この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





そのアパートの一室には
微笑ましくさえある情景が展開していた。



善き靴屋に住み着いた小人よろしく
敷居に頭がつきそうなほどに背の高い男が
その体格やら風貌やらからすると
いささかの滑稽味のある働きぶりを誠心誠意続けている。




男は
ひどく嵩張った荷物と共に
音もなく入り込んだ。


鍵は音を殺され
魔法のようにドアは開いた。
靴音なぞというものは、
ひそともしなかった。
廊下を影だけが移動していく様は、
見方によっては怖い話だが、
何しろ荷物が荷物なため
怖さはない。




底が角張っている幅広の袋二つは
どうやら炊飯器が一つ、
簡易コンロに鍋一式が一つだ。


そして
米の大袋らしき端っこがちょこんと覗いたパンパンの布製バッグは
そのゴツゴツした膨らみからして
ジャガイモやらニンジンやらも入っていると見えた。




影は
リビングに滑り込んで
ようやく息をつき、
そそくさとダイニングに向かい、
開店時間に飛び込んで購入したと思われる大きな袋を
幾つもキッチンテーブルに並べた。




そして、
その片付けに入っている今だ。


佐賀の買い物は
次々と収納に消えていく。
いったん
全てを仕舞い込んで佐賀はキッチンを見回した。




米がカナダのキッチンに登場した。
少年は野菜が特に苦手であるように
佐賀は感じていた。

また
何事につけ初めてのものに尻込みするようでもあった。




日本の食卓に並ぶもの
こちらの野菜で賄えるもの
ということで、
とりあえずチャレンジは始まった。



ほどなく
匂いは部屋に立ち込め
廊下へと流れ出していく。
善き靴屋の小人はその仕事を終えようとしていた。




ひそやかに
ペトペトと
廊下に小さな足音が聞こえる。

待ち受けていた佐賀の胸は弾む。
少年がそれを食べるかは分からない。
ただ少年の顔が見られることが嬉しかった。




カチャリ……。



こそっと小さな頭が覗く。
それを背中で聞きながら佐賀は鍋と向き合ったまま
動かなかった。



「佐賀さん……。」

可愛い声がした。



「起きたか。」

佐賀が応える。




「カレーですか?」

火を止めて
振り返る。

小首が傾いでいた。



「苦手か?」

「…………。」


「そうか。」


「でも、
 嬉しいです。
   ………… すみません。」

食べないことは想定内だった。



情景は
新たな展開に移る。


野菜は小さく角切りにされ、
ベーコンは刻まれ、
即席のコンソメスープに投入される。
そして、
炊き上がった米が続く。


「雑炊にした。
    カレーほど刺激はない。
    食べるんだ。」




カレーは佐賀が
雑炊は少年が食べた。

ギリギリ冷めきる前に
スープ皿に盛った雑炊は少年の胃に収まり、
佐賀は冷蔵庫から少年がハウスキーパーに頼んだプリンを出した。


それは、
適正な速度で消えて行った。



甘いものは
フツーに食べられ、
そうでないものは
かなり時間を要する。

それが分かった。


佐賀は
保護者に要求される様々と
保護者だからこそ寄り添ってやりたい様々とのバランスを
どう取っていくか
食事という場で悩む。



雑炊を口に運ぶ顔は、
なんとも言えないものだった。




まず、
物憂げに見下ろす。

    たかが雑炊だ……。

佐賀は呻くように思う。
恋愛映画の一場面か?



極端に綺麗な造りの顔が
不要にアンニュイなムードたっぷりに動く細い指先と相俟って
無駄に妖艶な風情を振り撒く。

そして、
前にあるのは即席洋風雑炊で
角切りジャガイモに人参に玉葱に
ベーコンの短冊が
なかなか食べてくれない少年を
見上げている。


余りのアンバランスに
少年の美貌が
いっそ戯画のようだ。


既に
自分は食べ過ぎだな
明日の早朝トレーニングメニューを増やしたくなっている佐賀だった。


プリンを口に運ぶ顔も
なんとも言えないものだった。


口元に笑みが浮かぶ。
嬉しげにプリンを見詰める。
佐賀は
ズキッ
胸が痛む。


    可愛い……。


子どもが
大好きなプリンを前に
    ああ
    プリンだ
ニッコリしていた。


この顔を見ていたい。
そう思った。
正直にそう思った。



が、
どちらの表情も
とりあえず
表には出さない。 



佐賀は微笑む。


「頑張ったな。
    偉いぞ。」

これは
本心でもあるから
簡単だ。


少年も
微笑み返す。
まだプリンの余波があった。


佐賀は
優しく続ける。


「バランスよく食べることが
    大切だ。
    これから
    食べられるものを増やしていく。
    頑張れ。」


少年の顔から笑みは消えていき、
雑炊前に時間は巻き戻る。



    またか…………。



恋愛映画仕様の小悪魔が
〝困っちゃうな〟
言わんばかりのため息をつく。



「橘?」

佐賀は促す。



「……分かりました。」

   
     宮川あたりが
     飛び付いてきそうだな


少年の呆れるほどの食への無関心が
なんとも言えない気怠さを感じさせる。
それは危ういものだった。




「橘、
    片付けるぞ。」

さらり
佐賀は立ち上がった。
その危うさは
佐賀にとっても危うい。



佐賀は
少年に皿を運ばせて、
布巾をもたせる。
大した量ではないし、
時間もない。


体を動かすことで
自分も切り替えられるし
少年にも手伝いを学ばせたかった。



食器洗い機はやめて、
佐賀は流しに向かった。

水を流しながら
少年の危うさの発する元は何なのかと
頭が動きかける。


が、
洗った皿を水切りかごに置くや
それは止まった。


ツルッ
その箸より重いものに耐えそうにない
少年の指先から皿は滑り落ち、
佐賀は、
それを受け止めるというなかなかの離れ業をせねばならなかった。




「だいじょうぶか?」

「はい」

落とす少年の指に怪我はないが、
少年が拭く皿には
スリルある時間が続いた。


基本だいじょうぶではない。


幸い
少年は
たいそう作業が遅く、
佐賀が手早く洗えば
あとは
離れ業に備えて待機することができた。


無関心だから不器用なのか
集中しても不器用は変わらないのか
それは
悩むところだった。



その可愛い笑顔は見たかった。
同時に
食べさせなければ健康が損なわれることが
頭から離れない。


「さあ
 出掛けるぞ。」


当分は
車で送り迎えだな
思いつつ
佐賀は少年との日常をどう組み立てるか
考えていた。


守るとは、
難しいものだ。
とりあえず、
それは学んだ。


まだ入り口に過ぎなかったが
覚悟はできていた。




童話とは、
主人公にとっては
ときに
過酷なものでもある。


善き靴屋の小人にはない苦労が佐賀にはある。
どうしようもなく
佐賀は少年が愛しかった。



画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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