まる。
もう止まれる。




ところが



ぴたり
音は止む。



そして
ざわざわと
人声がする中に少年はいた。




〝ああ
 瑞月ちゃん
 よかった!〟

〝お母さんが……
 お母さん……。〟

〝一緒じゃなかったの?〟




一緒じゃなかったの?

一緒じゃなかったの?

…………………………。




嫌だ…………。

嫌!
嫌!!
許して!!


ごめんなさい

ごめんなさい

ごめんなさい

……………………。




ふっと
少年は包まれた。




〝さあ
 俺に
 呼吸を合わせるんだ〟


そう言われる。





薄闇に
少年を包む
優しい腕だけが残っていた。




ドクン
ドクンと
背に伝わる鼓動が
ゆっくりと確かだ。




息の音がする。

吸う
吐く

吸う
吐く


いつの間にか
少年は
その音に息を合わせていた。


吸う
吐く

吸う
吐く

………………。






「もうだいじょうぶだ
 いい子だ」


この数日で聞き覚えた声が
優しく聞こえた。



少年は
ゆっくりと目を開けた。
 


シーツが見えた。
そして、
自分を抱く腕が見えた。




 一緒だった……。
 ぼくたち、
 一緒だった…………。



胸の痛みは
もう収まっていた。
また
波は追い付かなかった。


涙が噴き零れた。




「いい子だ
 もう
 だいじょうぶだ」

髪が撫でられる。




だいじょうぶで
ありたくなかった。




しゃくり上げながら
少年は泣いた。



「いい子だ」

そして
髪は撫でられる。



優しい腕の中で
少年は
ただ泣いた。




 いい子ね
 瑞月

 走るの
 後ろを見てはだめ
 さあ

 走りなさい



イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。



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