この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




ベッドサイドの小卓には
大きめのカップと
深皿一つを乗せてきた
トレーが置かれた。


佐賀は
少年を抱き起こし
そのトレーから
小さなケースを取り上げる。




 いつも黒……。
 大きな狼みたい。


少年から見たら
見上げる高さにその顔はある。
少年の記憶にある様々な風景の中の
ぼんやりと霞む人物たち。
佐賀はその中で一番背が高かった。
 


そして、
その動きは滑らかで
削ぎ落とされたように無駄がない。



 
 なんだか不思議。
 どうして、
 こんなとこにいるのかな。


少年は
自分の今を決める男を
注視した。



カクン……と
傾いだ細い首には
小さな頭すら
どこか重たげだ。



お人形は
なあに?と問いかけるようなポーズで
ぴたりと止まる。



まるで
ゼンマイがほどけてそのままに置かれた
からくり人形だった。



佐賀は、
その注視には構わず動く。
無表情の少年の心中は分からない。
ただ動いた。




仄かに色づく桜貝の爪先を
酸素濃度計が挟む。



少年は、
自分の手を取る佐賀の手に
眸を落とす。



その手に乗ると
自分の手がひどく小さく感じた。
器具を摘まむ指は長くて細く見える。



〝98〟と画面に数字が浮かぶ。
少年は、
ほうと息をつく。



終わってしまえば
数字はすぐに戻る。


……終わっちゃった。
その吐息だ。




「酸素は
 十分だな。
    安心だ。」


佐賀は
空いた手で
俯く頭を撫でる。


小さな吐息は
人形を少年に戻していた。





頭を撫でられ見上げる少年の眸は
見下ろす眸に迎えられ、
少年はまた戸惑う。


「よかった。」

優しくかけられる言葉に戸惑いは増し、
少年は人形に戻り俯く。




佐賀は
食事に目をやり、
健康観察を終える。



俯く少年の目の先で
佐賀の指が
測定器を外す。



クスリ…………。

少年が笑う。



家庭用測定器は
小さくて丸っこかった。
その玩具のようなものを
狼が大真面目に取り扱う。


よほど急いで買ったのか、
その器具は
正面から見ると
小さく丸まる耳をもつ猫の顔が
デザインされていた。


小児喘息の子どもをターゲットにした商品らしい。



クスクス
クスクスと
口に手を当てて
少年は笑う。



ギシ…………。


ベッドが軋んだ。




いきなり
狼は横にいた。


抱き寄せられて
少年はヒクッと
笑いを止める。



ふわっと体は浮き
すとんと降りる。


背から回された腕は
少年の腋を通り
少年は大きな体を背もたれに
ベッドの端に腰かけていた。





少年を抱っこして座った佐賀は、
トレーに手を伸ばす。



腕の中で
じっと気配を伺う少年は
狼に捕らわれた野うさぎさながら
身を固くしている。



カップを取り
そっと口もとに近づける。


少年は
受け取ろうとしない。



「甘くした。」

佐賀は囁き
スプーンに掬う。



半透明なぷるぷるとしたそれは
微かに優しい香りがした。



唇が小さく開き、
スプーンがそれを割る。



そっとスプーンは傾く。
小さな頭はわずかに反る。


コクン……。


小さく喉が鳴り
細い肩がピクンと揺れる。




「……甘い。」

甘い声が呟く。



「葛湯だ。」


スプーンが優しく促す。
唇は開く。



狼は
傷ついた野うさぎをその体で包み
そっとその口に口移しするように
餌を運ぶ。





最初の食事は
優しく始まった。



イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。




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