この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。







最後の一口が
あーんに消えた。



「ホットミルクだ。
 飲みなさい。」

佐賀は
トンとカップを置き、
その視線を誘導する。



言葉は意識した。
〝力〟を感じさせないこと。
それは、
保護者と少年に認識されるまでは
大事なポイントかもしれないと感じていた。


いちいち止まられては
生活は成り立たない。
そして、
何より可哀想に感じる。


胸が痛んで敵わない。



微かな微笑みが残照を残す内に
指示に従うことに慣らす。
着替えまでもっていかなくてはならなかった。
もう残り30分を切っていた。




少年の手が
そっとカップをもつ。

 まるで寒さに凍える手のようだ。
 夏だというのに…………。

もう
どうやっても痛む胸は諦めた。
少年を守るには、
その痛みもアンテナかもしれない。
佐賀は目の端に時計を捉えながら
コクン……コクン……と
ミルクを飲む少年を待った。


「着替えよう。
 おいで。」

佐賀は少年の脇に立ち
そっと呼び掛けた。




ん?
少年は小首を傾げる。
ふっと目は宙をさまよい
そこに誰かを見るように微笑んだ。


 天使が……いる


佐賀は息を呑んだ。


生き生きと見上げた先に
誰がいるでもない。
ただその眸は何かを映して輝いていた。
口角は上がり
愛らしい唇は名を呼ぼうとするように微かに動いた。



少年は立ち上がる。
その誰かに呼ばれたように立ち上がる。
佐賀は
そっとその先に立った。



廊下の脇のドアは
予想通り少年の自室をイメージして整えられていた。
少年は戸惑ったようにその部屋を見回す。


佐賀は
その視線の先を追った。



デスクがある。
そこに教科書類が並んでいた。
見覚えがあるらしく
少年はそこに向かった。


小さな手が教科書を抜き出す。
〝橘 瑞月〟と
やや丸い字体で書かれていた。
少年の字なのだろう。




「学校に通っていたときと
 変わらない。
 昼間は起きてやるべきことをするんだ。
 スケートだけじゃない。
 勉強もある。
 
 ここで暮らしていくために
 君にはしなくてはならないことも
 覚えなくてはならないことも
 たくさんあるんだ。」


佐賀は静かに語った。


「……ぼくは
 スケートをしに来ました。
 こっちに来るなら
 それができると聞きました。
 
 ……そういう約束です。
 ぼく一人で
 ただスケートだけをやらせてくれるって…………。」

少年はうつ向いたまま答えた。



「君を引き受けた。
 それができるように
 全力を尽くす。

 着替えてリビングに来なさい。
 見せてやる。」


「……何をですか?」


「俺の覚悟だ。」

佐賀はクローゼットを開けた。
少しばかりの私服に
引き出しにはジャージがあった。


「客が来る。
 応対は俺がする。
 だが、
 この部屋の主は君だ。

 本当にこの部屋の主になるためには
 避けられない客だ。
 そう思いなさい。」


服を選ぶことはしなかった。
この部屋を出てくること
その全てを少年に任せたかった。


少年はうつ向いたままだった。


「着替えろ。
 時間は5分。
 リビングで待っている。」



佐賀は少年を残し
リビングに戻った。



 来るだろうか……。




来ないかもしれない。
そう覚悟するものがあった。
〝この部屋の主になる〟
それが
少年にとって意味があれば……。
そう思っていた。


そして、
コールは鳴った。


〝宮川です〟

〝お待ちしていました
 お上がりください〟


画像はお借りしました。
ありがとうございます。

☆短いです。
 ここで
 一区切りして次を今日中に書きますね。