この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。



そのドアは、
もっとも何気なく開閉されるもので
かつ
開閉されたことを話題にせぬのが
当たり前のものだ。


その前で、
佐賀は
既に10分を超えて待っている。


待たれる少年は
抱き上げたときから頬を染め
顔を背けていた。
これで、
またしばらくは頑なになるのだろうか。
佐賀は胸が痛む。


少年に疎んじられるのは辛く
微笑まれると幸せになる。
が、
それは佐賀の勝手であり、
少年に押し付けるべきものではない。
そう思ってもいた。






胸の痛みは自覚できるし、
少年を大事に思う気持ちは並々ならぬものがある。



ただ、
佐賀はそれを伝えたいとは感じないのだ。




思いを伝えた経験はある。



少年の日
ひたすらに守った人がいる。
守ることも、
報われぬ苦しみも
その人が教えてくれた。



〝あなた
 あなた
 ここにいて〟

切に求められながら
佐賀自身は求められない。
悲しい狂気は
佐賀を息子と認識することはなかった。



〝ちがうよ〟

伝えては
己の無意味を確かめた。
佐賀の思いに意味はなかった。

己は求められない。
それは心を凍てつかせ、
佐賀に染み通った。





優しい時間もあった。
その短い期間、
佐賀は温かかった。
温かさは学んだのだ。
だが、
なぜ温かいのかも分からぬ内に
その時間は終わった。

終わったものは終わった。
佐賀はそう納得し、
その孤独は再び意識の深淵に沈んだ。




その卓越した力ゆえに
幼いながら
悲しい守り人として生きるを得た佐賀は、
羊の群れに紛れ込んだ狼だった。




不器用な狼は
羊の群れの中に残された。
狼は狼だった。
致し方ない。




佐賀は
少年を思う。
だが、
それは佐賀の勝手な思いだ。
佐賀は求められない。
それが佐賀の認識だった。



佐賀は
じっと壁を背に待つだけだ。






少年は用を済ませていた。
済ませるまでは
動きを止めはしなかった。


 すごく
 発作ひどかったんだ……。
 こんなに動悸するの初めてだもの。

 今度こそって
 思ったのにな……。


少年は
何しろ切羽詰まっていた。
そんなことを思うのも
そろそろと
動悸と相談しながらの愚痴のようなもので、
ともかく用を足したのだ。


そこからは
動きが止まった。





また
同じように
ゆっくりゆっくり動けば
ドアを抜けられる。


実際、
5分も経てば
動悸は収まってくる。



でも
動き出せなかった。




トントン……。


ドアが鳴る。


あっと思い、
少年は
急いでノックを返す。


トントン……。



またドアは静まった。



少年は
ドアから目を離せなくなった。



 ど、
 どうしよう……。



ドアを開けなければ
寝室には戻れない。
自分で戻りたかった。


が、


待っている。
少年は
自分を見ようとしない長身の男を
思った。
たぶん
目を逸らしている。
そして、
動かない。



 ドキドキする
 ドキドキする
 恥ずかしいんだ、ぼく。



どんなに時間がかかっても
じりじり動けば
戻れそうな気がした。



トントン……。


またノックが呼ぶ。



トントン!


少年は大急ぎで
返す。


ドキッ
ドクンドクン
動悸が苦しいほどに胸を締め付けた。



今度は
声が続いた。


「向こうを見ている。

 ドアが閉まるまで
 決して見ない。」



カチッ……。

ドアにすがるようにして
少年は廊下に出た。


バタン……!


背で押すようにして
ドアは閉められ
少年は抱き上げられた。



「だいじょうぶ
 だいじょうぶだ」


佐賀は囁いた。



腕の中の少年は
固く目を閉じていた。
もう頬の上気はない。


むしろ
青白さを増していた。
よほど見られたくなかったのだろう。
そう思うと
佐賀は辛かった。



「だいじょうぶだ。」

佐賀は
ただ囁き続けた。


少年は
応えなかった。
ただ胸に顔を埋めた。


寝室に戻り、
そっと横たえれば
顔を背けて丸くなる。


佐賀は薄い夏掛けを
その上に掛けた。


「だいじょうぶ
 だいじょうぶだ」

佐賀は
その夏掛けの小さな膨らみに
声をかける。




「…………すみません。
 もう
 だいじょうぶです。

 ちょっと動悸が苦しくて
 お返事できなかっただけです。


夏掛けの下から
小さな声が
応えた。



「よかった。
 薬は抜けていく。
 あと少しだ。
 だいじょうぶだ。」


佐賀の手が夏掛けを
優しく撫で、
小さな膨らみは
その手を受け止めて静かだ。




〝だいじょうぶ
 だいじょうぶよ〟

優しい手が
佐賀の肩に触れ
優しい声が耳に囁く。


〝狼さん
 だいじょうぶ
 
 だいじょうぶよ〟






佐賀は
小さな膨らみを
そっと撫でながら
素直に倣う。


「だいじょうぶ
 だいじょうぶだ……。」


ひどく
ちぐはぐでありながら
染み入るほどに幸せな時間が
佐賀の中を流れていく。


幸せだった。


少年が
そこにいて
己が
その世話をしている。


その約束された二人だけの時間が
佐賀を幸せにしていた。


イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。





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